さよなら命ーくつのひもが結べないー

32

 6、ブーツと大阪城

 3学期も終わり春休みになった。
健一は自信を失ってしまっていた。
春休みになって一週間過ぎたのに、一度も恵子と連絡をとっていなかった。
そうするうちに、初めて恵子から電話があった。

「どうしたの藤ケン?全然連絡してくれへんやん。」
「ごめん、悪かった。」
「何かあったの?」
「いや別に。ただちょっと疲れてたんで家で寝てたんや。」
「また体が悪くなったの?」
「いいやそんなことはない。もうタンパクは降りてないから。
 ただ少しテスト疲れが出たんや。」
「そう、じゃもう大丈夫やねんね。」
「そうや。」
「じゃ明日どこかへ行こう。」
「うん。」と言ったものの健一は今は恵子と会いたくなかった。
「映画でもいいけど、ちょっと買いたい物があるから、つきあってくれへん。」
「うん、ええよ。」
「じゃいつものところに十時ね。」
「ちょっと待ってくれ。」
 健一は本当は今は会いたくないと言おうか考えた。
「どうしたの、早すぎる?」
 健一は恵子と会おうと決心した。
「いや十時でええよ。」
「そしたら十時ね。遅刻したら後が怖いんやから。」
「わかったわかった。必ず十時に行ってるよ。」
「必ずよ。じゃ明日バイバイ。」

33

「バイバイ。」

  健一は恵子と話しているうちに、だんだんと気持ちがなごんでいく自分を感じた。
そして恵子の存在を忘れていた事を後悔した。
その夜は久しぶりに恵子のことを考えながら健一は
ぐっすりと寝た。
朝、健一は驚くほど目覚めが良かった。
こんな目覚めのいい朝はいつ以来だろうかと思った。
そして恵子が今の自分には欠くことのできない存在である
事を強く感じた。
 健一は十時十分前に梅田の歩道橋についたが、すでに恵子は来ていた。
「なかなか優秀。十分前に来るなんて新記録じゃない。」
「そう言うなよ。」
「ブーツを一緒に見てもらおうと思って。前からお父さんに買ってってねだってたの。
そうしたら1万円くれたの。足りない分は小遣いから出せって。ね、いいでしょ。
一緒に見てくれる。」
「ええけど、僕がいたって何もわからへんで。」
「いいの、藤ケンが気に入るのを買いたいのよ。」
「そうか、じゃさっそく見に行こうか。」
「うん。」

 恵子の声ははずんでいた。
そして二人は歩き始めたが、健一は恵子の肩に手をまわそうとしてためらった。
今まで一度もためらったことがなかったのに、このときは健一はできなかった。
そしてこの1ヶ月程で自分の心の中がめまぐるしく変化し、今までのように人の目を
気にしない大胆な態度がとれないでいる自分をはっきりと自覚した。
ああ自分はどうしてこんなに小心になってしまったのだろう。
健一は自己嫌悪に陥っていた。

 恵子はそんな健一の気持ちをまだ分かっていなかったが、いつものように肩を

34

抱いてくれないばかりか、手もつないでくれない健一に少し不安になり。その不安を
うち消そうと自分から腕を組んだ。
腕を組んだ拍子に恵子の胸が健一の腕に当たり、健一はとまどいを感じた。
二人は腕を組んだまま梅田のショッピングタウンを歩いた。
婦人靴の専門店の前に来ると恵子は組んでいた腕を離した。

「ねえ何色がいい?」
「そうやなやっぱり黒か茶色やろな。」
「黒はありきたりやから、茶の方がええんとちがう?」
「そしたら、茶にしたら。」
「何よもっと真剣に考えてよ。」
「そしたらこんなんどうや。」
 健一は明るい茶色のブーツを指さして言った。
「どれ、あ、あそこのやつ。すごくいい色。」
 恵子はそのブーツを手にとってみた。
「でもちょっとそれ足に合うかな?」と健一が言った。
「大丈夫よ、サイズはいろいろあるやろうから。」
「恵子の大根足が入るのあるのかな?」
「何よ失礼ね。」

 恵子の足は決して太くはなかったのだが、健一はわざとそう言って
恵子がおこるのを見たかったのだ。
恵子は少し口をとがらせ、おこった表情をしていた。
でもそれが健一にはとても愛らしく写った。
「冗談だよ。」
「女の子の気持ち考えてよ。」
すぐにいつもの恵子に戻っていた。

「1万6千円もするのこれ。ちょっと高すぎるわ。」
「いくら持ってきたんや?」

35

「もらった1万円と5千円ちょっと。」
「じゃ僕が3千円だけ出したるわ。」
「悪いわそんなの。」
「かまへん。」
「そんなつもりで誘ったんじゃないのに。」
「わかってる、そんなこと。今まで何も買ってあげたことなかったやろ。
 だから出してやりたいねん。」
「本当にいいの? じゃこれにする。」
 恵子は店員を呼んで23㎝のサイズを出してもらうと、さっそくはいてみた。
それは恵子にあつらえたようにぴったりだった。
「どう?」健一が聞いた。
「うん、ぴったり。」
「すみませんこれ下さい。」
健一が出した3千円をたして恵子は1万6千円払った。
しばらくして店員は大きな紙袋を持ってきた。
「どうもありがとうございます。」
恵子はその紙袋を持って店を出ると健一の腕にしがみついてきた。
「ありがとう、本当にありがとう。」
「いいよ、たった3千円じゃないか。」
「本当はきついんじゃないの?」
「みやぶられたか。」
 二人は笑った。

  二人は映画を見るのをやめて大阪城へ行くことにした。
北天門高校は大阪城のすぐ横にあるので、教室の窓から
大阪城をいつも眺めていたが、まだ入ったことがなかった。
梅田から地下鉄に乗って天満橋で降りて、歩いていくと
大阪城が左に、学校が右に見えてきた。

「なんか学校へ行くみたいやな。」と健一が言った。

富士 健
作家:富士 健
さよなら命ーくつのひもが結べないー
10
  • 0円
  • ダウンロード

32 / 133

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント