舐め取った張本人は、なにか悪いことでもしたのか、ときょとんとしているからなおさらタチが悪い。
「?もったいないだろう?」
「・・・そうだな、うん」
でも他の奴にはあんまりこんなことしない方がいいぞ。特に女子には。と心の中で少しばかり樫原のことが心配になった。
米粒一つまでキレイに食べてくれるのはとても嬉しいけど。
ちら、と横目で樫原を見ると彼はすでに三つ目のおにぎりに夢中だった。
マイペースなのかなんなのか。先ほどの行動も他の奴だったら気持ち悪すぎて非難の言葉を浴びせていた。
樫原にももちろんそのつもりで口を開けば相手は本当に悪気なくした行動だったものなのだから、一気に毒気をぬかれてしまった。怒るに怒れなかった。
樫原はいまだおにぎりに夢中でこちらなど一瞥もしない。
なんだかなぁ・・・。と、もやもやしたまま空を見上げる。
快晴。どこまでも続く空は青く、吹きぬけてくる風が心地よい。
隣にいる樫原とは出会ったばかりで、その出会いも決していいものではなかったのに。不思議と居心地が悪くない。
互いに無言になってもその空白が気まずくない。
本当に不思議な奴だ。
そうぼんやり思っていると、遠くで昼休みの終りを告げるチャイムが聴こえた。
「やば、そろそろ戻ろう、樫原」
と瀬戸が立ち上がりかけた、その腕を樫原が掴んだ。
「・・・」
「どうした?」
樫原を見上げる形で視線を合わす。その眼が冷たいものではないと、瀬戸にはわかった。
「・・・おにぎり、おいしかった。ありがとう」
樫原は少しだけ、ほんの少しだけ微笑んでそう言うと、その手を離し屋上を後にした。
「・・・はは、なんだよ。笑えんじゃん」
胸の内が温かくなるのを瀬戸は感じて、ひとり笑った。
それからというもの、何度か瀬戸と樫原はなぜかちょくちょく屋上で一緒に昼食をとった。
お互い、あまり話すことはなかったが、それが逆に心地よく、気を使うこともなかったので二人で食べる回数は日を増すことに増えていった。
それからさらに数日後。部活が終わり、瀬戸が部室で制服に着替えているときだった。
「なぁ、瀬戸知ってるか?」
同級生の友人がにやにやしながら話しかけてくる。彼のこの表情ははたいてい変なうわさを聞き付けた時にする顔だ。友人は大のうわさ好きだった。
「何をだよ?」
とりあえずは聞き返す。
「旧校舎に幽霊がでるってうわさだよ」
「・・・お前ほんっとにそーいうの好きだな」
はぁぁ、とため息が出る。瀬戸は友人とは逆にそういう不可思議な現象は信じない性格だった。
「おいおい、これは結構マジなんだって。つか今日一緒に見にいかね?」
「はあ!?やだよ、めんどくさい。それにお前のマジは信用ならん」
「まぁ、そういうなよ。その幽霊が現れるのが夜の7時ごろなんだよ、今から行けば見れる!」
「いやだからなに。俺は帰りますー」
バタンと、ロッカーを閉めて友人を無視して帰ろうとする瀬戸に
「あー・・・瀬戸君ほんとはお化けが怖いんでしょー」
と、背後からふっかけてくるが瀬戸は無視を決め込む。
するとさらに、大きな声で
「せっとくんはぁー、ほんとはお化けが怖くてしかな、ぐえっ!」
・・・こいつは。
こんなたやすい挑発に乗りたくはなかったが、このうるさい口をふさがないとあらぬ事実が周りに伝わってしまう。部室にはまだチームメイトがひしめき合っている。
友人の大声のせいで、何人かこっちを向いてにやにやしている。最悪である。
「おいおい、何を言ってくれるのかな君は?ん?」
「イタイイタイ!なぁ、頼むよ一度でいいからさ、見に行こうぜ」
「あーもうわかったよ、だけど一回きりだからな」
結局折れたのは瀬戸だった。
『うわさでは、夜の七時ごろ旧校舎のとある教室から青白い光が光っては消えを繰り返すんだと』
と、ここにいない友人の声を思い出す。
「あいつ・・・ほんといい加減にしろよな・・・」
瀬戸は怒り半分、呆れ半分で呟いた。
いざ、旧校舎に入らんと気合十分で先頭を歩いていた友人は、入る直前カラスの鳴き声にビビり、一目散に逃げ帰ったのだ。
瀬戸自身もともと行く気はなかったのですぐ引き返す予定だったのだが、なぜか気がつくと旧校舎に足を踏み入れていた。
旧校舎も一度は改築して新校舎にするはずだったらしいが、結局予算の関係でほったらかしの状態だった。
「やっぱ、ほこり臭いな・・・」
誰も入ることなく、そのままにされていたので校舎はほこりっぽく少し咳込む。
窓の外は、だいぶ日が落ちてきていた。夕闇に宵の明星が輝いている。
「そろそろ時間だな」
瀬戸のつけている腕時計の針が七時を指そうとしていた。そして、針が七時を指した瞬間瀬戸の視界が一変した。
「!」
突然、目の前の風景が歪みだす。
「なっ・・・」
瀬戸は立っていられなくなり床に膝をついた。目の前の風景がチカチカと点滅して、視界が真っ暗になる。
赤い月。誰もいない街。その先に見えるのは―――・・・
本格的に自分の今いる場所が分からなくなり、意識が飛びそうになったその時、目も冴えるような青が視界に飛び込んできた。
意識がはっきりして、別の風景も、床のうねりも消えた。
「マジか・・・」
青い光を放っていたのは瀬戸のいる場所から数メートル先の科学室からだった。
まるで誘われるように足が勝手に科学室へと向かっていた。
うわさ通り、科学室からその青い光は光っては消えを繰り返していた。しかし、その光はとても優しくて、なぜか瀬戸には温かく感じられた。
科学室の扉に手をかける。不思議と怖さはなかった。
ガラガラ、と思ったより大きな音をたてて扉が開く。そして青い光の正体は目の前に映っていた。
「なんだ、これ・・・」
瀬戸はふらふらと、それに近づいていく。それは今まで見たこともない機械だった。
一人掛けの座席を背後を囲むようにして白いボディの装置が設置され、座席の正面と左右には青いパネルがいくつも浮かんでいる。そのひとつひとつはまるでパソコンのウィンドウのように見える。
「すごい・・・」
まさに未知の機械とでもいうのだろうか。瀬戸にはそうとしか表現できなかった。
瀬戸はそれに触れようと指先を近づけあと数センチの処で、誰かに腕を掴まれた。
「・・・触るな」
「っ!」
低く、冷たい声が鼓膜を震わし、掴まれた腕は折れそうなほど力をかけられていた。
「ここは立ち入り禁止のはずだ。君はなんでここにきたのか、答えろ」
語気は強く、だが感情は決して読み取らせないようなそんな声。
しかし、その台詞に覚えがあった。既視感、とでもいうのだろうか。
「・・・樫原?」
その声を聞いて背後の人物がわずかに息をのんだ。そして、掴んでいた腕から力を抜いた。
「なんで、また君はこんなところにいるんだ・・・瀬戸」
振り返るとやはりそこにいたのは樫原だった。
「樫原こそなんでー・・・っ!!」
「瀬戸!?」
樫原を見た瞬間頭に激しい痛みが瀬戸に襲いかかり、そのまま意識を飛ばしてしまった。
そして―――再び瀬戸はあの廃墟の街にいた。
またここか、と瀬戸はため息をついた。こころなしか以前よりも落ち着いて周りが見れていた。
「樫原に出会った日、以来だな。夢に見るのは」
周りを見渡すとやはり瀬戸以外、誰もいなかった。建物の中も前回と同じく真っ暗で何も見えない。
雨もかわらず瀬戸を濡らすことなくざあざあと降り続けていた。
「・・・今度こそ、あの人が誰なのか、わかるかな」
前を見据える。やはり、赤い月が昇っている。そして、その先には、『あの人』がいた。
そこから急に時間が動き出す。だが、その場所にいる瀬戸の時間は動かない。まるで映画を見ているような感覚に陥った。
「あれは・・・前の俺・・・?」
瀬戸の数歩先、必死に手を伸ばし叫ぶ、『もう一人の瀬戸』がそこにいた。
『待ってくれ、君は一体誰なんだ!!』
映画のワンシーンのようだった。
「前はここで、夢が覚めたんだよな・・・」
そして場面が切り替わり、前回では見られなかった場所に瀬戸はいた。
依然、目の前には赤い月と、『あの人』がいた。だが、前よりもかなり距離が近づいている。
「・・・男の人なのか?」
『あの人』は前回と同じく瀬戸に背を向けていたが、背丈でなんとなく男だと判断できた。
男は手に何かを持っていた。黒くて、重厚なそれは機関銃だった。
ざり、と瀬戸は一歩踏み出した。
もしかしたら、今なら声が届くかもしれない。
「なぁ、ここはどこなんだ!あんたはいったい―」
すべてを言いきる前に、再び時が動き出す。まただ、また『あの人』が誰かわからないまま―・・・
前回同様視界が眩みだしたその時、『あの人』が動きをみせた。
ゆっくりと、まるで瀬戸の声が届いたかのようにその声に応じるかのように振り返ったのだ。
だが、瀬戸はその貌を見ることはかなわなかった。『あの人』が振り返ると同時に、瀬戸の意識は途切れた。