ひねもすのたり

祖母の思い出

私の母の実家は新潟県です。そしてそこにずっと住んでいたもう10年以上前に亡くなった私の祖母の思い出です。祖母と一緒に暮らしていた私の従姉(いとこ)が大学の寮に入るときに、従姉が「(同室になる人が)いい人だったらいいんだけど」とふと言ったら、祖母は私の従姉、つまり自分の孫に「悪い人なんて居ないんだよ」と優しくつぶやくように言ったそうです。もうずいぶん昔のことですが、今でもその言葉が私の大切な言葉として心の中に残っています。あるいは何でもないことかもしれませんが、優しかった祖母の思い出です。祖母は90歳を超えて生きて、最期は自宅で私の伯父(つまり祖母にとっての息子)やいとこ(同・孫)に囲まれての大往生だったと聞いています。私は病気で暇だったこともあり、20代の頃2、3週間ほどその母の実家でほとんど祖母と二人で過ごした思い出もあります。新潟のコメ農家に嫁ぎ、ほとんど一生そこで生きた祖母。昔のことですからずいぶん苦労の多かった人生だったと思います。私も祖母のように老いてもなお純粋なこころを持ち続け、祖母のような人生を生きたいものだと思います。

眠剤飲まずに、気づいたら朝だった

前の晩ほとんど眠らなかったためもあるが、昨夜8時頃、眠剤を飲まずに少し休もうと横になって、気づいたら翌朝7時前だった。いくらなんでもこんなに長時間薬なしで眠ったのは初めてで、もちろん今朝起きた時は身体ががくがくだったので慌ててイソブロだけ飲んだ。もちろん朝の薬も。おかげで今日はほぼ一日中調子が悪かった。薬というのはだいたい一日に飲む総量を変えると調子を崩すのである。何だか一昨日エアコンを変えてからろくなことがないのだ。エアコンの調整と外気温の関係で室温というか体感温度の調整がなかなかうまくいかず、暑かったり寒かったり。まあ病人にはいろいろあるのだ。

「帰れないヨッパライたちへ」きたやまおさむ著~ウラとオモテと依存症

「世間を歩くときは仮面をつけて行け。むやみに人と争うことはない。」これは20世紀の巨星、oshoの言葉であるが、私たちは大人になるごとにこういった処世術を身につけてゆくものだろう。つまり「ウラとオモテ」である。

ところで、精神科医のきたやまおさむ氏は、著書「帰れないヨッパライたちへ」の中で、人間には「オモテ」と「ウラ」があり(いわゆる本音と建前のこと?)、その「ウラ」を置いておける、預かってくれる第二者が必要、つまり居場所がなければ人は生きられないと言う。私にはまさにその第二者がない。精神科医が(守秘義務もあるから)第二者になり得るだなんて何の幻想を彼は語っているのか?たとえば私は主治医には「ウラ」を預かっておける存在としての価値がないと思い、もう何年も主治医と会っていない。もちろん友人も一人も居ない。そういう意味でも私は「完全に」孤独なのである。つまり、きたやま氏に言わせれば私には第二者が居らず、生きていられないのである。

第二者の居ない者は(と言うか誰でもそうなのだが)何らかの依存症になるのかもしれない。たとえば私は処方薬に依存し、ラジオに依存し、twitterなどコンピュータに依存するなどして生きている。つまり人間にとって、悟りでも開かない限り、第二者などあり得ないのだ。依存は生きる上で必須というか必ず付きまとうものなのだ。逆に言えば生きるということは依存するということなのだ。


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度量

古くはたとえば諸行無常という言葉がある。よく生態系を変えてはいけないと言うが、生態系も自然の大きな流れの中で変わるものだろう。ましてや人々の営みなども世のシステム(仕組み)も政治勢力も時代とともに変わるものだ。ダーウィンの進化論が本当だとすれば、そうでなければ私たち人類も存在すらしなかっただろう。宇宙は途方もない歳月をかけて変わり、繁栄しまた滅びる。そういったものを進化と呼んできたのはある意味で人間の勝手な思い込みで、実はただ時間が流れただけのことかもしれない。2009年総選挙において日本国民はみずから政権を本格的に変えることを選び、そして3.11を経て、いま私たちは後悔していると言う。そのこと自体が万物流転に比べればなんと小さなことだろう。人は歳を取りやがて死ぬ。その繰り返しを歴史と呼ぶらしい。度量を大きく持ちたいものだ。
篠田 将巳(しのだまさみ)
作家:shinoda masami
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