「世間を歩くときは仮面をつけて行け。むやみに人と争うことはない。」これは20世紀の巨星、oshoの言葉であるが、私たちは大人になるごとにこういった処世術を身につけてゆくものだろう。つまり「ウラとオモテ」である。
ところで、精神科医のきたやまおさむ氏は、著書「帰れないヨッパライたちへ」の中で、人間には「オモテ」と「ウラ」があり(いわゆる本音と建前のこと?)、その「ウラ」を置いておける、預かってくれる第二者が必要、つまり居場所がなければ人は生きられないと言う。私にはまさにその第二者がない。精神科医が(守秘義務もあるから)第二者になり得るだなんて何の幻想を彼は語っているのか?たとえば私は主治医には「ウラ」を預かっておける存在としての価値がないと思い、もう何年も主治医と会っていない。もちろん友人も一人も居ない。そういう意味でも私は「完全に」孤独なのである。つまり、きたやま氏に言わせれば私には第二者が居らず、生きていられないのである。
第二者の居ない者は(と言うか誰でもそうなのだが)何らかの依存症になるのかもしれない。たとえば私は処方薬に依存し、ラジオに依存し、twitterなどコンピュータに依存するなどして生きている。つまり人間にとって、悟りでも開かない限り、第二者などあり得ないのだ。依存は生きる上で必須というか必ず付きまとうものなのだ。逆に言えば生きるということは依存するということなのだ。