ひねもすのたり

NHKラジオ放送の不適切内容について~2012年9月2日23時台のラジオ第一放送

23時台の当放送はその内容において通称「潔癖症」と呼ばれる精神障害を持つ者の人権を広くかつ著しく侵害したと思う。具体的には潔癖症がまるで本人の心がけや努力などで治せるかのような誤解に基づく放送をし、精神障害者を広くかつ著しく叱責するなどして、その人権を侵害し差別に当たるような放送をしたと思う。当然そのことによって当該精神障害者の心情を広く傷つけ、障害者差別に当たるような放送をしたと思う。また広く世間一般に精神障害に関しての誤解を与えたと思う。


上記とほぼ同じ内容の文章をNHK(日本放送協会)およびBPO(放送倫理・番組向上機構)に送付致しました。

最新型エアコンとその工事人

この夏自室のエアコンを新しくすることにしました。

ひとつの理由は近年の異常気象が心配になってきて、暑くなるにしろ寒くなるにしろ強力なエアコンが欲しくなったということ。もうひとつはもちろんより省エネタイプへの買い替えという意味です。

ちょうど7年ぶりのエアコンの買い替えはもちろん2012年型のかなり強力な、しかも超省エネタイプのものを選びました。
全財産を使えば自分のカネで買うことも出来たのですが、父に打診したところ工事費込みで15万円までなら出してくれると言うので、はじめはなるべく近所の電気店で工事費込みのものにしようと思っていたのですが、そうすると狙いの5.6kwタイプでそれなりとなると20万円近くするので、方針を変更しました。つまり本体はインターネット通販で激安を買い、工事は昔頼んだところに別発注にすることにしたのです。
結局、T社のものを10万円弱で買い、工事費は4万円弱だった。
この工事屋さんが年配の男性なのだが(それでも7年ぶりに来た彼に訊いたら60代半ばということ)、私は7年前の時の彼の仕事ぶりと垣間見えた人間性が気に入っていた。一見のろくてぐずぐずしているように見えるのだが、終わってみると確実に完璧にほぼ時間どおりにピタリと決めて見せるところが実にベテランらしく、かと言ってもちろん最新型の機種についての知識も万全で、一方人間的にも一風変わっていて、実に飄々(ひょうひょう)と自分の仕事を楽しんでいるように見えた。私はそういう彼の人間性が気に入っていたので、実は工事会社は私の家から結構遠いのですが、わざわざ出張料を払ってまで彼に頼むことにしたのです。
そういうわけで今回も彼の仕事は完璧で相変わらず飄々としたものでした。「この機種は超省エネだよ」と言いながら、仕事を終えた彼は疲れた様子も見せずに「じゃあまた7年後!」という台詞を残し、そして私は「がんばってください!」と返して、飄々と帰って行きました。

しかし私の自室(5畳ほどの洋間)には18畳用の5.6KWのエアコンは、彼が帰ってからいろいろとやっているのですが、今度は試されているのは私の使い方というか新しい機械の調子を伺いながらの腕の方で、少し慣れるまでかかりそうな気配であるのです。

私は、まるであのベテラン工事人が「あんちゃん、ちゃんと使いこなせるかい?」と笑っているような気がしているのでした。

 

油揚げの味噌汁の味

誰が言ったか忘れましたが我が家では食べ物に文句を言ってはいけないことになっています。たぶん今では老いた父が言ったのだろうと思います。要するに贅沢を言ったり食べ物を粗末にしたりしてはいけないという如何にも戦中派らしい考え方ですね。別に私は父にへつらうつもりは毛頭ありませんが、一応その「きまり」を守ってきたつもりです。そして私は油揚げの味噌汁が好物です。ところがその油揚げの味噌汁をもう何年も食べたことがないのです。理由は分りません。そして私は外食が一切できないひきこもりで、食事はもっぱら母が作ってくれます。私はただ黙って食卓に好物の油揚げの味噌汁が出てくるのを待ち続けています。油揚げをたまにでも買えないほど我が家におカネがないとも思えないのです。とにかく理由が分らない。そして私は来る日も来る日も、今日こそは油揚げかなと、待っているのです。
 
そして意を決してその晩、私はA4の紙に母でも読めるように36ポイントの文字で「たまには 油揚げの味噌汁が 食べたい」とパソコンのプリンターで印刷した紙をさりげなく階段のところに置いておきました。母がいつそれに気づいていつ材料などを用意したのかは知る由もありませんが、翌日の朝食にはすでに油揚げとわかめの味噌汁が黙って出されたのです。私は嬉しそうな顔一つも見せずにいつも通り黙って朝食を食べましたが、何年振りかでその実に美味な味噌汁を味わいました。
 
というわけで、徹頭徹尾いい歳をしてお恥ずかしい話ですが、この話は終りです。
 

ある妄想

ある尊敬する人が、私がひきこもりで貧乏であることを知りながら「こういう催しがあるから来てください。来れば分ります。生きづらさを分かち合いましょう」というような無理難題を呼び掛けていた。私は以前にその人が書いた読めもしない本を買ったことがある。私はその人の立派さを知っていて買っていたが、さすがに体調から言っても懐具合から言ってもその催しには行けないと思っている。それってまるでカルト宗教みたいだ。彼はそうやってひとを踏み台にし生き残っているというのか。要するに私は、「人生は所詮ゼロサムゲーム、サバイバルゲームなのか?」というような青臭い哲学的な疑問にぶち当たっていた。私は妄想の中で思った。「そう言えば今までに友人を何人も自殺で亡くして来たよなあ。私も彼らを踏み台にして生き残ってきたのか?」。そんな疑問に答えなどあるはずもないが、私はその人の呼びかけをやはり無視するしかないと思ったが、一方で体調がいい時に、おカネがある時にそのうち行ってみようか。などとも考える。人生はサバイバル、しかもゼロサムゲーム。私はその妄想にしばらくとりつかれていた。

篠田 将巳(しのだまさみ)
作家:shinoda masami
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