秋の桜を愛でましょう

 怖くないわけじゃない。
 むしろ、すごく怖かった。
 さっきからイナバが話しかけてきてくれるけど、正直何を質問されて何を答えたか覚えていない。
 ミモリも何か言っていた。
 俺の手を引いて、道案内をしてくれるイナバの手は温かいけど、さっきの口ぶりからして彼女も人間ではないようだった。
 夕日が落ちて、すっかり空が暗くなった頃には、街中ではなく木々に囲まれた道を歩いていた。
 あんな上手いことを言っておいて、その場についたら俺をツマミにして花見をするのもかもしれない。
 いっぱい妖怪が来るとか言ってたしな。
 俺は、死ぬのか?
「死にませんよ」
 気がつけば、イナバは足を止めていた。
「あなたは死にませんし、死なせません。私が保証します」
「心を読んだのか?」
「ずっと、暗い顔をしていましたから……ごめんなさい」
 ゆっくりと、イナバの髪の毛が二カ所立ち上がった。
 髪の毛と思ったそれはピンと立って、ウサギの耳のように見える。
「人と妖怪がこうして同じ場所に立っている事なんて、普通ならあり得ないことなんです。私も、つい舞い上がっちゃってあ
なたの気持ちを全く考えていませんでした……本当に、ごめんなさい」
「いや、イナバさんは何も悪くないです。どっちかって言えば、そこのミモリが一番悪いような気が……」
「ちょっ! タオルはもう返したじゃないですか! 
 俺の視線を受けて、道の先で待っているミモリが驚いたような顔をする。
「イナバさまも! こんな人間の為に心を痛める必要なんてこれっぽっちだってないんですよ?」
「ミモリ、それじゃダメなのよ」
 イナバがミモリを見て言葉を続ける。
 俺の手を握るイナバの力が、少し強くなったような気がした。
「人間は、私たちと違って生きる事が出来る時間がとても短いの。それ故に、妖怪と人間の常識は大きく食い違っているところがあるわ。私たちが当たり前だと思っている事も、人間たちには理解出来ないことかもしれない
 ミモリは、じれったそうに地面を何度も踏んだ。
時間ギリギリなんですよ? イナバさまの御力を信じられないだなんて、この人間はなんて食わせ物なんでしょうかねぇ
 イナバは俺に向き直って、赤い目で見てきた。
「人間のやりかたで、あなたを無事に帰すと約束がしたいです。どうすればいいですか?」
 本当に、どこまでも真っ直ぐな目だった。
「……じゃあ、指切りでもしませんか」
 俺は、開いてる手の小指を立てて、イナバの前に示してみせた。
 そこは「不思議なところ」としか、俺の語彙じゃ言い表せなかった。
 全体的に、白くて薄いモヤが漂っていた。
 足下はふわふわしていて――あとでイナバに聞いたら「雲の上です」と答えてくれたが――空気が妙に美味しく感じた。
 全ての桜の樹は、白いふわふわから生えていた。
 どれも見上げるくらいに立派な樹で、その全てが満開に咲き誇っていた。
 桜の樹と樹を繋ぐようにして張り巡らされたぼんぼりの光りが、神秘的な雰囲気をより引き立たせている。
 あちこちに大きな岩場が突き出ていて、大きな唐傘が開かれた状態で立っている所もある。
 その岩場の頭頂部には、様々な姿形をしたものたちがいた。
 一つ目でボロボロの袈裟を着た大男に、首がどこまでも伸びる花魁風の美女。
 爪楊枝くらいの大きさの毛むくじゃらに、身体全体が骨になっているオオクジラ。
 下駄はスニーカーとタップダンスをしているし、古事記と書かれた古文書が少年ジャンプと空を飛んでいた。
「すげぇ……こんな所が本当にあるのか」
「桜が咲いているのは今夜だけです。しっかり見て、楽しみましょうっ」
「イナバさま~、私たちの席はこっちですよ~っ」
 少し離れた所にある桜の樹の下で、ミモリが大手を振っていた。
さあ、私たちも行きましょう!
 イナバの言葉に俺は笑顔で頷いて、繋いだままのイナバの手を引いた。
 目を覚ますと、俺はいつもの部屋にいた。
 ちゃんと布団に寝ていたし、下着も新しいのになっている。
「夢だったのか……?」
 俺は大きくあくびをしながら、ぼりぼり頭をかいた。
 時間を見ようとして、テーブルの上に置いてあるリモコンに手を伸ばす。
 俺は目を疑った。
 手の甲には、デフォルメされたウサギのキャラクターがプリントされている絆創膏が、一枚貼ってあった。
 何も言わずに、俺は絆創膏を指でなぞると、イナバの笑顔が浮かんでくるようだった。
 俺は、笑顔でため息をつく。
「ふふ、もしかしたら夢じゃなかったのかもな」
 俺は再びリモコンに手を伸ばすと、テレビのスイッチを入れる。
 リモコンをテーブルに置いて、近くにおいてあったスマホを何気なく手に取った。
 暗い画面をタッチすれば、いつもの味気ないメニュー画面が出てくるはずだった。
「……ははっ! 本当にマジなのか!」
 高校生の時に、初恋の女の子に告白した時だって、こんなに心臓はドキドキしていなかったと思う。
 スマホは、一枚の写真を画面に表示し続けていた。
 画面には、ひょうたんを背負った猫と、ピンクの着物を着た女の子が写っていた。
ささのは
作家:ささのは
秋の桜を愛でましょう
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