その「気合いと集中力のオケ」である、われらがアクチャーブリを襲った運命は、もちろん震災の被災地の方に比べるべくもないものだったが、それなりに重いものだった。
それは、今まで行なってきた「趣味の音楽活動」を真っ向から否定されたと受け止めざるを得ない試練。すなわち、道楽で音楽をやっていることで貴重なエネルギーを消費、浪費しているのではないか? という疑い。このことが喉に刺さったトゲのように、各人を苦しめていた。
音楽で誰かを救うことは無理だという事実が、僕たち全員にのしかかってきたのだ。
オーケストラもまた、揺れ続けた
僕の所属する「オーケストラ・アクチャーブリ」は、3月27日に、団員101名全体の緊急会議を行なった。議題は、「第19回定期演奏会を行うか否か」である。
なぜそのような議題になったかというと、震災の一周年の2012年3月11日を第19回定期演奏会としていたからだ。果たして、「この日」にプロならばいざ知らず、アマチュアオーケストラがイベントをやってよいのか? あるいは電力状況が逼迫しているかもしれないと言うのに?
節電のために懐中電灯が廊下にとりつけられた森下文化センターでの会議は紛糾を極めた。結論から言うと
「2012年3月11日の第19回定期演奏会は、この日には行なわず、延期とする」と決したのであった。
これほどのことがあって、日本全体で何万人も人が亡くなっていると言うのに、オケで音楽をやっている場合なんだろうか?
定期演奏会の延期を主張した団員たちの考えは、だいたいそういうものであった。その主張の団員に被災地である東北出身者が多かったのは理の当然だった。
みんな直接の被災地ではなく、内陸部の市町村の出身者だったのだが、これを他人事と思う者はいなかったのだ。
かくいう僕は、演奏をする、晴れ舞台に立つ、という魅惑に取り憑かれている人間だという自覚があり、それを断念するのは本当は辛かった。大好きなショスタコーヴィチ。その音響を自在に繰り広げる快楽。これは麻薬にも似た楽しみなのだ。
しかし、被災地の痛ましい状況、破壊された市街などを映像で目にし、多くの人にとっての一周忌であることに思いをいたすと、舞台で得意満面でパーカッションを叩くこと事態が不謹慎なのでは、と気がつかざるを得なかった。
天災に直面した人々は全てを失い、家族を失った。のみならず、災害はまだ続いていて終息していないという時に、自分は楽しみを優先するのか? 本当にそれで良いのか?
自問自答し、この日に、清々しい思いで舞台には立てない、と結論したから僕は「延期」に一票を投じた。
議長を務める、事務局の小西(こにし)さんが「第19回定期演奏会を予定通り3月11日に行なう 50票 延期もしくは中止する 51票 白票はゼロ」と投票結果をホワイトボードに書いた時、会場にどよめきが起きた。
101人の団員で、50と51に票が割れるとは…それは、他のアマオケから結束の強さを羨ましがられるオーケストラ・アクチャーブリの中であっても、意見集約が難しい問題がある、という証左でもあった。
居酒屋で唱われる、「オラトリオ森の歌」
「延期…するならするで問題があるぞ…」
全体集会の後で打楽器パートの6人だけで飲みにいった田町の居酒屋で、パートリーダーの古屋さんが、無表情に言った。
決をとった後、「延期するのか中止するのか」を挙手させたところ、「延期」が圧倒的であったが、しかし、「では演奏会は何月にするべきか」をここで決めるのは尚早だということで、解散になったのだ。とはいえ、早期に決めたほうが良いのは明らかなのだが。
僕たちアクチャーブリの打楽器パートは全員男性だ。野郎どもばかりが顔を突き合わせていてまことにむさ苦しいが、それ故に一種、実社会より伸び伸びと