「世間を歩くときは仮面をつけて行け。むやみに人と争うことはない。」これは20世紀の巨星、oshoの言葉であるが、私たちは大人になるごとにこういった処世術を身につけてゆくものだろう。つまり「ウラとオモテ」である。
ところで、精神科医のきたやまおさむ氏は、著書「帰れないヨッパライたちへ」の中で、人間には「オモテ」と「ウラ」があり(いわゆる本音と建前のこと?)、その「ウラ」を置いておける、預かってくれる第二者が必要、つまり居場所がなければ人は生きられないと言う。私にはまさにその第二者がない。精神科医が(守秘義務もあるから)第二者になり得るだなんて何の幻想を彼は語っているのか?たとえば私は主治医には「ウラ」を預かっておける存在としての価値がないと思い、もう何年も主治医と会っていない。もちろん友人も一人も居ない。そういう意味でも私は「完全に」孤独なのである。つまり、きたやま氏に言わせれば私には第二者が居らず、生きていられないのである。
第二者の居ない者は(と言うか誰でもそうなのだが)何らかの依存症になるのかもしれない。たとえば私は処方薬に依存し、ラジオに依存し、twitterなどコンピュータに依存するなどして生きている。つまり人間にとって、悟りでも開かない限り、第二者などあり得ないのだ。依存は生きる上で必須というか必ず付きまとうものなのだ。逆に言えば生きるということは依存するということなのだ。
この夏自室のエアコンを新しくすることにしました。
ひとつの理由は近年の異常気象が心配になってきて、暑くなるにしろ寒くなるにしろ強力なエアコンが欲しくなったということ。もうひとつはもちろんより省エネタイプへの買い替えという意味です。
ちょうど7年ぶりのエアコンの買い替えはもちろん2012年型のかなり強力な、しかも超省エネタイプのものを選びました。
全財産を使えば自分のカネで買うことも出来たのですが、父に打診したところ工事費込みで15万円までなら出してくれると言うので、はじめはなるべく近所の電気店で工事費込みのものにしようと思っていたのですが、そうすると狙いの5.6kwタイプでそれなりとなると20万円近くするので、方針を変更しました。つまり本体はインターネット通販で激安を買い、工事は昔頼んだところに別発注にすることにしたのです。
結局、T社のものを10万円弱で買い、工事費は4万円弱だった。
この工事屋さんが年配の男性なのだが(それでも7年ぶりに来た彼に訊いたら60代半ばということ)、私は7年前の時の彼の仕事ぶりと垣間見えた人間性が気に入っていた。一見のろくてぐずぐずしているように見えるのだが、終わってみると確実に完璧にほぼ時間どおりにピタリと決めて見せるところが実にベテランらしく、かと言ってもちろん最新型の機種についての知識も万全で、一方人間的にも一風変わっていて、実に飄々(ひょうひょう)と自分の仕事を楽しんでいるように見えた。私はそういう彼の人間性が気に入っていたので、実は工事会社は私の家から結構遠いのですが、わざわざ出張料を払ってまで彼に頼むことにしたのです。
そういうわけで今回も彼の仕事は完璧で相変わらず飄々としたものでした。「この機種は超省エネだよ」と言いながら、仕事を終えた彼は疲れた様子も見せずに「じゃあまた7年後!」という台詞を残し、そして私は「がんばってください!」と返して、飄々と帰って行きました。
しかし私の自室(5畳ほどの洋間)には18畳用の5.6KWのエアコンは、彼が帰ってからいろいろとやっているのですが、今度は試されているのは私の使い方というか新しい機械の調子を伺いながらの腕の方で、少し慣れるまでかかりそうな気配であるのです。
私は、まるであのベテラン工事人が「あんちゃん、ちゃんと使いこなせるかい?」と笑っているような気がしているのでした。