価値組という生き方

価値組としていきるための16の法則( 9 / 17 )

9 いつでも夢を描く

夢」に年齢制限はない。いくつになっても、「夢」を描くことが重要である。そして、その「夢」が現実のものになるように、最善を尽くすのが価値組の生き方だ。

 

 もし、あなたが「めちゃくちゃリッチになりたい」という夢を描いたとする。当然、この場合おカネを稼ぐために、血眼になって働かなくてはならない。手っ取り早くおカネを稼ぐには、起業して会社を上場させて、IPO(新規株式公開)させることが良い方法の一つだと私は思う。

 

 価値組は、金銭の多い少ない(多寡)では、勝負をしないって言ったじゃないかと思う読者の方がいらっしゃってもおかしくない。だが、価値組は、別に勝ち組、負け組の構図で生きたい人を止めはしない。おカネを稼ぐことに価値があれば、どんどん稼ぐべきだ。

 

 「夢は、必ず叶うというのはウソであり、成功したものだけが言える言葉」だと思ったら、それは大間違いだ。

 

 夢は、叶えるためにある。

 

 例えば、あなたが今30歳で、今まで一度もサッカーをやったことがないのにも関わらず、サッカー選手になりたいという夢を描いた場合、これは無茶な話なのだろうか。仮に、サッカー選手になってオリンピックに出場したいといっても無理だろう。サッカーでオリンピックに出場するには、23歳までという年齢制限がある。しかし、サッカー選手としてはアマチュアで活躍できるかもしれないし、決して無理とは言えない。

 

 「いつか独立して、個人の居酒屋をやりたいんだ」

 「将来、何歳になってもいいから、世界1周のクルージングをしたい」

 

 といった具合に、現実のものになる可能性が非常に高いものは、大いに夢を描いて、追いかけるべきだ。少しくらい高い目標設定にしてもよい。夢は、価値の集大成だ。

 

 つまり、夢は、現実になるものでなければならない。夢を追うのであれば、それが現実となるものであることを立証する必要がある。

 

 どんなにどんなに努力をしても達成できないような夢は、あまり歓迎できない。非現実的なものは、価値ある時間を注力する意味がないのだ。例えば、30代半ばの人が、これからワーキングホリデーに行きたいと思っても、だいたいの国は30歳以下という年齢制限があり、ワーキングホリデーに行くことはできない。しかし、海外に住むこと自体には、年齢制限がないので、別の手段を用いて、夢を叶えることはできる。オリンピックのサッカーと一緒の話だ。

 

 しつこいようだが、価値組は、物事の本質を見極める。海外に住む方法としてワーキングホリデーという手段は使えないとしても、その他の手段を用いればいくらでもその夢を叶えることはできる。本質がわかれば、ハードルが高くても達成可能か、不可能か事前に判断できるはずである。

 

 夢を描くということは、描いた夢の中に、それを達成するまでの細かな道筋が示されているということだ。そして、いくつになっても、どんな状況でも夢を描いて、突き進むことは、価値組にとって重要なポイントとなる。

価値組としていきるための16の法則( 10 / 17 )

10 良いきっかけを与えてくれる存在を大切にする

価値組にとって、「きっかけ」はとても重要な行動要素だ。何かしらの影響がない限り、「きっかけ」は生まれない。

 

 先にも書いたとおり、人間の価値観は他人の影響を受け易い。良い意味でも、悪い意味でも。そして、その影響を受けて、初めて「きっかけ」が生まれる。人間が一人で「きっかけ」を見つけることは、至極難しい。自発的に「きっかけ」を作るのが難しい理由として、日常的な普段の生活というのはあまり変化がないことが挙げられる。

 

 普段の生活を思い起こして欲しい。仮に、あなたが、朝7時に起床して午前9時に出社をして仕事をしているとする。そして、日々の仕事をこなし、気づいた頃には夕方になり帰宅し、夕飯を食べ、テレビを観て、お風呂に入って寝る。そして、また次の日も同じことを繰り返し、休みの日には疲れきって家で過ごすか、あるいは友人とどこかへ出かけて食事をしたり、レジャーを楽しんだりする。そして、また仕事の日々に戻っていく。

 

 気が付けば、その繰り返しを何年も続けていて、それが日常的な普段の生活となれば、別に何かしらの「きっかけ」がない限り、新しいことにチャレンジしたり、またはあるものに価値を見出し、それに対して時間を費やそうとしたりは思わないはずだ。

 

 こうした普段の何気ない暮らしの中で、きっかけというものを自発的に見つけることは難しい。「当たり前のこと」を毎日しているので、「疑問」が生まれてこないからだ。

 

 矛盾が生まれるときに、価値観は大きく刺激されるとお話した。その何気ない普段の当たり前の生活の中で、何かに「疑問」を感じ、そして「矛盾」を感じることはあまりないと言える。

 

 ある日突然、「俺ってこんなことをしている場合なのか?」や「私は、こんな生活をしたかった訳じゃない」という半自発的ともいえるきっかけを作る矛盾は、自分の生活と別の生活を比較しなければ生まれない。つまり、何かしらの影響を受けて、今の生活とは違う自分の生活を想像することがなければ、こうした矛盾点は生まれない。誰かは、あんな生活をしている、誰かはあんなステキな人生を送っている。自分は、現状のままでいいのだろうかという疑問や矛盾は、比較によって呼び起こされる自らの価値観からの自分宛のメッセージだ。

 

 価値組は、勝負をしないと言った。しかし、比較は否定しない。比較して初めて価値観が大きく揺さぶられることは、ごく自然であるからだ。

 

 そして、社会的な責任であったり、人生の楽しみであったり、価値観が揺さぶられた時こそ、行動に出やすい。

 

 「俺ってこんなことをしている場合なのか?」と思った時に、これが社会的な責任が主因だったとする。例えば、東日本大震災で苦しんでいる人たちがいる時に、のうのうと暮らしていていいのかという矛盾や疑問は、老若何女問わず感じた人は多いはずだ。人は、こうした社会的責任を果たすために、新たな目標や生活の矛先を変えることができる。

 

 「俺ってこんなことをしている場合なのか?」と思った時に、これが自己に対する反省が主因だったとする。例を挙げれば、夜な夜なキャバクラに通って、遊び呆けていたとき、周囲の人たちは夜遊びをやめ、しっかり貯蓄をして生活をしていた。それに気が付いたときに、こういった自己反省に関する疑問・矛盾が生じる。もっとしっかりとして、貯金をして、親孝行をしたいと思うことで、自分の価値ある時間やおカネの使い方を正すことができる。

 

 これら2つの社会的責任、自己反省などは、誰かが社会的責任を負った生活をしている、自己反省しなければならないような行動を戒めるような生活を送っている人がいる。こうした規範できる人たちの存在が、私たちに良い影響を与えてくれる。

 

 こうした良い影響を与えてくれる存在を大切にしなければならない。もし、あなたが麻薬に手を染めたとするならば、誰かがあなたに麻薬を勧めなければあなたは麻薬という存在と関わることはない。それが友人なのか、或いは恋人なのか、芸能人の麻薬に関する情報を見ても、とても身近な存在が影響していることは明々白々である。

 

 身近な存在で、良い影響をもたらす人間との付き合いを重視し、その人を大切にする必要があり、また逆に悪影響しかもたらさない種の人間とは付き合わないことを徹底することが重要なのは、もはや言うまでもない。

 

 また、私たちには、テレビなどのメディアも影響を与えてくる。良い意味では、上記のような大震災のボランティア精神、痛みを分かち合う精神を刺激してくれて、寄付をしたり、震災に遭った地域の復興を願ってその土地の物産品を購入したりするきっかけを与えてくれた。非常によいきっかけだ。

 

しかし、悪い影響で言えば、青少年のテレビ暴力シーンへの接触量と暴力行為の経験との関連を見ると、テレビ暴力シーンへの接触量が多くなるほど暴力行為を経験している者の割合が多くなっている[i]というような間接的要因もあれば、テレビのニュースのコメンテーターなどで適当なことを有識者ぶって話をしている割にはその根拠が薄く、しかも間違った情報を流して直接的要因として影響を受けることもある。

 

例として挙げれば、福島第一原子力発電所から大量に放出された放射性物質の件では、かなり専門家と呼ばれる有識者の方たちの意見が分かれた。そして、こうした不透明な情報が入り組んで報道されてしまったことがきっかけとなり、風評被害が広がり真っ当な商売をしている方たちが苦労をされている。

 

こうした情報に対する自己防衛も価値組には必要だ。価値観は影響を受けやすい。良い方向への影響に対してはオープンに、そして悪い影響に対しては、自己防衛することが求められてくる。きっかけを与えてくれる存在を大切にして、良いきっかけを与えてくれる人を自分の傍に呼び寄せなければならない。



[i] 青少年とテレビ、ゲーム等に係る暴力性に関する調査研究http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/tv/tv.htm

価値組としていきるための16の法則( 11 / 17 )

11 追われる立場から追う立場へ

価値組の行動では、「追われる」ことよりも、「追うこと」が重要なポイントになる。

 

「明日はあれやんなきゃだ、次はこれやんなきゃだ」と何かに追われているような毎日では、ゆとりが生まれることも少ないだろう。

 

 疲れ切ってしまうと、生活に余裕がなくなる。時間的余裕も、精神的余裕も。いつも張りつめた緊張感の中では、なかなか人間の価値観は有意義に働かない。あなたが、あなたらしく生きるためには、誰かに追われていてはいけない。あなたの夢や目標をあなた自身が追わなければならないからだ。

 

そのためには、自分だけの空間を作ることを心がける。できるだけ、「癒し・ヒーリング」といった要素が含まれていることが望ましい。お風呂でもいい。香りのよい入浴剤を使い、1日の疲れをお風呂に浸かりながらゆっくりと癒す。そして、もし何かに追われていたのなら、追う立場に方向転換できるように、疲れをリセットすることが求められる。

 

この空間は、あなたの価値観で判断をして欲しい。例としてお風呂を挙げたが、近所のカフェでもいいし、気の許せる友人が集まる居酒屋、見晴らしのいい公園。気持ちをリフレッシュする場所を見つける。空間といっても、場所でもいいし、時間でもいい。あなたが、あなたらしくいられるために、常にリセットをかけることを心がけてほしい。

 

 時間的にも精神的にも余裕がなくなると、「きっかけ」すら見落としてしまう危険性がある。すぐそこに本来やるべきことがあったのに、見過ごしてしまう。これでは、価値ある時間をただ浪費してしまう結果に陥ってしまいかねない。

 

 また、「追われること」と「追うこと」は、表裏一体で、コインの表と裏。本当は、夢や目標に向かって突き進んでいたはずなのに、いつの間にか自分がその夢や目標を達成しようと思うばかりに追われるようになってしまったら、方向性を失いかねないし、日々の生活が嫌になってしまうかもしれない。

 

 あまり急ぐ必要はない。あなた自身のペースで「追っている」と認識しながら前へ進んでいくといい。せっかく夢を描いたのに、せっかく良いきっかけで進むべき道がわかったのにもかかわらず、それを不意にしてしまうのは、この「追う」、「追われる」の違いが自分自身の中で区別がつかなくなったとき。

 

 ここは、とても価値組にとって重要な立ち位置であるからこそ、見つめなおすという行為が必要となってくる。

価値組としていきるための16の法則( 12 / 17 )

12 ムダを知る

 人生、生きているとムダなことが非常に多いことに気が付く。人生を生きていくうえで、ムダなことは一切ないという人もいるが、果たして本当だろうか。

 

 毎月の支払で、ムダは本当にないのだろうか。私は、「節約生活応援館」というサイトを運営しており、節約コンサルタントをしているが、お客様からご依頼を頂いて、家計簿の診断をさせていただくと、ムダは想像以上に多い。特に、同じ効果のものに対して、同じ内容で、高いお金を払っている場合、ムダ以外の何物でもない。

 

国の事業仕分けが開かれたことは、多くの国民も知っていることだ。そしてメディアでは、それが連日取り上げられて、民主党の蓮舫氏などは一躍時の人となった。しかし、その効果はどうだったのだろうか。

 

 msn産経ニュースの20111225日付の「蓮舫氏、「仕分け」の提言ことごとく無視」という記事[i]をご紹介する。

 

民主党政権の一枚看板だった「仕分け」がその使命を終えようとしている。11月下旬に実施した提言型政策仕分けの「提言」は、24日に閣議決定された平成24年度予算案でことごとく黙殺される残念な結果に。14日には民主党に行政改革調査会が設置された。仕分けはその存在意義すらなくなりつつある。

 「仕分けの女王」は現実から目を背けようとした。

 「提言を極めて真摯(しんし)に受けとめてもらった」-。蓮舫行政刷新担当相は22日の記者会見で、前日の診療報酬の改定結果をこう評価したが、現実は厳しい。

 仕分けの提言は診療報酬本体の据え置きか抑制を求めていたが、結果は0.004%プラス。財務・厚生労働相間の折衝風景は例年と何ら変わらず、提言をかえりみた気配すらない。

  携帯電話の電波を割り当てる際、入札で通信会社を選ぶ周波数オークション制度への提言も無視された。仕分けでは、来年予定される携帯電話用の電波割り当て から同制度を採用するよう求めたが、総務省は来年の審査方法を従来どおりと決定した。総務省は同制度について、平成27年の実用化を想定する第4世代携帯 電話用からの採用を決め、通信会社もそれを前提に事業計画を立てているため、「提言はそもそも無理筋」(政府高官)だった。

 独立行政法人 改革でも発言力の低下が避けられない。政府の行政刷新会議は102の独法を効率的な組織形態にすることを目指し、13日にも分科会で結論をまとめる予定 だったが、中止に追い込まれた。翌14日に初会合を開いた党の行革調査会も独法改革を議論することになったからだ。

 政府高官は「調査会におうかがいを立てなければならない行政刷新会議こそ無駄」と話す。「仕分け」が仕分けられる日も近い。

 

 結局、民主党が大々的に持ち上げて開催した事業仕分けだったが、その提言は実際の政策に取り入れられることはなかったということになる。何のパフォーマンスだったのだろうか。

 

 また、事業仕分けは、その役目を完全に終える。同じくmsn産経ニュースの2012120日の「行政刷新会議廃止へ 新組織設立に向け次期国会で法案提出」[ii]という記事で報じた。

 

 2009年の11月にスタートしたこの事業仕分けは、そのホームページ上発表している総経費、約12500万円[iii]をムダ遣いしたということに過ぎない。

 

 こうしたムダを見つけることは非常に重要なことだ。既に説明したとおり、入ってくるおカネの量で勝負をしない代わりに、おカネに価値を与えて使うことは価値組にとっての本位だとお話をした。であれば、当然ムダは削減すべきであり、有意義におカネを使うべきだ。

 

また、時間のムダも十分に理解しなければならない。時間にも限りがある。有意義に使わなければもったいない。

 

 例えば、昼時の銀行ATMに長時間並んで振込みをすることを考えるのであれば、インターネットバンキングで振込みをしたら待ち時間もなくすぐできる。また、欲しい本を探すのに、今まではあっちの本屋さん、こっちの本屋さんと何店舗も捜し歩いていたのが、インターネットを使えば、すぐに探せて、最短翌日手に入る。このようにインターネットの普及により、時間を有効活用ができる時代に入った。ムダのない最低限の時間で物事を済ませることができるようになった。時代の恩恵は受け入れたほうがよい。

 

 「本屋さん巡り」が好きな人もいるだろう。実際に本を手に取って、少し読んでみて、手に入れたい。そういった時間が、自分にとって有意義である場合は、それを実行することをお勧めする。

 

また、こうした近代的な恩恵を捨て、半自給自足の生活を送る人もいる。時間のムダだと思われていたことが、その人たちにとってはとても貴重な時間となり、暮らしにゆとりを与えている。その人たちにとっては、近代的なものこそムダなのだ。

 

 ムダというものは探し始めるとキリがない。ムダを見つけるためには、価値のシフトを行うことが一番効果的な行為だ。それまで価値があったものがムダなものとして分類されるだろうし、ムダだと思っていたものが本当は価値があるものかもしれない。価値観はそういった意味合いでは、ムダを洗い出す仕分け人といっても過言ではない。物事の本質を知らなければ、仕分けはできないし、物事の本質を知っているからこそ、ムダがわかるのだ。



[i] http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111225/plc11122520220008-n1.htm

[ii] http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120120/plc12012008020003-n1.htm

[iii] 行政刷新 http://www.cao.go.jp/gyouseisasshin/index.html  125062211

長谷川こうせい
作家:長谷川こうせい
価値組という生き方
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