嘘ばかりの脳卒中リハビリ その実態を斬る! 第1巻(完結)

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記事106 同時収縮という概念を理解していただきたんですけどね!

こんばんは。

一日お疲れ様です。

私も、今日は結構ハードでしたけど

信州は今日は相当暖かで、気持ちが良かったですね。

さて、今朝、ちょこっと投稿しましたけど

痙性だけが治療の対象であるのであれば

これは、まあ何とかできたりすることもあるんでしょうけど

自然の身体の状態および、片麻痺という

いわば病前とは明らかに異なった全身状態という

そこに起こっている現象が、さらに物事の理解を

わかりしくくしているのは、これは

当たり前のことなんですけど、あんまり世の中では

取り上げないところです。

、、、

で、早速ですけど

いつも投げかける質問です。

あなたが、立っているとします。

広い体育館の床の上で立っているとします。

そこで、りんごと果物ナイフを与えられたとしましょう。

あなたは、立っていて、りんごの皮を果物ナイフで

剥くことはできますか?

、、、

これは、大抵の人はできるというでしょうね。

では、あなたが、体育館にある平均台の上で

同じように立った状態でかまいません。

歩けてできたら、それだけで、相当食べていけると

思いますからね

(非常に危険ですから、決してマネをしないでください)

できますか?

、、、

これは、逆にできないという人がほとんどであるはずです。

???

なんでできないんですか?

きちんと説明してほしいと思うんですけど、

、、、

ま、答えですけどね。

簡単です。全身が緊張しますよね。

だって、足元は10センチしか巾がない。

そういところで、全身のバランスをとろうとするときに

身体全体が緊張してしまいますよね。

こういうことを同時収縮っていいます。

そのときに、りんごの皮を剥くという作業ができることを

分離運動ができるというんです。

全身に同時収縮が起こっている

というのは、麻痺で説明するところの

共同運動とか、緊張が強いということと同じことに

なると思うんですね。

でもって、細かな動き、危険な道具の操作などが

できるようなことを、私達は常には平気で行えるけれど

実際に足元が不安定なところではできない。

、、、

でも、これって病気でもなんでもないじゃないですか?

けれど、実際には麻痺のような状態になるのです。

、、、

痙性と混同してしまう現象の一つに

こういう同時収縮って実際にはほぼ常時みられるといって

よいと思いますけどね。

???

え、麻痺で動かないから、バランスをとるとかできない?

、、、

、、、

そうなんです。そこが盲点なんですね。

バランスをとろうとする腕とかが麻痺していると

実際には、同時収縮が起こっていないようにみえますよね。

これは違います。単に動きが出せない状態であって

実際には、筋肉そのものも、立ち直りという反応がある限り

これは収縮を起こしていなければ、立ち直ることが

できないということを逆に認めてしまうことになるのです。

???

つまり、麻痺とか動くとかに関係なく

(って本当には断言しづらいところですけど)

身体のバランスが崩れている、すなわち基底面から重心が

外れそうになるようなときには

全身に同時収縮という現象が起こっているといっても

いいのです。

もちろん全く弛緩している人とかね、決してすべてが

あてはまるとは言いませんよ。

、、、

、、、

それで、同時収縮が起こっているときに

被動的、他動的にどこかを動かしてみてください。

当然、力が入っていますので、抵抗感がありますよね

それも双方向性でね。

こういうことを、錐体外路障害では固縮っていいますけど

いえいえ、このこととは別物ですが(笑)

いずれにしても、抵抗感があることを

よく、痙性と勘違い、誤解してしまう人があります。

これは、明らかに違うといってよいでしょう。

この記事の最後にしますけど

被動運動って、限りなくダラーっとした状態

すなわち脱力できている状態で検査しなければいけません。

それなのに、このように同時収縮が起こっているのに

被動運動することそのものが、間違っています。

、、、

というように、私達が痙性というものを評価するには

かなり厳密に場面設定をしていかないといけないのですね。

では、次回は、過剰な努力による連合反応というものを

説明しましょう。

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記事107 果たして片麻痺はしっかりと評価されているのか?

痙性の続きを書こうと思ったんですけどね

ちょっと一休み。

それで代わりにはこういうことを書きましょう。

あのー

片麻痺って、なった人が自身の状態を

客観的に語れればいいんですけど

これを研究・学問している人って

はっきりいって頭でっかちです。

自分でなってもみないのに

なんで人のことが研究できるんでしょかね?

よく考えてみてくださいね。

あなた、人の気持ちって判らないですよね

それって、なってみもしないからです。

もちろん、近づくことは出来るのでしょうけど

それでわかったつもりで

得られるって事は、

ただの自己満足に過ぎません。

余計なお節介ってことでもいいでしょうね。

じゃ、片麻痺の人の身体に起こっていることは

誰が客観的に評価できるんでしょうか?

科学されているんでしょうか?

まず、そこからであると思うんですね。

それを神経解剖とか脳の機能局在とかで説明する

って、それは、脳の標本をもとにしているんであってね

今、その人はこの世にいないじゃないですか?

確かに、ある程度のデータは得られるけれど

だから、同じような状態になるって、確率的なことは

いえてもね、だからそれに当てはめるって

かなり強引な持ち込み方ですよね。

だって、人の動きがどうであるかって

脳の機能局在とかでは純粋には説明できないものであり

もちろんですけど

私が持論としている重力の影響って

地球上のあらゆる生命体に絡んでいることですから

人間の動きだけで判断することそのものが

私には無謀であると思うのです。

だとしたら、もっと

確かに脳の障害ですから、いろいろとあるんでしょうけれど

それにとらわれず、人の動きが、麻痺があってもなくても

重力の影響を受けたときに、どういうことが起こるかと

いうところから、まず科学してみて

それを麻痺の動きのないところで

どういうことが起きるかって

こういう学問があってもいいと思うんですね。

それをね

、、、

、、、

あたかも脳血管障害が起きると

こういう症状が必ず起きるというような形に

持ち込む主義って

私には、どうしても解釈できません。

じゃ、同じ症状の人があっても不思議ではないということに

なりますよね。

こんなこと

ありません。あったら、チッチキチーです(笑)。

それなのに、ある部位の損傷では、こういう状態が起きる

確かに典型的なものはあると思いますけどね

だからといってそれにあてはまらない人も

相当の割合であるんです。どのくらいとかそんなことは

いえませんけど。

なんとなくですが、そういう風潮にはうんざりしています。

頭で考えすぎのような気がしてなりません。

それも、人のことだからではないでしょうか?

もっと、自分のこと、家族のこと、大事な人のこととして

そういう人によくなってほしいと思うような

そういう気持ちで考えれば、

かなり真実に近づいていくのではないかと思うんですけどね。

では。ちょっとブレイクでした。

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記事108 非麻痺側の過剰な努力にともなう連合反応は見逃すわけにはいかない!

おはようございます。

痙性と混同してしまう状態の一つに

過剰な努力にともなう連合反応ってあると思うんですね。

これが単発的に起きているんであれば

もちろん

私達の生活でもこういうことは

いくらでも経験できるんですが

、、、

つまり

片麻痺であっても、たしかに単発的に連合反応だけの

話であれば、それは、おさまる(収束する)ことで

何の問題もないと思うんです。

だって、評価とか検査とかの時には、ほとんどリラックス

できている(はず)わけですから。

???

急性期で廃用症状が認められないような状態ですと

結局は、安静時における筋緊張にはほとんど影響は

ないと思われるんですけど、

これが、習慣的に過剰な努力をともなうような

そういう日常の動作が持続していると、非常に大きな問題が

生じてきます。

過剰な努力にともなう連合反応って

簡単にいえば、全身の同時収縮です。

すなわち、麻痺側で随意性があろうとなかろうと

麻痺側の筋肉も同時収縮をおこすわけです。

???

同時収縮が起きつづけると何がおこるか

これは、主動作筋と拮抗筋の綱引きのようなことが起きます。

全身の筋肉の同時収縮における収縮のつよさには

誰が考えても力関係がはたらくと思うんですね。

上肢は屈筋群が伸筋群よりもつよいんですね。

下肢はその逆です。

このときに、当然ですが、強い方に、引っ張られてしまう

すなわち、強いほうは、習慣的に縮こまりやすくなるんです。

こういう状態が長く続くと

これは、可逆的変化ではあるはずなんですけど

やがて、不可逆的なものへと移行していくのです。

習慣的に筋肉がその長さを縮めるようになっていると

ちょっとした、伸張刺激に対しても、過敏に反応する

ようになってきます。

これは、固有受容器によるものであり、決して病的なものでは

ありません。しかし、やはり現象としては

少しでも伸展をかけようとするような刺激に対しての

反応として、抵抗が生じることになるのです。

この抵抗というものが、痙性と混同されることがあるわけです。

ま、続きはまた夜に投稿します。

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記事109 片麻痺のお客様の身体の動きを当たり前のように考えてはならない!

こんばんは。

相変わらず、多くの人に読まれているようでありがとうございます。

今朝は、早い話、全身の筋肉の中での

力の関係で、どうしても強い側には

短縮の傾向が大きくなり、やがてはそれが

不可逆的なものへと変化してしまうというようなことを

説明しました。

、、、

片麻痺の人の身体を

健常な状態と比べることは、かなり無理があると思います。

ですが、実際には

案外とそういうことを意識していても

やはり他人の身体ですから

わが身のこととしては考えにくいのでしょうね。

いろいろな文献をって、、、読んでもいませんけど(笑)

紐解いてみても

身体を動かすことの大変さといいますか

実際にどのくらいの無理がかかっているかとかは

研究されていないと思います。

???

いえいえ、問題の論点は

そのように健常側に無理をかけて動作しているときに

麻痺側に何が起こっているのかということをいっているのです。

で、どういうことが無理なことなのか

っていいますとね。

まず、ベッドなどでの起居動作、あるいは

車椅子などへの移乗時

また、杖や手すりをもって何とか座っているとか

立ち上がるとか

こういうことが一番大きいと思うんです。

簡単にいえば基本動作とかとしていいんですけど

すなわち、自身の身体だけで、自分の身体を

動かさなければならないというときに

非常に、過剰な努力を要してしまっていることが

多いと思います。

、、、

で、細かな説明よりも

こういう状態の時には、全身的に力が入っていますので

同時収縮という現象がみられることになります。

問題は、麻痺があるとかないとかではなく

この場合に、麻痺側に実際に同時収縮が起きているという

ことなんですね。

そんなことはない?

って思いたくなりますけれど

では、こういうことを説明してください。

いわゆる、マンウエルニッケ姿勢を呈している人が

歩行をしているとします。

歩行のいろいろな説明はしませんけど

麻痺側の上肢が、微妙に上下に動いていることが多く

みられます。

では、そういう人って、自分で麻痺側の上肢を動かそうと

しているのでしょうか?

そうでないのであったら、

どうして、重力の影響を無視して

腕が肘が、曲がってしまうようになるのでしょうか?

ま、こういうことを理解できれば

痙性って、なかなか本当の姿がみえてこないっていうことに

たどりついていくと思うんですね。

また、続きを書くことを予定していますが

ここまでにしておきましょう。では。

M-CCアドバイザー 寅 加太夫
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