シャボン玉ムーン

第1章 あの頃( 6 / 16 )

「士」と「師」

 最近、先生と呼ばれて浮かれる人達の多い事に驚く。

大辞林によると「士」とは、男子。特に学問・道徳を修めた男子についていう。
また、「師」とは、学問や芸能などを教える人。先生。師匠。或いは、技術・技芸などを表す語に付けて、その道の専門家であることを表す。と記してある。

 昔は、医者や学校の先生を先生と呼び、それ以外の人達を先生とは、余り呼びはしなかったものである。それが、今は代議士から弁護士、会計士、インストラクター、コーディネイター、コンサルタントetc・・・と横文字の人達までが、先生と呼ばれる事に喜びを感じている様がある。呼ぶ方も特別な接待条件であるかの様に、やたら「先生」「先生」と呼び、相手のご機嫌伺いの形容詞になってしまっている。呼ばれる方も呼ばれる方で、大学を出ても学士であり、「師」では無く、「士」である筈なのに、まるで自分が2階級特進したかのような錯覚に陥っているとしか思えない様な現状がある。

 ある時期に、代議士になった某元アナウンサーが「先生」と呼ぶ人達に罰金をかけていたが、やはり「先生」と呼ばれるからには、専門知識を持ち、且つ人々に教え導く能力のある人が相当するに相応しいと思われるのである。

その道のプロと呼ばれる人達が少なくなった昨今、本当の専門家が姿を消し、
「俄か士(サムライ)」の多い事と言ったらキリが無いほどである。
 全国の「先生」方達に申し上げたい。胸に手を当てて、世の中の人々を指導し、次の世界への手ほどきをして行けるという自信をお持ちでいらっしゃるでしょうか。“青は藍より出でて藍より青し”と言う師匠からの師事により、教え伝える後輩を、創出される事が続ける事を出来るかどうかなのである。

 さて、あなたは街でふと、「先生」と呼ばれた時、自信を持って振り返る事が出来るでしょうか?

日夜、研究に勤しんでいる方には申し訳無いことであるが、これからの時代に一番多くを求めている庶民達の叫びを是非、受け止めて戴きたいと願って止まないのである。

第1章 あの頃( 7 / 16 )

「懐かしの名前」

 南の島へのバカンスが決まった時、その土地のガイド本を、何冊か書店で目を通した。昔、行った所とは言え、既に22年という歳月が流れている。
時の移り変わりは速いもので、もう、無くなっているお店も何軒かある。

そこに、ふと、見覚えのある名前のバーを発見した。
バカンス当日、南の島で、合流した友人と 私が初めて、この土地を訪れた時に食事をした店へと行く。
その後で、何処へ行こうかと、お互いに買ってきたガイド本をパラパラ捲りながら、あの、見覚えのある名前のバーに行きたいという事になり、早速、その店へ電話をした。
その店の名は、昔、1年に5度この地を訪れた時代に、親しかった友人の名前だ。オーナーか店長かと尋ねてみると、何と私の知る友人の弟さんが、店長だそうだ。
当時は中学生だったその弟さんも今や38歳。
店に行くと、スタッフが店長である弟さんの写真を見せてくれたり、私の昔の友人に電話をして くれたりと、超高級バーの割には、リーズナブルな料金であった。

 お互いに、流れて行った月日はあるものの、談話の声は、昔と変わらない22年前の、あの日のままであった。

第1章 あの頃( 8 / 16 )

「スローモーション」

 ゆっくりと、時が過ぎてゆく。

電話も鳴らずに、ただ静かに、時が過ぎてゆく。

いつもより、時計の針がスローモーションの様に動いて行く。

青い空を映す様に青いプール、雲の流れが早い様で遅く感じる。

夏の海辺は心に安らぎを与えてくれる。

蝉の声もないこの島で、BGMと水の音と、子供達の歓声が聞こえる。

夕方だというのに、日がまだ高い。サンサンと輝く太陽に、

瞬きする回数が自然と増えてしまう。ちょっとハイレグで、胸と背中の大きく開いた水着に、周りの視線が刺さって来る。少し快感かな?!

 このままずっと、時の経つのを忘れて過ごしていたい。

 そんな気分に浸っている。

第1章 あの頃( 9 / 16 )

「ある日のこと!」

 家族が旅行に行く事になり、久しぶりの独りきりのゆったりと、のんびり過ごせる日が、やって来た。

お中元の時期も落ち着いて来ているので、特別、家にいる必要も無い。まして、今は、宅配便に連絡すれば、在宅時間に届けてくれる。

 しかし、問題が一つあった。日頃しない「ごみ出し日」がある。家のものが、「月曜日の朝、○○  さん家の前に、生ごみだけ出しておいてね。」と言ったので、当日は、忘れない内にと、朝7時に  出してみると、米袋に入れたごみが、1つ先に出ていた。早速と思ってその隣に置き、お役目ご苦労様と自分に言い聞かせ、家を出た。

 その日の夜は生憎、風も強く台風が接近と言う事で、朝置いたごみの場所には、目もくれなかった。 
翌朝も、飛び起きて、火の元・戸締りを確認後、慌てて出掛けた為、見もしなかった。

  すると、その日の夕方。まだ、薄暗い家の陰に、何やら見覚えのあるゴミ袋が、それも、ポツンと1つ、残っているではないか。
“大変だ!”と思うや否や、門を開けてそそくさと、ゴミ袋を家の中に入れ、裏木戸を開けて外に出してみたものの、やはり、居てもたってもいられない。外食をする訳でもなく、明日帰宅する家族の為に、掃除や洗濯・炊飯や麦茶作りに励んでいたのが、まるで水の泡となる。
   このたった1つのゴミ袋の為に、自分は“何も出来ない、役立たず”になってしまうのだ。

 困り果てた挙句、川原に捨てに行く事を思いついた。
暗くなり、近所の家が茶の間のひと時に寛ぐ頃を見計い、徐に、自転車の荷台にゴミをロープで巻きつけ、一目散に走り出した。
いつもなら、外へ出ても挨拶をする自分が、人影を恐れ、犬の散歩で知っている人に出逢うと、より一層ペダルを漕いで川原へ向かう。
国道が堤防沿いに走っている為に、休憩している車も有る。“もし、誰かに見つかったらどうしよう”“あとで、強請られたらどうしよう” などと、決して死体を捨てる訳では無いのだから、要らぬ心配の筈なのに、心臓の音が高鳴ってくる。車のヘッドライトが切れるのを待って、やっとの思いで川原へゴミを捨てた。

 ホッとした途端、真っ暗な川原に佇む自分がまた怖くなり、今来た道を一目散に自転車を走らせた。脇目も振らず、ただひたすら走り続けた。
   やっとの思いで漸く家に辿り着き、門を閉め、家の中に入った途端、全身からドッと汗が噴き出した。

 もう、2度と、こんな思いはしたくない。そんな「ある日の事」であった。

あかね しづか
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