ひねもすのたり

油揚げの味噌汁の味

誰が言ったか忘れましたが我が家では食べ物に文句を言ってはいけないことになっています。たぶん今では老いた父が言ったのだろうと思います。要するに贅沢を言ったり食べ物を粗末にしたりしてはいけないという如何にも戦中派らしい考え方ですね。別に私は父にへつらうつもりは毛頭ありませんが、一応その「きまり」を守ってきたつもりです。そして私は油揚げの味噌汁が好物です。ところがその油揚げの味噌汁をもう何年も食べたことがないのです。理由は分りません。そして私は外食が一切できないひきこもりで、食事はもっぱら母が作ってくれます。私はただ黙って食卓に好物の油揚げの味噌汁が出てくるのを待ち続けています。油揚げをたまにでも買えないほど我が家におカネがないとも思えないのです。とにかく理由が分らない。そして私は来る日も来る日も、今日こそは油揚げかなと、待っているのです。
 
そして意を決してその晩、私はA4の紙に母でも読めるように36ポイントの文字で「たまには 油揚げの味噌汁が 食べたい」とパソコンのプリンターで印刷した紙をさりげなく階段のところに置いておきました。母がいつそれに気づいていつ材料などを用意したのかは知る由もありませんが、翌日の朝食にはすでに油揚げとわかめの味噌汁が黙って出されたのです。私は嬉しそうな顔一つも見せずにいつも通り黙って朝食を食べましたが、何年振りかでその実に美味な味噌汁を味わいました。
 
というわけで、徹頭徹尾いい歳をしてお恥ずかしい話ですが、この話は終りです。
 

ある妄想

ある尊敬する人が、私がひきこもりで貧乏であることを知りながら「こういう催しがあるから来てください。来れば分ります。生きづらさを分かち合いましょう」というような無理難題を呼び掛けていた。私は以前にその人が書いた読めもしない本を買ったことがある。私はその人の立派さを知っていて買っていたが、さすがに体調から言っても懐具合から言ってもその催しには行けないと思っている。それってまるでカルト宗教みたいだ。彼はそうやってひとを踏み台にし生き残っているというのか。要するに私は、「人生は所詮ゼロサムゲーム、サバイバルゲームなのか?」というような青臭い哲学的な疑問にぶち当たっていた。私は妄想の中で思った。「そう言えば今までに友人を何人も自殺で亡くして来たよなあ。私も彼らを踏み台にして生き残ってきたのか?」。そんな疑問に答えなどあるはずもないが、私はその人の呼びかけをやはり無視するしかないと思ったが、一方で体調がいい時に、おカネがある時にそのうち行ってみようか。などとも考える。人生はサバイバル、しかもゼロサムゲーム。私はその妄想にしばらくとりつかれていた。

柳美里著「命」入手

柳美里さんの「命」入手。数ページ読んで「これはいわゆる『重い』読書になるな」と感じた。別に悪い意味ではなく。

あるいは「重い」という言葉は不適切かもしれない。久しぶりに読み応えのあるという意味だ。もちろん読書は読みごたえがあった方がいいと思うが、私が読書らしい読書をすること自体がひさしぶりだから。

またよりによってプロ野球セ・リーグは巨人のマジックが1での同点。今夜にもリーグ優勝が決まるという日だ。
精神病の私はそれでなくても寝不足で今夜は早寝しようと思っていたところだった。
正直言って私にはこの読書は最後まで読み通すだけの精神力はないかもしれない。命.jpg

柳美里著「命」途中経過~たかが人生

まだ44頁しか読んでいないと言うよりも、この人はこれ以上何が書きたいのか?そしてそのほかにも同じような何冊もの本を書いて何になるのか、いつも死を考えている53歳の私には正直理解できなかった。理解できないというのは文字通りで決してその人を否定しているのではなく、私の頭が悪いということでもあり、また一方で「もういいじゃないか」という人生のすべてを諦めて今にも死のうとしている一人の男の正直な気分でもある。「どっちでもいいじゃあないか。視野が狭いなあ」というのが私の感想のすべてでもあり、またおごりでもある。あるいは彼女からすれば「馬鹿にするな!」と、こんな感想文を書く私を罵倒すべきでもあろうと思う。しかしそれが私の人生観であり死生観である。たかが命、あるいは人生なのだ。やれ男と女の痴話喧嘩だの妊娠そして産むべきかどうかだの、あるいは末期がんだの、裁判だの。主人公は何を大騒ぎをしているのか?まあ30歳そこそこの女性はそんなものかもしれない。いかにも視野が狭い。本当に自身の人生を諦められないのも無理はないかもしれないが。まあそれが著者の意図かもしれない。つまり本書の意図はと言うかこの人の仕事のすべては読者の人生観を軽やかにすることかもしれない。そういう意味では私は44頁まで読んだところで、まんまと著者の意図にはまり込んだということかもしれない。しかしだとすれば、この作家の仕事はこの時点で終わっているはずで、さらに延々と作品を書き続けることには何の意味もないし、もちろん読むことにも意味がないだろう。娯楽作品としても人生を真剣に考える上でもこの著者の仕事はすでに終わっていると言わざるを得ないのだ。

篠田 将巳(しのだまさみ)
作家:shinoda masami
ひねもすのたり
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