さよなら命ーくつのひもが結べないー

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 いつものように健一は学校から帰ってベッドに入った。
今日の数学の授業では健一はあっさりと答えられたのでとても安心していた。
それに反して森村が今日も答えられなかった事を不思議に思っていた。

 森村は文系に変わったがクラスが変わるわけではなく、
数Ⅲの授業は聞かないでいいと言われ、その時間は数Ⅰ、
数ⅡBの問題を解いていた。
しかし数Ⅰ、数ⅡBの授業の時は森村も授業に参加していた。
 

 健一は森村が文系に変わった理由を改めて考えてみた。
森村ももしかして自分と同じように悩んだのではないだろうか。
そして数Ⅲは自分にはできないと考え、文系に変わることを決心したのではないか。
健一はそう考えた。
森村は相変わらず高慢な雰囲気を漂わせていたので、健一は森村が自分と同じように
悩んでいるとは思いにくかったが、そう考えれば森村が文系に変わった理由が分かる
ような気がした。
そして健一はそんな森村と自分とが何か似かよっているような気がした。

 席替えがあり、健一と森村が初めて隣になった。
二人は顔を見合わせる機会が多くなったが、相変わらず二人とも何もしゃべらなかった。
そんなある日、昼休みにどこも行くところがなくて健一はなんとなく森村の横顔を見ていた。

「何よ人の顔じろじろ見ないでよ。」

 森村の声は大きくて近くにいた4,5人の男女が二人の方を見た。
健一もその森村の声の大きさに驚きたじろいだ。

 その日の放課後、森村は健一の所に来て言った。

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「ごめんなさい。あんな事言って。」
「いや、じっと見てた僕が悪かった。」と健一が言った。
「それにしても大きな声やったな。」
「ごめんなさい、つい大きな声出しちゃって。」
「そんなに僕に見られるのが嫌だったのか?」
「そんな・・私は人に顔をじっと見られるのが嫌なだけ。」

 森村はそう言って教室から出て行った。

 誰でも顔をじっと見られるのは嫌な事だけれど、
その異常なほどの拒否反応を示した森村の真意を分からないでいた。

 

 

 


 

 

 

 


 

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14,体育祭

 十月になり体育祭が近づいてきた。
健一は走りたくなかった。自分の姿を全校生徒の前に出すのが嫌だった。
けれども健一が1年、2年とリレーで活躍したことを知っている者は健一を推薦し
健一は仕方なく出場することになった。
リレーのメンバーには恵子もいた。

 体育祭の当日、リレーの順番が来たので、健一はクラスの応援を背に入場門の所に
整列した。
恵子と健一は顔を見合わせ、無言でうなづいた。
いよいよ入場という時の緊張感は、2年の時の文化祭の劇の幕が上がる瞬間に似ていた。健一はこの瞬間だけあの栄光を思い出してなつかしんでいた。
大きな拍手と共に一団がスタート地点に向かった。
このリレーは男子がトラック1周200mと女子が半周100mを走る混成リレーであった。健一はアンカーを走ることになっていた。

「よーい」一瞬グランドが静まり返り誰もが息をひそめた。
「バン」というピストルの音が鳴り響き、一斉に第1走者がスタートした。
健一のクラスはトップを走っていた。第2、第3、第4走者と次々にバトンが渡され
トップをキープしていた。
恵子が5番目の走者として2位と十m程あけてトップを走っている。
健一は恵子の方を見て「頑張れもう少し!」と大きな声で叫んだ。
恵子は健一にトップでバトンを渡した。
「頑張って藤ケン!」と恵子が声をかけた。

 健一は前に誰もいないトラックを走っていた。
健一のクラスの前を通過するとき拍手と共に、
「藤ケン、後ろから来てるぞ!」という声が聞こえた。

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健一は後ろをちらっと振り返るともうそこに2位の走者が来ていた。
健一は必死に走った。
第4コーナーを回る頃足が思うように動かなくなってしまった。
何か意志とは別に足だけが動いている気がした。
健一は後ろからきた走者とほとんど同時にゴールした。
健一のクラスはかろうじて1位になった。


 健一の所に恵子が駆け寄ってきた。
「やった藤ケン、1位よ。西岡君のいる2組に勝ったのよ。」
恵子の声ははずんでいた。
健一の後ろを走っていたのは学年で1番速いという噂の2組の西岡信也であった。
健一は恵子の言葉を聞いてうれしかった。
しかし健一はそこでバタッと崩れるように倒れた。

「どうしたの藤ケン?」
恵子が健一の顔をのぞき込んだ。
健一は声が出せないでいた。
健一は目の前がかげろうのように揺れ、目を開けることもできなかった。
そして胃液が逆流するのを感じ口を手でふさいだ。

「吐きそうなの?」
恵子の声が聞こえる。
ここで吐いたらみんなに迷惑をかける。
健一はやっとのことで立ち上がり
「大丈夫。」
と言って整列しているみんなの所へ歩いていった。
健一は何度も胃がけいれんしそうになるのを無理矢理押さえて、みんなと一緒に退場門へ走っていった。

 

富士 健
作家:富士 健
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