ひねもすのたり

記憶障害の怖さ

私のこの約20年近くの記憶は非常に曖昧で不確かで、場合によってはスッポリ抜け落ちている。原因はいくつかると思う。時期的にそれまで書いていた日記を書くのをやめたこととパソコンを始めたことがある。それにもちろん加齢である。たとえば、私にとっての命綱である薬を飲んだかどうかまるで覚えていないので、毎日一日分の薬を並べて置いておき、そして飲んだ薬のカラはその日が終わるまで絶対に捨てない。そして毎晩寝る前に翌日の分を並べておく。ものを片づけられないうえにどこに置いたかすぐに忘れてしまうのですでに持っているものを何度も買ったりする。そのようなことの繰り返しである。薬の例でもわかるように、このような記憶障害は少し大げさに言えば命にさえ関わり、記憶力の良い人と比べれば金銭的にも非常に不利であろうと思う。金銭的なことはともかく命に関わるとなると笑いごとでは済まないのだ。日常のことで言えばたとえば今日が何月何日の何曜日かなんて、コンピュータの電源を入れないと分らないし、湾岸戦争とイラク戦争とアフガニスタンで何かあったのがいつ頃の出来事なのかっさっぱり分らない。この文章に書こうと思ったこともすぐに忘れてしまう。主治医にももうずっと昔に相談したのだが、医者は忙しいし、医者の前で何を相談すべきだったかも忘れてしまうのでやはり笑いごとで済まされてしまった。記憶障害というのはそのように怖い病気である。

youtube stereo 秋の虫の音 AT9941+PJ-20 2012年8月22日未明JST Tokyo city

MC1208220000142.mp3

愛の人

祖母が従姉が大学の寮に入るときに、従姉が「(同室になる人が)いい人ならいいんだけど」とふと言ったら、祖母は私の従姉、つまり孫に「悪い人なんて居ないよ」と優しくつぶやくように言ったそうです。
ご自分が苦しいのは察しますが、かと言って人の悪口を言うのはあまりにも安直過ぎる。世の中そういう安直な人だらけだなあ。要するに想像力の貧しい人が多く居るんだなあ。結局人間の優しさって、想像力の豊かさの問題なんだろう。
究極の愛の人は、決して人を批判しないだろう。

祖母の思い出

私の母の実家は新潟県です。そしてそこにずっと住んでいたもう10年以上前に亡くなった私の祖母の思い出です。祖母と一緒に暮らしていた私の従姉(いとこ)が大学の寮に入るときに、従姉が「(同室になる人が)いい人だったらいいんだけど」とふと言ったら、祖母は私の従姉、つまり自分の孫に「悪い人なんて居ないんだよ」と優しくつぶやくように言ったそうです。もうずいぶん昔のことですが、今でもその言葉が私の大切な言葉として心の中に残っています。あるいは何でもないことかもしれませんが、優しかった祖母の思い出です。祖母は90歳を超えて生きて、最期は自宅で私の伯父(つまり祖母にとっての息子)やいとこ(同・孫)に囲まれての大往生だったと聞いています。私は病気で暇だったこともあり、20代の頃2、3週間ほどその母の実家でほとんど祖母と二人で過ごした思い出もあります。新潟のコメ農家に嫁ぎ、ほとんど一生そこで生きた祖母。昔のことですからずいぶん苦労の多かった人生だったと思います。私も祖母のように老いてもなお純粋なこころを持ち続け、祖母のような人生を生きたいものだと思います。
篠田 将巳(しのだまさみ)
作家:shinoda masami
ひねもすのたり
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