価値組という生き方

価値組としていきるための16の法則( 12 / 17 )

12 ムダを知る

 人生、生きているとムダなことが非常に多いことに気が付く。人生を生きていくうえで、ムダなことは一切ないという人もいるが、果たして本当だろうか。

 

 毎月の支払で、ムダは本当にないのだろうか。私は、「節約生活応援館」というサイトを運営しており、節約コンサルタントをしているが、お客様からご依頼を頂いて、家計簿の診断をさせていただくと、ムダは想像以上に多い。特に、同じ効果のものに対して、同じ内容で、高いお金を払っている場合、ムダ以外の何物でもない。

 

国の事業仕分けが開かれたことは、多くの国民も知っていることだ。そしてメディアでは、それが連日取り上げられて、民主党の蓮舫氏などは一躍時の人となった。しかし、その効果はどうだったのだろうか。

 

 msn産経ニュースの20111225日付の「蓮舫氏、「仕分け」の提言ことごとく無視」という記事[i]をご紹介する。

 

民主党政権の一枚看板だった「仕分け」がその使命を終えようとしている。11月下旬に実施した提言型政策仕分けの「提言」は、24日に閣議決定された平成24年度予算案でことごとく黙殺される残念な結果に。14日には民主党に行政改革調査会が設置された。仕分けはその存在意義すらなくなりつつある。

 「仕分けの女王」は現実から目を背けようとした。

 「提言を極めて真摯(しんし)に受けとめてもらった」-。蓮舫行政刷新担当相は22日の記者会見で、前日の診療報酬の改定結果をこう評価したが、現実は厳しい。

 仕分けの提言は診療報酬本体の据え置きか抑制を求めていたが、結果は0.004%プラス。財務・厚生労働相間の折衝風景は例年と何ら変わらず、提言をかえりみた気配すらない。

  携帯電話の電波を割り当てる際、入札で通信会社を選ぶ周波数オークション制度への提言も無視された。仕分けでは、来年予定される携帯電話用の電波割り当て から同制度を採用するよう求めたが、総務省は来年の審査方法を従来どおりと決定した。総務省は同制度について、平成27年の実用化を想定する第4世代携帯 電話用からの採用を決め、通信会社もそれを前提に事業計画を立てているため、「提言はそもそも無理筋」(政府高官)だった。

 独立行政法人 改革でも発言力の低下が避けられない。政府の行政刷新会議は102の独法を効率的な組織形態にすることを目指し、13日にも分科会で結論をまとめる予定 だったが、中止に追い込まれた。翌14日に初会合を開いた党の行革調査会も独法改革を議論することになったからだ。

 政府高官は「調査会におうかがいを立てなければならない行政刷新会議こそ無駄」と話す。「仕分け」が仕分けられる日も近い。

 

 結局、民主党が大々的に持ち上げて開催した事業仕分けだったが、その提言は実際の政策に取り入れられることはなかったということになる。何のパフォーマンスだったのだろうか。

 

 また、事業仕分けは、その役目を完全に終える。同じくmsn産経ニュースの2012120日の「行政刷新会議廃止へ 新組織設立に向け次期国会で法案提出」[ii]という記事で報じた。

 

 2009年の11月にスタートしたこの事業仕分けは、そのホームページ上発表している総経費、約12500万円[iii]をムダ遣いしたということに過ぎない。

 

 こうしたムダを見つけることは非常に重要なことだ。既に説明したとおり、入ってくるおカネの量で勝負をしない代わりに、おカネに価値を与えて使うことは価値組にとっての本位だとお話をした。であれば、当然ムダは削減すべきであり、有意義におカネを使うべきだ。

 

また、時間のムダも十分に理解しなければならない。時間にも限りがある。有意義に使わなければもったいない。

 

 例えば、昼時の銀行ATMに長時間並んで振込みをすることを考えるのであれば、インターネットバンキングで振込みをしたら待ち時間もなくすぐできる。また、欲しい本を探すのに、今まではあっちの本屋さん、こっちの本屋さんと何店舗も捜し歩いていたのが、インターネットを使えば、すぐに探せて、最短翌日手に入る。このようにインターネットの普及により、時間を有効活用ができる時代に入った。ムダのない最低限の時間で物事を済ませることができるようになった。時代の恩恵は受け入れたほうがよい。

 

 「本屋さん巡り」が好きな人もいるだろう。実際に本を手に取って、少し読んでみて、手に入れたい。そういった時間が、自分にとって有意義である場合は、それを実行することをお勧めする。

 

また、こうした近代的な恩恵を捨て、半自給自足の生活を送る人もいる。時間のムダだと思われていたことが、その人たちにとってはとても貴重な時間となり、暮らしにゆとりを与えている。その人たちにとっては、近代的なものこそムダなのだ。

 

 ムダというものは探し始めるとキリがない。ムダを見つけるためには、価値のシフトを行うことが一番効果的な行為だ。それまで価値があったものがムダなものとして分類されるだろうし、ムダだと思っていたものが本当は価値があるものかもしれない。価値観はそういった意味合いでは、ムダを洗い出す仕分け人といっても過言ではない。物事の本質を知らなければ、仕分けはできないし、物事の本質を知っているからこそ、ムダがわかるのだ。



[i] http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111225/plc11122520220008-n1.htm

[ii] http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120120/plc12012008020003-n1.htm

[iii] 行政刷新 http://www.cao.go.jp/gyouseisasshin/index.html  125062211

価値組としていきるための16の法則( 13 / 17 )

13 価値シフトを行う

価値シフトには少し触れたが、少し視点をずらすだけで物事の見え方が変わる。価値観を最大限に発揮して、物事の本質を見極めた時に、それが本当に自分にとって意味があるのか、必要なものなのか区別ができるようになってくる。

 

 よく物事に熱中しすぎるがために、周りが見えなくなっている人に対して、「冷静になれ」、「落ち着け」と言うのは、価値シフトを促す行為である。

 

 例えば、あなたが強いApple信者だったとする。「iPad」の新製品は、どんなに並んでもいち早く手に入れ使ってみたい。そのためには、新しい「iPad」の発売日の2日前からアップルストアの前に会社を休んでまで並ぶこともあるだろうし、年に1回新しい「iPad」が発売されるのであれば、それを購入するための資金を年間通じて積み立てなければならない。或いは、一括で払うこともあるだろうし、クレジットカードで分割やリボ払いにすることもある。こうした人の欲求を制限することは、価値組には許されない。もし、あなたがApple信者でない場合、こうした人の価値観は、「どうしてそんなにこだわるのか」と不思議でならないと思う。しかし、その人にとってみれば、それが全てであり、それにこだわるというステキな人生を送っている。もう少し価格の安いタブレット端末がありますよと言っても、まったくその提案は通じない。

 

 また、お米を例にとっても、「魚沼産コシヒカリ」から「あきたこまち」、私の地元埼玉県で言えば「彩のかがやき」など、ブランドや産地などで味わいや風味などが異なってくる。新潟県民にとってみれば、恐らく「あきたこまち」よりも「魚沼産コシヒカリ」を支持するであろうし、秋田県民からすれば、「あきたこまち」が一番うまいと思うかもしれない。ブランドそのものよりも、地元を愛するという地元愛が、強く現れた結果だ。

 

 しかし、世の中にはこうしたブランドの違いが顕著に影響しない分野においても価格が違うものが多くある。例えば、あなたが手紙ではないA4サイズのチラシを同じ県内の人に明日届けたいと思い、速達で郵便を出したとする。定形外郵便なので郵便代は120円。速達代金が270円なので、合計390円の支払いをする。しかし、ヤマト運輸のメール便速達で出せば、180円で済む。書類を送るのに、「私は、郵便局が大好きだから値段が高くても郵便局を使いたい」と思う人はあまりいないと思う。もし、そういう方がいらっしゃればその方の価値観がそう動いているので、是非高い料金を支払って頂きたい。そう考えるとブランド力というものは、恐ろしい。

 

 こうしたブランド力を覆す唯一の力は、価値シフトである。

 

 仮に、あなたがApple信者だとする。Apple社の発売するものはすべてに目を通し、気にったものは手に入れないと気が済まない。それがある日突然、Apple社のモノに興味関心を示さなくなったとする。果たしてあなたの中でどのような心境の変化があったのだろうか。

 

 更に限定するならば、タブレット端末「iPad」は発売されるたびに購入をしていた。それが、新しい端末が発売されたのに、もう買わないとしたら、それはなぜだろうか。

 

 いくつかの回答が得られそうだ。

 

 「他社製品に魅力を感じた」、「タブレット端末自体に飽きた」、「結婚を契機に自由に使えるお金がなくなった」とその原因は掲げればキリがない。しかしいずれの場合においても、熱心なあなたが「iPad」を購入しなくなったのは、「iPad」の新製品が発売されたら購入するというのが「当たり前」だと思っていた価値観が変わった証拠だ。価値観はその時点でシフトしている。他社の製品に価値を見出したのかもしれないし、そもそも新製品を買い続けるという行為に価値がないと判断したのかもしれない。また、結婚や生活環境の変化が及ぼす価値観の大きなシフトが行われたのかもしれない。だが、もしあなたが「ものすごく熱心」な状態であれば、このような価値シフトはできたであろうか。「冷静になる」、「落ち着く」といった行為が存在していたはずである。

 

 実は、普段の生活でもこの「冷静になる」、「落ち着く」といった行為は、とても重要だ。ここまで話をしてきたとおり、「きっかけ」もそうであるし、「ムダ」を見つけることもそうだが、「当たり前」と思っていることを見直すことで価値観は研ぎ澄まされる。

 

 あなたが普段何気なくしている行為、例えばあなたが専業主婦だとする。そして子どもが2人いて、ご主人と子どもたち毎朝起きてくる前にあなたは起床し、朝食とお弁当を作り、そして3人を送り出した後、掃除、洗濯などの家事を済ませ、買い物に出かけ、夕飯の準備をする。忙しい毎日だが、深夜にCS放送を録画したアメリカの連続ドラマを観るのが日課だ。そういった日々を過ごす間に月日は流れ、十数年経ったとき子どもたちは大人になり、社会人として巣立っていった。そのままご主人だけは家に残り、それでも毎日朝食やお弁当の用意、そして家事や買い物をして夕飯の支度をするという当たり前の生活は続いた。数十年の歳月が流れ、ご主人が定年退職する日までそれが続いた。専業主婦のあなたとしてみれば、ごくごく当たり前の生活で一生懸命に頑張ってきたと自分を褒めた。

 

 ご主人はとても優しい人で、あなたがアメリカの連続ドラマをいつも観ていいたことを知っていて、今まで専業主婦として家庭を切り盛りしてきたあなたにご褒美として、アメリカのドラマの舞台であったハリウッドのあるアメリカ、カルフォニア州のロサンゼルスへの旅行に招待した。あなたは嬉しくて、嬉しくてたまらなくなり、出発の1ヶ月前から地元の英会話教室に通うこととした。現地で多少の日常会話程度の英語くらいは喋りたいからだ。こうして旅行に出掛け、夫婦水入らず楽しく現地を滞在し、帰国した。英会話教室の効果があったのか、手にトラベル英会話の本を手に取りながら、一生懸英語を使ってなんとなく言葉は通じた気がした。とても満足のいく旅行だった。

 

 ここまでの内容で、あなたには何の落ち度もないし、責めに帰すこともしていない。ところが、この旅行で唯一後悔したのが、もっと早くから英語を勉強しておけばよかったという点だ。

 

 人は過去には遡って何かをすることはできない。あなたが何気なく観ていたアメリカの連続ドラマだが、もしその時に価値シフトを行なっていたらどうなっただろうか。ドラマを字幕なしで観たいと思えば、あなたは英語を学びたくして仕方がなくなる。それがきっかけとなり、英語を学ぶためにはどうしたらいいのか考える。自分の教養のためのお金の余裕はない。そしたら、あなたは昼間だけできるパートの仕事をしていただろうか。少なくとも、あなたには可能性があった。価値シフトを行うだけで、視野が広がり、可能性が大きくなる。

 

 将来の可能性を見出した時に、それに向かって進んでいこうと決めたなら、あなたの価値観は刺激されたと言える。価値組の行動では、「追われる」ことよりも、「追うこと」が重要と述べた。価値シフトは、「追われていない状態」=「何もしていない状態」からも、「追うこと」へと自分を導いてくれる。研ぎ澄まされた価値観は、あなたの未来を変えることができる。

価値組としていきるための16の法則( 14 / 17 )

14 自立して生き抜く

意外かもしれないが、自立とは、言葉で言うのはたやすいが、難しいことである。自立とは、どこまでを自立とするのかにより、まったくもって定義が異なってくる。

 

 自立をするというのは、狭義で言えば親からの独立である。親のすねをかじって生きてきた未成年の時代から、成人して社会人として世に出て、更には実家を出て一人暮らしをするといったことは、自立として素晴らしいことだ。

 

 しかし、自立とは非常に難しい。

 

 自立を定義しなおそう。自立を辞書で調べる。大辞泉では、「他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること[i]」とある。特にこの、「他からの助力を受けずに、存在すること」に着目をしてみよう。

 

 例えば、これを執筆している今日のテレビのニュースの中で(執筆日2012326日)、夏の電力事情でインタビューを受けていた方お二人のコメントをご紹介する。

 

 「計画停電はちょっと困りますね」

 「電力不足は困りますね。かと言って値上げも困りますね」

 

 何を言いたいのかが全く分からない。個人が自立していない証拠ではないだろうか。困るのであれば、何を対策としてすべきなのか、まったくもって自分で考えていない。結局、政府が何とかしてくれる、何とかしないのは政府の責任だ、政府が対応すべきで私たちは言われたことをするだけといった具合のコメントが多い。

 

 これらのコメントは今に始まったことじゃない。もう、ここ何年も、いや何十年も結局は、何かしらのトラブルがあった場合に、国民は政府に助けを求めてきた、或いは政府が対応して当然だという意識のもとで国民は生きてきた。そして、国レベルの問題で個人が迷惑をこうむるのは困るといった当事者意識に欠けている。

 

 国民は、国からも自立しなければならない。少なくとも価値組であれば、そうすべきである。

 

 なぜか?

 

 結局、最後は政府が面倒を見てくれると思えば、リーマンショックで破たんした大手企業の幹部が巨額のボーナスをもらっていた「負けた勝ち組」ことと同じ価値観で行動するようになってしまう。彼らは、自分勝手なマネーゲームを繰り返し、自国のほかの国民や、その他の関係諸国にまで迷惑をかけたが、結局米政府が公的資金を投入し助けられた。また、ヨーロッパの財政危機の場合において、例を挙げれば、アイルランドの破たんが騒がれた際にも、結局アイルランド政府はアングロ・アイリッシュ・バンクに巨額の税金を投入し、破たんの危機を救った。結局、政府が尻拭いをするようでは、経済もそして国民も自立できていないに等しい。

 

価値組になった国民は、価値のある国を創り上げる。

 

 もうすでに、ヒントは出ているはずだ。一生に入ってくるおカネの量は限られている。だからこそ、入ってくるほうの量で勝負をせずに、その使い道やそれを得るための家庭である仕事の内容の充実度が、価値組には欠かせない要素だと述べた。

 

 ということは、自分の仕事で稼いだおカネの一部は、個人であれば、所得税、住民税、消費税など様々な税金が課せられて、国に納付しなければならない。この税金は、誰のものなのか。もちろん、私たち国民のものである。その使い道も、当然価値あるものとして使われなくてはならない。価値組は、そうした2次的な支出に関しても価値を見出さなければならない。

 

 納付した税金はどのようにして使われるのか。年収1千万円以上のサラリーマンの家庭に子ども手当は必要なのか。また、銀行に10億円蓄えがある人は、年金額が本当に少なくて困っている人のために、年金を受け取ることも辞退することができるのではないか。

 

 価値組は、そこまで想いを馳せるべきである。

 

 よくこの話をすると反論が来る。真面目に貯蓄したのがバカみたいじゃないかと。否。現役世代が、必死こいて社会保険料の支払いを続けてワカモノ一人がお年寄り一人を支える肩車時代になったとき、今のワカモノの負担額はものすごいことになる。しかし、こういう状況になるのはとっくの昔にわかっていたことである。

 

なぜ、その前に消費税を上げる法案に今の年配者の方々は反対し続けてきたのか。バブルの時代に浮かれずに、きちんとした「税と社会保障の一体改革」をして頂いていれば、こうはなっていなかったはずだ。こうお話をすると、政治家が悪いという。しかし、消費税を上げない政治家を選んでいたのも自分自身である。責任は転嫁できない。

 

 そうすると官僚が悪いという。否。官僚が年金を使いこんで箱モノを立ててきたとき、その政権の責任者は誰が選んでいた。当然、国民である。そういうと、じゃあ総理大臣を選ぶのは、国会議員なんだから国会議員が悪いという。そして、先ほどの政治家が悪いという理論へとルーピングする。

 

 価値組と同じ感覚で政府が動いた場合には、当然、財政の支出のムダを徹底的に削減する。当然、補助金や政府支出が減るわけだから、それの恩恵を受けていた人は苦しい生活を強いられることになる。

 

「そんなんじゃ生活が成り立たない。」

 

既得権益で生きてきた人間は、既得権益がなくなればそれほど弱いのだ。自立ができていない証拠だ。特に、既得権益に保護され続けてきた分野の人たちは特にそうなってしまう。

 

 年収が40兆円しかないのに、支出を年間90兆円もする国なんてありえない。もし、国民が90兆円もの政府支出をして欲しいのであれば、90兆円納税するしかない。それが嫌なら、もう価値組ならわかっているはずだ。政府支出40兆円で生き抜くしかない。そして、その40兆円をどのようにして価値ある使い方をするのかが、求められてくる。

 

 ただし、政府は当然税収を上げる必要がある。困っている人たちを助けるのに、おカネがかかれば、それに見合った税収が必要だ。GDPを押し上げるための政策が常に必要となってくるだろう。

 

 国から自立する価値組の人たちは、「他からの助力を受けずに、存在すること」を価値のある生き方だと考える。

 

 電力が足りなく、原子力の安全性が確認できないうちに原子力発電所を再開させないことに価値があるなら、節電をすればいい。もし、電気に価値が大きく依存してしまっているのであれば、原子力を再開すればいい。ここまで大きな問題は、もはや国民だけにしか決められないことだ。国民一人一人が自分たちで決めてみよう。そして、国民一人一人が自分たちで責任をとってみよう。価値観は、自分の最大の意思決定機関だ。

 

 電力の値上げに関してもう少し踏み込むと、原油価格が高騰しているのには、様々な要因がある。イランの核開発問題で、イランへの国際社会からの圧力がかかり、ホルムズ海峡をイランが閉鎖すると言っているので、原油が産油国から運び出されないのではないかという懸念から原油価格が上昇したり、また最近円安になってきたりしているので、相対的に原油価格も上昇する。

 

 いずれにしても、「計画停電はちょっと困りますね」、「電力不足は困りますね。かと言って値上げも困りますね」と言っているだけでは何も始まらない。現実問題、この現状と国民も向き合わなくてはならないのだ。すべてにおいて当事者になることが価値組には求められている。

 

 もはや、国は国民を助ける政策をやめるべきである。援助されていたら、いつまでたっても、国民は自立しない。何かあったら、政府に助けを求めてくるようになる。

 

国民を助ける政策をやめた場合には、どんな政策が必要なのか。

 

答えは簡単である。問題を解決する政策をしてくれればいい。

 

そうすれば、価値組として自立したあなたは、国からの助力を必要とせずに生き抜くことができる。こうして、極めて国民が自立しあえる国家において、初めて残りの国家予算が、本当に困っている人に行き届くようになる。

 

 最初に説明したはずだ。私たちは、残りの99%にはならない。常に、自らの価値観を基準に物事の本質を見極めて行動しなければならない。政府に頼るだけの個人は、自立していない個人。価値組であればできるはずだ。価値シフトを行ってみよう。国内にある様々な問題を、政府の問題から、自分たちの問題へと価値観や問題意識をダイナミックに移転してみよう。

 

 当事者になることで、物事の本質を見極めようとする価値観は最大限発揮されるのだ。

 

 簡単に言ってしまえば、あなたの価値観は国がこうですと言って決められるものではない。あなたの価値観はあなたしか持ちえない。価値観には自立性が必要不可欠なのだ。そして、その価値観の集まりが国家である。



[i] Yahoo!辞書 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%87%AA%E7%AB%8B&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=09411900

価値組としていきるための16の法則( 15 / 17 )

15 未来を変える

 ここまでの流れで、なぜ価値が必要なのかという自然現象のような人間のバックボーンから、価値組には価値を見出す力の源泉である矛盾や夢といったきっかけ、またそれらを構成する人間関係から、目的意識、ムダを知るといった価値観を養う力を身に着け、更には価値シフトを行い、物事の本質の見極め方を学び、そしてそれらを統合して国レベルの事柄にまで足を突っ込み、価値観の自立性を知った。

 

 ここまでくれば、あとはもう少しで価値組の神髄を極めることができる。そう未来を変えるのだ。今のあなたは、過去の集大成。良いこともした、悪いこともした、その比率がどちらかに傾いていたとしても、今のあなたは、今のあなた以外の何者でもない。

 

 価値組に入って、これからの人生どう歩んでいくのか。目を閉じて考えてみよう。目を開けた瞬間から、未来は始まる。

 

予測不可能な未来。予測可能な未来。どちらも、未来には相違ない。しかし価値組として生きていくうえでは、最も重要なのは、予測可能な未来を見つける事だろう。

 なぜなら人は予測可能な未来であれば、それをコントロールできるからである。

 予測不可能な未来は、突然であったり、そんな予感はしていた程度の情報しかなかったりしたが為に起こる、環境の変化であるに違いない。例えば交通事故死や、バブル崩壊など、否応なしに、予測不可能な未来は訪れてくる。東日本大震災もそうだった。予測不可能な未来を探し続けても、光ある未来の影ばかり見ながら生きていくことになる。

 未来を予測するには、まず目標を立て、そこから逆算して、今いる自分まで道を造ればいい。将来の自分像を確実に想像できれば、回り道なんてしなくても、その道を歩むだけで、未来の自分はそうなっているからである。

 ただ自分で敷いたレールはかなり整備されていない。開拓もされてないただの方向性だけなのだから。そのレールを周りの環境に合わせ、少しずつ道を切り開いていかなければならない。突然、予測不可能な未来が、あなたの予測した未来を変えることもしばしばある。しかし、そのたびに、新しい新たな予測可能な未来を探し出すことは、それまでのあなたが培ってきた経験で、軌道修正ができるはずである。

 予言が当たらないのは、その方向性を予言者自身がその雑草だらけの草道を耕せないからである。つまり未来とは、その人本人にしか切り開くことができないものである。

 何を見据えて、どう判断するのか。もうここまでくれば、説明も不要だ。

長谷川こうせい
作家:長谷川こうせい
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