健一は自分のとった態度を少しも恥ずかしいとは思ってはいなかった。
むしろこうして恵子と踊れる機会を得たことがうれしかった。
「驚いたか、僕が誘うなんて。」
「ううん、誘ってくれると思ってた。」
健一は恵子の衝撃的な言葉に胸がしめつけられた。
健一はもう何もしゃべれなくなっていた。
ただ柔らかい恵子の手を握っているのだという
実感だけを感じていたが、すぐに恵子は次の男子と、
健一は次の女子と交代し、ふたりはだんだんと遠ざかっていき、
お互いの姿が闇に消えて見えなくなってしまった。
「オクラホマミキサー」が何回か繰り返された後、中央のステージで
ギターを持った2、3人の男女がフォークソングを歌い始めたので、
みんなは円をくずして、赤く燃える炎のまわりに集まっていった。
健一が恵子の姿を探していると、きょろきょろと誰かを探している恵子を見つけ、
急いでそこへかけていった。
「誰を探してたんや。」
「藤ケンに決まってるやん。」
健一は藤 健一の藤と健をとって「藤ケン」と呼ばれていた。
「いっしょに歌えへんか?」
「うん。」
恵子の声ははずんでいた。
健一は、あらかじめ配られた歌詞の書いた冊子を広げ、恵子に見せた。
二人は一つの冊子を炎の薄明かりにあて、肩を並べて見ながら歌い出した。
健一が出だしの音をとれないでつまると、恵子は笑って言った。
「藤ケンって音痴やね。」
「ほっといてくれ。これでも音楽は中学3年間ずっと5やったんやで。」
「ふ~ん、それやったら音楽の先生の耳がおかしかったんやわ、きっと。」
健一は笑った。そして恵子の一言、一言を新鮮な感覚でとらえ、
心を震わしていた。
2、3曲歌う頃には、健一も調子を出してきたが、それでも時々歌詞が見えなくて
「ふふ~ん」とそこだけごまかして歌うと、恵子は笑いながら、歌詞が健一にみえやす
くなるように本を傾けた。
そのしぐさがごく自然なのが、健一にはうれしかった。
そして、こうして歌う事によって心が通い合うのを
お互いに感じていた。
5、6曲終わった頃には、炎が小さくなり、歌詞がいっそう
見えにくくなった。
健一は、直接炎の明かりが冊子にあたるように、炎に背をむけた。
恵子も同じように向きを変え、ちょうど健一と本との間に恵子が入った。
健一は目の前の恵子の肩に本を持った手のひじを降ろした。
「藤ケン、見える?」
「見える。」
健一は180㎝の長身で、160㎝前後の恵子が前に立っても楽に歌詞は見えた。
健一は、自然にこんな状態をとる恵子に驚いたが、
恵子の肩にひじを降ろしている自分にも驚いていた。
健一は恵子の髪に顔を近づけてみた。
石鹸のようないい香りにめまいを感じ、異性を感じた。
すると、恵子の体が後ろに倒れていき、健一にもたれかかった。
二人はもう歌を歌ってはいなかった。
9時過ぎになって、ファイヤーストームは終わり、
各クラスの担任の先生の指示を受け、解散していった。
「送るわ。」
健一が恵子に言った。
「遅いから悪い。」
「遅いから送るんやないか。」
「ほんとにええの、ありがとう。」
恵子の家は歩いて十五分くらいのところにあった。
二人は黙って歩いた。
お互いにさっきの自分のとった行動を振り返り、その大胆さを今になって少し
恥ずかしく思う反面、今まで遠い存在であった相手を身近に感じて、
その喜びにひたっていた。
人混みからはずれ、路地に入ったころ、健一が話しかけた。
「明日は代休やな、映画に行けへんか。」
「映画?」
健一は自分の強引さに驚いたが、それ以上に恵子も驚いて、どう返事をしたら
いいのかと戸惑っていた。
「どうしたらええのやろ」
「どうするって、簡単やないか。行きたくないなら行かない、行きたいのなら行くって
言えばええのや」
「だって・・・」恵子はしばらく考えた。
「ええわ、行く。」
「よし、じゃ明日十時に梅田の歩道橋な。」