恋愛部奔走中

目覚ましなどなくても起きる自信はあった。僕の体内時計はいつも正確に時を刻む。頬にフローリングの硬さを感じる。ベッドから転げ落ちたのだろう。まてよ、床にはじゅうたんがひきつめてあるはず。暗闇に別れをつげ目を開けた。

ピンク、グリーン、イエローのパステルカラーに彩られた空間が広がっていた。天地には方眼用紙の道が何本も立体に交差しながら伸びている。どこから飛び出たかのか、鉛筆、ノート、コンパスたちが空中のいたるところに散乱し浮かんでいた。足元に浮かぶ魔術書を拾う。辛うじて持ち込めた物はこれだけだった。

 迷宮は魔術書からイメージしていたものとはかなり異なっていた。起き上がり、慎重に右足を踏み出す。あやうくバランスを崩しそうになった。重力が不安定で体重移動しただけで躰が弾む。無重力とはいかないまでも、バスケットのリングに軽々と手が届きそうなほどジャンプすることができた。

 ジャンプは思わぬ副産物をもたらしてくれた。淡い色彩と浮遊物に気を取られていたが、飛ぶことで方眼用紙の隙間から校舎らしき建物を見つけることができたからだ。僕の現在位置は校庭にまず間違いなかった。校庭といっても、方眼用紙の道が巨大な迷路となって複雑に入り組んでいる。校舎があるということは、校門(出入口?)にたどりつける道もあるはず。由紀を見つけ早く脱出しないといけない。僕は頭をフル回転させていた。

方眼用紙の道を進む。途中、黄色いくまのマスコットをつけた鞄を拾い上げ、文房具を詰めていった。文房具はおそらく由紀が残してくれた目印に違いなかった。

文房具のおかげでいくつかある分かれ道で、惑わされることなく道を選ぶことができた。進んで行くとやがて、東都東高のシンボル「東」マークが飾られた校舎に無事たどりつくことができた。

内部に入る。歩幅が鈍り、重力が通常の状態に戻るのを感じた。パステルカラーの明るい色彩が失われ、ヒンヤリした空気が漂い黒い壁が続く。窓には、ガラスの替りに鏡がはめ込まれていた。鏡に映る蒼い目、とりあえず2年2組の教室に向かった。校舎の造りも僕が通っている高校と全く同じだった。

2年2組の教室の黒板には「自習」の文字、机に座る生徒たちは、斉藤・峰岸・工藤・他数名、眠り病にかかり学校を休んでいる生徒だった。話かけても誰ひとり返事をしてくれない。ここは眠った者が通う学校だった。魂がぬけ落ち永久に肉体だけが留まり続ける場所。僕の席には屋上に現れた、あいつが座っていた。

「おそかったね」

まちくたびれたように金髪にブルーの瞳の奴が、大きなあくびをした。

「どうしてこんなこと」

「ひどいな、ひさしぶりに会えたのに」

「新藤さんは」

「心配ないよ、彼女ならそこにいる」

指さす先に、窓にはめ込まれた無数の鏡があった。鏡の一枚に、由紀が何か叫ぶように口を開き閉じ込められていた。

「新藤さん」

「聞こえないよ」

 奴が笑う。眠り病が学校に蔓延したのは僕のせいなのか。他人と異なることを恐れ、僕は奴を迷宮に閉じ込めた。その結果、閉じ込められた奴が暴走してこんな事態を引き起こしてしまった。

「君は僕だからわかるだろ」

「何が?」

「学校の生徒全員をここに招待する、ありのままの僕を知ってもらう。もう髪や目の色を気にする必要はない。うれしいだろう」

 拳が震え、こみあげてくる怒りを抑えきれなくなっていた。

「怒るなよ、君が望んだことだろう」

「ふざけるな」

 叫ぶと僕は、奴につかみかかった。しかし、下半身がいうことをきかない。両足が床に根をはり、身動きが取れなくなっていた。

「もうすぐ、君もここの生徒になる。心配しないで、後は僕がうまくやる」

 反撃することもできず固まっていく。自業自得、当然の報いだった。己を偽り、他人に見せたくない姿を閉じ込めた。眠り病を蔓延させた罰を受けなければならない。

「さよなら」

 

 奴が教室を出ていく。

 僕に力なんかない。小さい頃からわかっていた。いくら探しても、探しても見つからなかった。他の人と異なるのは髪の毛と目の色、それさえ隠して生きてきた。何の力も持たない平凡な人間だった。それなのにラビリンスに迷いこんでしまったのが運のつき、魔術書も意味をなさない。そもそも読めやしないのだから……僕の全身は完全に石化した。

 

 どこからともなく携帯の着信音が聞こえる。どういうことだろう。石になっても五感は機能していた。

「もしもし、圭介」

 石化で動けないはずの僕に、携帯音声が飛び込む。

「誰?」

「わ・た・し」

 声は知っている。抑揚が異なり、戸惑ってしまったが、間違いない。

「新藤さん」

「半分正解」

 半分正解とはどういう意味、新藤さんは鏡に閉じ込められているはず。

「新藤部長でしょ」

 失っていた記憶のピースが蘇り、ものすごいスピードで齟齬(そご)が解消され、あるべき姿に組みかえられていく。

 

僕は魔術書などもっていない。魔術書は部長の持ち物だから

 

僕には、何の力もない。でも、部長は魔法を扱う能力がある。

 

誰の恋愛に対しても一生懸命で、部員を決して見捨てない人。

 

「目を覚ましなさい圭介!」

 いわれなくても起きる。目覚ましなどいらない。僕の体内時計は正確だ。両目を開く。鏡が一瞬で吹き飛んだ。躰は自由だ。飛び散る破片をくぐり抜け、机を飛び越え、僕は迷わず窓から校庭にダイブした。落下しながら由紀を捜す。後から懐かしい声がした。

「やっと起きた。待ちくたびれた」

背中合わせのまま重力を操り、僕と部長が二階の窓から奴のいる校庭に下降していく。らせん状に回転しながら時間をかけ、パステルカラーに包み込まれる。春のように暖かく、どこまでも優しい世界が続いていた。

 

 

T-99
作家:T-99
恋愛部奔走中
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