十、
思慮の深い、カラス。フギンとムニンは思考と記憶を司る。ならば、この見目麗しくない女子生徒も、彼女の頭に、髪の毛に、セーラー服に、白い肌に残り続けるのだろうか。はてさて、まったくもって分からない。そうしている内に冬は明けようとしている。渡りに出るであろうカラスと、セーターを薄手の物に代える私。相変わらず後ろ暗さの欠片も見せずに鳴き続けるハシボソガラス達。三年生である私は推薦にて大学進学を決めており、来年屋上に来る事はない。
十一、
別れが近いのかもしれないとセンチメンタルに考え、すぐにそれを打ち消そうとする。また会える。また会える。彼女がワタリガラスの姿をとっていたとしても。
「ねえ、カラス、私はいつでもこのニット帽を被ることにしますよ」
「それはまた奇矯な事だ」
「そうすれば、屋上からいなくなっても、私を見つけられるでしょう。ねえ、カラス、私は、あなたと友人でいたいのです」
「会えなくても友人ではいられる」
「いえ、会いたいのです」
「困った娘だ」
嗚呼、困らせてしまった。馬鹿な娘。
十二、
「よろしい。私は君を見つけるよ。ニット帽を被っていなくともね。何しろフギンだかムニンなのだから」
「はい、カラス、ありがとう」
「そして、私はね、残念だが今から北へ行くのだ」
何となく、そのような気はしていた。へちゃむくれのミソッカスでも、女には特殊な勘が備わっているのである。ワタリガラスはカムチャツカへ、その間に女子高生は女子大生になる。セーラー服を捨てて。