秋の桜を愛でましょう

 その後、ミモリからタオルを返してもらった俺は、傷とタオルの詫びにと花見に招かれることになった。
 断って家に帰ろうとも考えたが、
「ここはもう、異界に続く道の途中ですので、下手に迷うと一生迷ったままになりますよ?」
 と言われ、
「人を食べる妖怪たちもいっぱい集まってきますけど、私の客と言ってしまえば誰も手出しが出来なくなるので大丈夫です」
 と言われた。
 一体、どこがどう大丈夫なんだとツッコミたかった。
 だが、幸いにも明日は土曜日で仕事は休み。
 ズボンのポケットからスマホを取り出してみたけれど、こんな街中なのに圏外と表示されている。
 夕暮れ時なのに、さっきから誰ともすれ違わないのも気になっていた。
 もしかしたら、ミモリを追いかけている時に迷い込んだのかもしれない。
 ミモリが背負っているひょうたんには、極上の酒を染み出す山苔から一年がかり集めたモノが入ってるという。
 家に帰っても笑顔で迎えてくれる嫁がいるわけでもなく、安い酒を飲んで寝るだけだった俺にとってみれば、思いも寄らないタダ酒の機会。
「お願いします、あなたの無事は約束しますから!」
 イナバは、俺の手を握ってそう言った。
 久しぶりの女の子の手は、やわらかくて暖かかった。
 怖くないわけじゃない。
 むしろ、すごく怖かった。
 さっきからイナバが話しかけてきてくれるけど、正直何を質問されて何を答えたか覚えていない。
 ミモリも何か言っていた。
 俺の手を引いて、道案内をしてくれるイナバの手は温かいけど、さっきの口ぶりからして彼女も人間ではないようだった。
 夕日が落ちて、すっかり空が暗くなった頃には、街中ではなく木々に囲まれた道を歩いていた。
 あんな上手いことを言っておいて、その場についたら俺をツマミにして花見をするのもかもしれない。
 いっぱい妖怪が来るとか言ってたしな。
 俺は、死ぬのか?
「死にませんよ」
 気がつけば、イナバは足を止めていた。
「あなたは死にませんし、死なせません。私が保証します」
「心を読んだのか?」
「ずっと、暗い顔をしていましたから……ごめんなさい」
 ゆっくりと、イナバの髪の毛が二カ所立ち上がった。
 髪の毛と思ったそれはピンと立って、ウサギの耳のように見える。
「人と妖怪がこうして同じ場所に立っている事なんて、普通ならあり得ないことなんです。私も、つい舞い上がっちゃってあ
なたの気持ちを全く考えていませんでした……本当に、ごめんなさい」
「いや、イナバさんは何も悪くないです。どっちかって言えば、そこのミモリが一番悪いような気が……」
「ちょっ! タオルはもう返したじゃないですか! 
 俺の視線を受けて、道の先で待っているミモリが驚いたような顔をする。
「イナバさまも! こんな人間の為に心を痛める必要なんてこれっぽっちだってないんですよ?」
「ミモリ、それじゃダメなのよ」
 イナバがミモリを見て言葉を続ける。
 俺の手を握るイナバの力が、少し強くなったような気がした。
「人間は、私たちと違って生きる事が出来る時間がとても短いの。それ故に、妖怪と人間の常識は大きく食い違っているところがあるわ。私たちが当たり前だと思っている事も、人間たちには理解出来ないことかもしれない
 ミモリは、じれったそうに地面を何度も踏んだ。
時間ギリギリなんですよ? イナバさまの御力を信じられないだなんて、この人間はなんて食わせ物なんでしょうかねぇ
 イナバは俺に向き直って、赤い目で見てきた。
「人間のやりかたで、あなたを無事に帰すと約束がしたいです。どうすればいいですか?」
 本当に、どこまでも真っ直ぐな目だった。
「……じゃあ、指切りでもしませんか」
 俺は、開いてる手の小指を立てて、イナバの前に示してみせた。
 そこは「不思議なところ」としか、俺の語彙じゃ言い表せなかった。
 全体的に、白くて薄いモヤが漂っていた。
 足下はふわふわしていて――あとでイナバに聞いたら「雲の上です」と答えてくれたが――空気が妙に美味しく感じた。
 全ての桜の樹は、白いふわふわから生えていた。
 どれも見上げるくらいに立派な樹で、その全てが満開に咲き誇っていた。
 桜の樹と樹を繋ぐようにして張り巡らされたぼんぼりの光りが、神秘的な雰囲気をより引き立たせている。
 あちこちに大きな岩場が突き出ていて、大きな唐傘が開かれた状態で立っている所もある。
 その岩場の頭頂部には、様々な姿形をしたものたちがいた。
 一つ目でボロボロの袈裟を着た大男に、首がどこまでも伸びる花魁風の美女。
 爪楊枝くらいの大きさの毛むくじゃらに、身体全体が骨になっているオオクジラ。
 下駄はスニーカーとタップダンスをしているし、古事記と書かれた古文書が少年ジャンプと空を飛んでいた。
「すげぇ……こんな所が本当にあるのか」
「桜が咲いているのは今夜だけです。しっかり見て、楽しみましょうっ」
「イナバさま~、私たちの席はこっちですよ~っ」
 少し離れた所にある桜の樹の下で、ミモリが大手を振っていた。
さあ、私たちも行きましょう!
 イナバの言葉に俺は笑顔で頷いて、繋いだままのイナバの手を引いた。
ささのは
作家:ささのは
秋の桜を愛でましょう
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