方眼用紙の道を進む。途中、黄色いくまのマスコットをつけた鞄を拾い上げ、文房具を詰めていった。文房具はおそらく由紀が残してくれた目印に違いなかった。
文房具のおかげでいくつかある分かれ道で、惑わされることなく道を選ぶことができた。進んで行くとやがて、東都東高のシンボル「東」マークが飾られた校舎に無事たどりつくことができた。
内部に入る。歩幅が鈍り、重力が通常の状態に戻るのを感じた。パステルカラーの明るい色彩が失われ、ヒンヤリした空気が漂い黒い壁が続く。窓には、ガラスの替りに鏡がはめ込まれていた。鏡に映る蒼い目、とりあえず2年2組の教室に向かった。校舎の造りも僕が通っている高校と全く同じだった。
2年2組の教室の黒板には「自習」の文字、机に座る生徒たちは、斉藤・峰岸・工藤・他数名、眠り病にかかり学校を休んでいる生徒だった。話かけても誰ひとり返事をしてくれない。ここは眠った者が通う学校だった。魂がぬけ落ち永久に肉体だけが留まり続ける場所。僕の席には屋上に現れた、あいつが座っていた。
「おそかったね」
まちくたびれたように金髪にブルーの瞳の奴が、大きなあくびをした。
「どうしてこんなこと」
「ひどいな、ひさしぶりに会えたのに」
「新藤さんは」
「心配ないよ、彼女ならそこにいる」
指さす先に、窓にはめ込まれた無数の鏡があった。鏡の一枚に、由紀が何か叫ぶように口を開き閉じ込められていた。
「新藤さん」
「聞こえないよ」
奴が笑う。眠り病が学校に蔓延したのは僕のせいなのか。他人と異なることを恐れ、僕は奴を迷宮に閉じ込めた。その結果、閉じ込められた奴が暴走してこんな事態を引き起こしてしまった。
「君は僕だからわかるだろ」
「何が?」
「学校の生徒全員をここに招待する、ありのままの僕を知ってもらう。もう髪や目の色を気にする必要はない。うれしいだろう」
拳が震え、こみあげてくる怒りを抑えきれなくなっていた。
「怒るなよ、君が望んだことだろう」
「ふざけるな」
叫ぶと僕は、奴につかみかかった。しかし、下半身がいうことをきかない。両足が床に根をはり、身動きが取れなくなっていた。
「もうすぐ、君もここの生徒になる。心配しないで、後は僕がうまくやる」
反撃することもできず固まっていく。自業自得、当然の報いだった。己を偽り、他人に見せたくない姿を閉じ込めた。眠り病を蔓延させた罰を受けなければならない。
「さよなら」
奴が教室を出ていく。
僕に力なんかない。小さい頃からわかっていた。いくら探しても、探しても見つからなかった。他の人と異なるのは髪の毛と目の色、それさえ隠して生きてきた。何の力も持たない平凡な人間だった。それなのにラビリンスに迷いこんでしまったのが運のつき、魔術書も意味をなさない。そもそも読めやしないのだから……僕の全身は完全に石化した。
どこからともなく携帯の着信音が聞こえる。どういうことだろう。石になっても五感は機能していた。
「もしもし、圭介」
石化で動けないはずの僕に、携帯音声が飛び込む。
「誰?」
「わ・た・し」
声は知っている。抑揚が異なり、戸惑ってしまったが、間違いない。
「新藤さん」
「半分正解」
半分正解とはどういう意味、新藤さんは鏡に閉じ込められているはず。
「新藤部長でしょ」
失っていた記憶のピースが蘇り、ものすごいスピードで齟齬(そご)が解消され、あるべき姿に組みかえられていく。
僕は魔術書などもっていない。魔術書は部長の持ち物だから。
僕には、何の力もない。でも、部長は魔法を扱う能力がある。
誰の恋愛に対しても一生懸命で、部員を決して見捨てない人。
「目を覚ましなさい圭介!」
いわれなくても起きる。目覚ましなどいらない。僕の体内時計は正確だ。両目を開く。鏡が一瞬で吹き飛んだ。躰は自由だ。飛び散る破片をくぐり抜け、机を飛び越え、僕は迷わず窓から校庭にダイブした。落下しながら由紀を捜す。後から懐かしい声がした。
「やっと起きた。待ちくたびれた」
背中合わせのまま重力を操り、僕と部長が二階の窓から奴のいる校庭に下降していく。らせん状に回転しながら時間をかけ、パステルカラーに包み込まれる。春のように暖かく、どこまでも優しい世界が続いていた。