価値組という生き方

価値組としていきるための16の法則( 16 / 17 )

16 価値を共有する

最後に、価値の共有についてお話をする。ここまでの中で、あなた自身が決断し、あなた自身が責任を取り、あなただけの、あなたらしい未来へと進むために、価値観を存分に発揮してほしいことはお伝えした。

 

 価値の共有とは、決して価値観の押し付けではない。同じ価値観を持ち合わせている仲間を見つけて欲しい。それがあなたの使命とも言える。

 

 価値組は、価値観を重要視する。その考え方を、あなたの周りの人にも広めてほしい。なぜなら、冒頭にお話ししたようなマネーゲームにうんざりしながらも、日々つらい生活を送っている人がいるからだ。

 

 マザーテレサの言葉で、愛の反対語は憎悪ではなく、無関心だという言葉がある。あなたが、誰かが苦しんでいることに無関心であることは、至極冷たい行為となる。

 

 決して、宗教のような伝道師になってはいけない。信仰とは、それぞれの心の中で決めればいいことであり、価値組が口出しをすることではない。心の弱い人間であれば、宗教でなくとも、占いやちょっとした出来事で心を奪われてしまう。真相はどうであれ、芸能人と占い師の関係をニュースで連日報道していた通りだ。

 

 他人の価値観を侵害することは、どのような方法でも許されるものではない。しかし、その人の価値観を最大限引き出してあげらるのも、価値組であるあなたの役目である。勝ち組、負け組というような分け方を好む人間は、他人の価値観を刺激することは永遠にない。

 

 金儲けって楽しいぜ、人生の勝ち組になって世の中を見返してやろうぜというハングリー精神までは否定をしない。しかし、それによって得た金銭の多寡で他人を負け組と決めつけるような行為は避けるべきだ。

 

 価値は、実は共有することによって切磋琢磨される。今までこれで十分だと思っていたことが、次へのステップにつながるようなことは、価値の共有がもたらした未来への光だ。

 

 例えば、あなたが健康に生きることに価値を見出したとする。煙草をやめ、お酒もやめ、健康的に生きていることに満足する。ただし、価値の共有をしない限り、努力をするのはあなただけになる。もし、あなたが、家族と健康に生きることの価値を共有したらどうだろうか。食卓に並ぶ食材は健康志向のものになり、普段あなたが料理をしないのであれば、料理を作ってくれる人が健康という価値のもと料理を作る。しかし、もしあなただけが健康に価値を見出して、健康に価値を見出していない家族に健康的な料理を作ったとしよう。家族はその価値観を共有していない。そうすると、シンプルでそっけない料理だと非難され、結局不健康な食事でも作らなければならない。そして、あなた一人が健康的な食事をするわけにもいかず、結果的にあなたの健康に生きようとする価値観は薄れてしまう。

 

 これでは、せっかくの研ぎ澄まされた価値観が台無しになってしまうのだ。価値を共有していれば、ともに達成できることもあるが、価値を共有していない仲間とは何もなしえない。あなたひとりで頑張っていけることがあったとしても、それには限界がある。

 

 プロ野球のイチロー選手は、ものすごい努力家だと聞いたことはないだろうか。彼は、練習熱心で、しかも試合という本番の場で結果を残している。彼の価値観はどこにあるのだろうか。彼しか知らないことかもしれない。しかし、野球が好きなファンがいて、彼はその価値観を初めて発揮することができる。または、野球をするという価値を持ったその他のプロ野球選手がいなければ、打席に立つこともないし、守備についても、試合なんてそもそもないのだから、ボールなんて飛んでこない。

 

 類まれな天才は、その価値を知る人がいて初めてその価値が最大限に発揮される。ビルゲイツがウィンドウズを開発して世界で販売して、巨額の富を得た。勝ち組じゃないか。しかし、彼の作ったウィンドウズに価値がなければ、ここまで世界に広まりはしなかった。つまり、彼は価値観を売ったのだ。

 

 こうした商売上の価値共有は、様々な場面で行われる。ディズニーリゾートであれば、あの夢のような空間の共有。これは、運営者である企業側もそうであるし、企業に雇われた従業員、そしてお客様自体もその一員だ。ディズニーなんてつまらないという友達と一緒にディズニーランドに行っても、結局つまらない一日を過ごしてしまう。たとえ、たった一人の従業員がだるそうに笑顔もなくそこにいたら、あなたの満足度は下がってしまうだろう。このように、価値は共有してこそ、最大限に効果を発揮することは珍しくない。

 

 さあ、価値組として今から新しい未来へ向かって一緒に歩んでいこうではないか。そう、これも大切な価値共有だ。

価値組としていきるための16の法則( 17 / 17 )

最後の法則

ここまで述べてきた16個の法則を実践すれば、あなたは立派な価値組になることができる。そして、最後の法則を述べたい。

 

 ここまで書いてきたこと、つまり読者であるあなたに読んでいただいたことをすべて「本当に正しいのか」や「この16の法則だけで足りるのか」など、見直しをして欲しい。言うまでもなく、あなた自身の価値観で。

 

 もしかすると、これ以上に何かしらの法則があるかも知れないし、もしくは私の考え方に誤りがあるのかもしれない。それは、きちんとあなたの価値観で軌道修正をして欲しい。

 

 最後の法則とは、「これで終わりだ、これで完成だ」と思わないことである。

 

 私にとってみれば、正直ってここまできちんとした「本」という形式で書物を残せたのは初めての経験である。そして、それを公開することになった。しかし、書き終えて終わりということはない。この書物は、私自身も書き換えていく必要があるだろうし、もちろんお読みいただいたあなたにとっても、読み替えていただく必要がある。

 

 この本を書き終えて、お恥ずかしい話、私は人生で初めて達成感を感じた。そして、またこの最後の法則に辿り着いた。本当は、この最後の法則の章は当初の書き始めの段階で構想になかった。書いていて、自分で気が付いたことだった。

 

 私は、浅はかな知識でこれを書いているかもしれない。「あ~、あのバカがまた適当なこと言ってるよ」と批判されてもおかしくない。しかし、何かを表現して、誰かに伝えるという行為は、決して間違ったことではないと、私は思う。これを公開してお読みいただき間違っているとお感じになられ、ご指摘いただける読者の方がいらっしゃれば、この上なく嬉しい。

 

 この本は、「ONE PIECE(尾田栄一郎著)」のような本ではない。ルフィーがいて、海賊王になるといった世界を描いた物語ではない。また、「人生がときめく片づけの魔法(近藤 麻理恵氏薯)」のように、特定の行為に関する本でもない。個人的には、ルフィーの将来がどうなるのか楽しみでならないし、またときめくかときめかないかで片づけをするといった素敵な価値観を記載して、誰かのお役に立てるような本でもない。価値観は、人それぞれ違うのだから、この本に書いてあること自体、すべてをひっくり返されてもおかしくはない。この2つの書物のように、称賛を受けるような物語や方法でもない。

 

 だからこそ、「これで終わりだ、これで完成だ」とは、はっきりって本を出す前から思っていないと断言しておく。それが、お読みになったあなたに、最後まで疑問や矛盾を残す最高の手段だからだ。

おわりに( 1 / 1 )

ここまで、価値組に関する様々な視点から価値観を見直す方法や手段、そして問題提起をしてきた。

 

 資本主義社会では、「資本を投じる人」がいて、初めて資本主義が確立する。株式会社であれば、株主がいなければ、会社はそもそも成り立たない。

 

 そして、ほとんどの人が、株主ではなく従業員として働いて、労働の対価として賃金を受け取っている。一部の大金持ちが、株主になって経営者(社長さん)に経営させて、従業員を雇い労働させ、利益の配当で儲けを得ている構図は、資本主義社会である以上不変的な構図だ。

 

 価値組は、その構図の中で勝ち、負けではなく、あなたがあなたらしく生きるためのグループだと既に説明したとおりだ。

 

 私自身、うつ病になって苦しい時期を味わってきた。正直、大変申し訳ないが、私の主治医に聞いてもらえるとわかると思うが、ここでは言えないようなことも生きていくうえであった。

 

 お風呂の話が出てきたが、実はこのお風呂に入るという行為自体、まったくできないこともあった。シャワーを浴びているときに、パニック症状になり救急車で搬送されたことがあり、恐怖のようなものもあった。また、今は一緒に暮らしてはいないが、月に1度会える娘たちと入るお風呂は、私にとってとても幸せな時間だった。うつ病を発症してから、日々仕事で忙しく心休まる時のなかった私にとって、唯一楽しかった。それが、急になくなってしまったことから、お風呂に入るたびに、その想い出が強く出てしまい、そのうちお風呂というものを敬遠した時期があった。

 

 今は、だいぶ良くなってきていて、お風呂にも入ることができる。しかし、しばらくお風呂を敬遠してきた私が、お風呂に入ったとき、私は、大声でこう叫びたかった。

 

 「みんなみてくれ、俺は風呂に入れたぞ」と。

 

 普通のこと、当たり前のことが、状況によって全く捉え方が違うと知った瞬間でもあった。次第に、何のためにおカネを稼ぐのか、私の場合、「勝ち組」になろうとするタイプであったので、それに何の価値があるのか自問自答するようになった。

 

 しばらくして、中学の同級生たちと飲むことがあった。みんな不況で大変そうだった。頑張っても芽が出ないそんな奴もいれば、中学の時までかなりいじめられていて、なんでそんな笑顔で今を生きていられるんだと思う奴もいた。(ちなみに奴と呼んでいるのは、友達だから)

 

 私は、自分がちっぽけな人間だと知った。

 

 価値組という構想は、こういった私の過去の経験から生まれてきている。そして、それをいろんな人に伝えたいと思い、様々な価値観をお持ちの方々に公開することで、お読みいただいた方が、少しでも生きる勇気や「たとえ収入が変わらなくても」裕福ではないと感じながらマイナス思考で生きるより、価値ある生活をしているとプラス思考に転嫁して生きていくきっかけになることを望んでいる。

 

 私は、東日本大震災で被災された方々のように、家もない、街もないという状況には陥っていない。なので、被災された方々からすれば、私の抱える悩みであったり、身体の不調であったりなどというものは、極めて軽微であると考えている。

 

 そのため、これを今の時期に公開すべきかどうかも悩んだ。しかし、価値組とは物事の本質を自分の最高の意思決定機関である価値観で決断し、その決断に責任を持ち、生きていかなければならないということは、常に世に必要なことだと思って、公開することにした。

 

 この本が売れるとか、多くの人に共感を得るとかそういったエゴのものに書いてはいない。たった一人でも価値組になるんだと思って、生活環境がもし変わることがあれば、それだけでいいと思う。この本は、その16の法則のうち、第16番目の価値を共有するという概念のもと書きおろした。

 

 最後までお読みいただいたことに、深く感謝の意を表すとともに、価値組として、そして仲間として、明日に向かって共に歩んで行こう。

 

 自立した個人として。

長谷川こうせい
作家:長谷川こうせい
価値組という生き方
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