「そして君にその他にエネルギーが余ってるというのなら、なんらかの能力が開発されたがっているというのなら、どうぞ、したらいいさ、そんなすごい能力を眠らせておくのは
損失だからね、していいよ、いいよ」
僕はこの言い方を聞いて、屈辱と悔しさの余り地面に座り込んだ。
自分は男だ、と言い聞かせなければ、罪悪感にさいなまれる。
最低だった。この仕組が憎かった。
「何故? 何故二人とも各自で仕事を選んで
遂行し、二人で家事も育児もしないの?」
と僕は以前こんな風に異議を申し立てた。語
尾が女言葉だった。
大阪府高槻市の城跡の駐車場横にたつクスノキの新芽がかぐわしく匂っている、ひとつの木陰に、女人の姿が立っている。
約束の青色のスカーフが薄青色のスーツの襟元に巻いてあるところを見ると、これが意識の変身を遂げたカツラ氏であろう。スカート姿である。
僕は懐かしい気持がして、思わず急ぎ足になり、右手を上げた。カツラ氏も歩きやすい靴を履いている。誰がパンプスなど履くものか。
「カツラさんですね。トビウオです」
「トビウオさん、ようやく出会えました」
僕たちはまじまじと見つめ合った。僕とは同じ年頃の、彫りの深い、写真の晶子を思わせるような雰囲気を持つカツラ氏だ。
カツラ氏は、告白以来自分が肉体的にも男であるという前提でこれまで僕に応対していたのを意に介さない様子だった。
それは一とゼロとで成立する不可視の電波の世界の架空の姿である。
僕は、驚きも示さない。歯牙にもかけず世にも当たり前のように肯く。
カツラ氏もすでに肉体の男女の区別を超越していた。
「トビウオさん、そのお姿には特別な印象深さがあります」
「そうですか。僕たちの髪型は偶然似ていますね、もっとも外見はどうでもいいって言うか、なるようになるだけで」
「気持が動くままに装っていますよ、今日はこの空の色に溶け込むようにと僕は思ったのです」
「もう少し暑くなったら、一度丸坊主にしようかな」と僕トビウオ。
「僕たちはただ、人間として普通に取り扱ってほしいだけです。経済的に自立すること、それに付随する苦労を回避するつもりは無い、弱い優しい存在として保護してもらわなくて言い、そのかわりに自由な自己決定権を命と同じくらい強く要求する。
自己責任は当然です。
ただ平等な選択条件がなければならない。
家事をするという前提では全くひどいです。
共産主義のソ連時代においても女性は同等に労働した上家庭ではやはり家事をすべてしていたと読みましたが、僕は実に悲しくなりました。
ただ唯一の問題は、妊娠出産授乳という行為を女性しかできないという点ですが、これについては考慮が必要です。
特別な自然条件として考慮を要求しなければならない唯一の点です」
僕は、カツラさんにはとっくに身にしみて分かっていることを、唐突に脈絡なく申し立てた。
まずこの点が明白にならなければ当の女性に力は湧かないのだ。
いつまでも罪の意識がブレーキをかけ、不満と不平で終わってしまう。彼女の一度しかない時間が。
「そうですね、最近はかなり確信を持つようになりました。彼が家事を手伝っても罪の意識を抱かなくなり、軽やかにご苦労様、と声をかけます。ただ二人とも家にいますから、ある意味、当たり前のことともいえますけれども、夫だけが毎日働きに出ている場合、役割分業がむしろ自然の成り行きとなるのは否めません。そして当然の結果として、家事は程度の低い活動であり、その担い手も愚かな、存在価値の低い生き方なのです。
こうして男の女への軽蔑の理由がすでに長年にわたり信じられ、実証されています」
と、カツラ氏が言う。