家族が旅行に行く事になり、久しぶりの独りきりのゆったりと、のんびり過ごせる日が、やって来た。
お中元の時期も落ち着いて来ているので、特別、家にいる必要も無い。まして、今は、宅配便に連絡すれば、在宅時間に届けてくれる。
しかし、問題が一つあった。日頃しない「ごみ出し日」がある。家のものが、「月曜日の朝、○○ さん家の前に、生ごみだけ出しておいてね。」と言ったので、当日は、忘れない内にと、朝7時に 出してみると、米袋に入れたごみが、1つ先に出ていた。早速と思ってその隣に置き、お役目ご苦労様と自分に言い聞かせ、家を出た。
その日の夜は生憎、風も強く台風が接近と言う事で、朝置いたごみの場所には、目もくれなかった。
翌朝も、飛び起きて、火の元・戸締りを確認後、慌てて出掛けた為、見もしなかった。
すると、その日の夕方。まだ、薄暗い家の陰に、何やら見覚えのあるゴミ袋が、それも、ポツンと1つ、残っているではないか。
“大変だ!”と思うや否や、門を開けてそそくさと、ゴミ袋を家の中に入れ、裏木戸を開けて外に出してみたものの、やはり、居てもたってもいられない。外食をする訳でもなく、明日帰宅する家族の為に、掃除や洗濯・炊飯や麦茶作りに励んでいたのが、まるで水の泡となる。
このたった1つのゴミ袋の為に、自分は“何も出来ない、役立たず”になってしまうのだ。
困り果てた挙句、川原に捨てに行く事を思いついた。
暗くなり、近所の家が茶の間のひと時に寛ぐ頃を見計い、徐に、自転車の荷台にゴミをロープで巻きつけ、一目散に走り出した。
いつもなら、外へ出ても挨拶をする自分が、人影を恐れ、犬の散歩で知っている人に出逢うと、より一層ペダルを漕いで川原へ向かう。
国道が堤防沿いに走っている為に、休憩している車も有る。“もし、誰かに見つかったらどうしよう”“あとで、強請られたらどうしよう” などと、決して死体を捨てる訳では無いのだから、要らぬ心配の筈なのに、心臓の音が高鳴ってくる。車のヘッドライトが切れるのを待って、やっとの思いで川原へゴミを捨てた。
ホッとした途端、真っ暗な川原に佇む自分がまた怖くなり、今来た道を一目散に自転車を走らせた。脇目も振らず、ただひたすら走り続けた。
やっとの思いで漸く家に辿り着き、門を閉め、家の中に入った途端、全身からドッと汗が噴き出した。
もう、2度と、こんな思いはしたくない。そんな「ある日の事」であった。