ひねもすのたり

ある妄想

ある尊敬する人が、私がひきこもりで貧乏であることを知りながら「こういう催しがあるから来てください。来れば分ります。生きづらさを分かち合いましょう」というような無理難題を呼び掛けていた。私は以前にその人が書いた読めもしない本を買ったことがある。私はその人の立派さを知っていて買っていたが、さすがに体調から言っても懐具合から言ってもその催しには行けないと思っている。それってまるでカルト宗教みたいだ。彼はそうやってひとを踏み台にし生き残っているというのか。要するに私は、「人生は所詮ゼロサムゲーム、サバイバルゲームなのか?」というような青臭い哲学的な疑問にぶち当たっていた。私は妄想の中で思った。「そう言えば今までに友人を何人も自殺で亡くして来たよなあ。私も彼らを踏み台にして生き残ってきたのか?」。そんな疑問に答えなどあるはずもないが、私はその人の呼びかけをやはり無視するしかないと思ったが、一方で体調がいい時に、おカネがある時にそのうち行ってみようか。などとも考える。人生はサバイバル、しかもゼロサムゲーム。私はその妄想にしばらくとりつかれていた。

柳美里著「命」入手

柳美里さんの「命」入手。数ページ読んで「これはいわゆる『重い』読書になるな」と感じた。別に悪い意味ではなく。

あるいは「重い」という言葉は不適切かもしれない。久しぶりに読み応えのあるという意味だ。もちろん読書は読みごたえがあった方がいいと思うが、私が読書らしい読書をすること自体がひさしぶりだから。

またよりによってプロ野球セ・リーグは巨人のマジックが1での同点。今夜にもリーグ優勝が決まるという日だ。
精神病の私はそれでなくても寝不足で今夜は早寝しようと思っていたところだった。
正直言って私にはこの読書は最後まで読み通すだけの精神力はないかもしれない。命.jpg

柳美里著「命」途中経過~たかが人生

まだ44頁しか読んでいないと言うよりも、この人はこれ以上何が書きたいのか?そしてそのほかにも同じような何冊もの本を書いて何になるのか、いつも死を考えている53歳の私には正直理解できなかった。理解できないというのは文字通りで決してその人を否定しているのではなく、私の頭が悪いということでもあり、また一方で「もういいじゃないか」という人生のすべてを諦めて今にも死のうとしている一人の男の正直な気分でもある。「どっちでもいいじゃあないか。視野が狭いなあ」というのが私の感想のすべてでもあり、またおごりでもある。あるいは彼女からすれば「馬鹿にするな!」と、こんな感想文を書く私を罵倒すべきでもあろうと思う。しかしそれが私の人生観であり死生観である。たかが命、あるいは人生なのだ。やれ男と女の痴話喧嘩だの妊娠そして産むべきかどうかだの、あるいは末期がんだの、裁判だの。主人公は何を大騒ぎをしているのか?まあ30歳そこそこの女性はそんなものかもしれない。いかにも視野が狭い。本当に自身の人生を諦められないのも無理はないかもしれないが。まあそれが著者の意図かもしれない。つまり本書の意図はと言うかこの人の仕事のすべては読者の人生観を軽やかにすることかもしれない。そういう意味では私は44頁まで読んだところで、まんまと著者の意図にはまり込んだということかもしれない。しかしだとすれば、この作家の仕事はこの時点で終わっているはずで、さらに延々と作品を書き続けることには何の意味もないし、もちろん読むことにも意味がないだろう。娯楽作品としても人生を真剣に考える上でもこの著者の仕事はすでに終わっていると言わざるを得ないのだ。

私の暮らしぶり~「命」80頁まで

柳美里さんの小説「命」の80頁くらいまで読み進んだ。

私がまとまって(と言えるかどうか?)読書をするのは何年か前の村上春樹氏の「1Q84 BOOK1」以来だと思うが、柳美里さんの本を読んでいると不思議と、彼女が「私の人生のすべてを知って!」と言っているような感覚に襲われる。

私は彼女の著書を読むのは初めてで、彼女のことはほとんどtwitterでfollowしているくらいで名前すら本名かどうかも知らない。彼女が「命」の中で書いていることのどこが事実でどこがフィクションなのかも分る筈もなく、私が「じゃああなたもぼくのことを知ってください」と書いたところで彼女が私の書いた文章を読んでくれるとももちろん思えない。

あるいはそういう感覚は、普通の言葉で言って錯覚か、あるいは私の病気のせいかもしれない。まあどちらか、あるいはその両方だろうが、少しだけ今の私の暮らしぶりだけを書いておこう。

私はもうほぼ何年も自宅から一歩も出ておらず、一日中たばこの煙で汚れた自室でカーテンもすべて閉め切った暮らしをしており、両親とも主治医ともまったく口を利かない。食事もほとんど自室で摂り、睡眠のリズムも滅茶苦茶で、入浴も歯磨きもめったにせず、ただ多量の向精神薬とコーラとアクエリアスをがぶ飲みし、歯もほとんど無く、眼も何かの病気なのか老眼鏡なしではほぼ見えず、片耳も難聴気味。そのほか医者には行けないので何病かは分らないが年中具合が悪く、ただラジオとパソコンのみで暮らしている53歳の独身男性だ。

およそ20年前に精神病院に入院していた時に結婚していたこともあったが、双方に子供もおらず、当時の妻がその後どうしているかは知らない。とにかく記憶障害なので思い出せることは少ないが、大学中退以来精神病の生活で、働いたこともない。やはり精神病の妹は今はどこでどうしているかも私は知らない。

「命」も通信販売で入手した。友達はひとりもおらず、近所づきあいも親戚づきあいもまったくない。自分の寿命が尽きるのをただ待っている。

もういいだろう。私はそういう人間だ。

篠田 将巳(しのだまさみ)
作家:shinoda masami
ひねもすのたり
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