さよなら命ーくつのひもが結べないー

36

「そうやね。」
 二人はわざと学校の前を通ることにした。
「改めて見るときたない学校やね。」と恵子が言った。
「きたないんじゃなくて、伝統がにじみ出てるって言うんや。」
「ああ、そういうの。」
 恵子はわざと感心したような顔をしてみせた。
健一はその顔を見て笑った。恵子も一緒に笑った。

 大阪城の内堀の公園に入った時、健一はためらいもなく恵子の肩を抱いた。
恵子は健一に寄り添うようにして歩いた。

 公園の木々はようやく緑が濃くなり始めていた。
桜のつぼみはかたくしばらく咲きそうになかった。
空は青く、白い雲も浮かんでいた。

「西の丸庭園にでも行こか。」と健一が言った。
「うん。」

 西の丸庭園は大阪城内にある芝生が一面に植えられているだけの大きな庭園である。
西の丸庭園に入ると、健一はでんと大の字になって寝ころんで青空を見上げた。
恵子はスカートをはいていたのですこしためらいながら、健一の横に同じようにして
あお向けに寝ころんだ。

「小さい頃、家の前がどこかの会社のグランドやったから、こんなふうに青空を
 よく見上げたもんや。」
「ああそう、私は初めて。」
「どうや、気持ちいいやろ。」
「うん、でもちょっとこわいわ。」
「どうして?」
「あまりにも空が大きすぎるもん。」

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「バカやな。空が小さかったらどないなるんや。」
「そうやね。」
「ほら、雲をじっと見てみ。」
「何か見える?」
「雲が動いてるやろ、ほら。」
「ほんと、雲が動いてる。」
「風に乗って雲が動いてるんや。そして僕たちは今地球が回ってる
 証拠を見てるんやぞ。」
「ああそうか、地球が回ってるのか。」
 二人は目の前に広がる青空と白い雲と背中に感じている大地と自分が一体になり
大自然の中でこの自分が生きているんだという実感をつかんでいた。

「よし、いっちょ逆立ちでもしたろか。」
「え、逆立ちできるの?」と恵子は体を起こし健一を見た。
「見ててみ。」
 健一は白いカーディガンを脱いで恵子に渡した。
「せえの。」と言うと健一はひょっと地面を蹴った。
 そして軽々と逆立ちした。
「ほんと、上手やね。」
 健一はそのまま前に歩き始めた。
 5m程行った所で背中から落ちてしまった。
 あまりにも勢いよくまともに背中から落ちたので
「大丈夫?」と恵子が駆け寄ってきた。
 健一は意識を失ったふりをした。
「ねえ、藤ケンどうしたの。ねえ。」
 と恵子はしきりに健一の体をゆすって言った。
 健一はかわいそうになり目を開けて
「どうしたんや。」と言うと
「藤ケンのバカ。」と恵子は健一の胸をたたいた。
「失敗、失敗。」健一は背中についた芝生をはたきながら言った。

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「あほやな、へたくそなくせして、ええカッコするからバチがあたったんや。」
 と恵子も健一の背中をはたきながら言った。
「そうやな。」と健一は言いながら笑った。恵子も笑った。

 二人は西の丸庭園を出ると、大阪城の内堀を一周した。
「大阪にこんな広い所があったんやね。」と恵子が言った。
「今歩いてるのは内堀で、この外側に外堀があったんやから実際にはもっと広いんやで。」「大阪城ができたころは、何重もの外堀があったんでしょ。」
「うん、そうらしいな。今は埋められて家が建ってるんや。僕らの学校もそうらしいで。」
「私の家もそうやって言ってた。」
「ほんまかいな。そしたら今の何倍もの大きさやったんやな。」

 健一は大阪城ができた頃の様子を頭に浮かべた。
そして、今にもちょんまげをした侍が出てきそうな錯覚を
おこしバカバカしくてひとり含み笑いを浮かべた。

「何を笑ってるの?」と恵子が言った。
「いや、なんか桃山時代にいる気分になったんや。」

「おもしろい。藤ケンがこの城の殿、豊臣秀吉で、私がその妻ねねというところかしら。」
「いや、腰元や。」
「ふん、いじわる。」
 健一は恵子の肩を抱いて「ウソ、今のはウソや。」と言った。
「わかってる。」と恵子は健一にもたれながら言った。

 西の空はもう真っ赤に染まっていた。
夕日が大阪城に反射して、その雄大さを強調していた。
こんなアングルで写真を撮ったらさぞかしきれいだろうなと健一は思った。

「もう、帰ろうか。」

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「いや、もう少し一緒にいたい。」
 いつになく恵子が甘えた声を出して言った。
二人は内堀を見下ろす藤棚の下のベンチに腰をかけた。
二人はもうあまりしゃべらなかった。
健一は恵子にキスした。
唇に触れるだけのキスだった。
恵子は泣いてはいなかった。

「今度のテストどうやった?」と恵子が切り出した。
 健一はどう答えようかとためらった。
 今までの成績はためらわずに言えたのに今回はそうはいかなかった。
「あんまり良くなかった。」
「そう、でも藤ケンの良くないはどうかわからへんもん。」
 健一は恵子の誤解をときたかったがそれができないでいた。
 二人はそれ以上何もしゃべらなかった。

 健一は腕を組んだ時にあたる恵子の胸の感触を呼び起こしていた。
そしてそれを自分の手で確かめたくなった。
健一はもう一度キスした。
恵子は目を閉じていたが、健一は恵子を見つめていた。
そして右手で恵子の左胸をそっと触れた。
まるでゴムまりのようにはじけそうな感触に健一はときめきをおぼえたが、
恵子は反射的に健一の右手を押さえた。
健一はどうしたらよいかわからず戸惑っていた。
恵子は健一とキスする場面を頭に描きはしたが、
それ以上のことは考えたことがなかったのだ。
健一は右手を離した。
そして恵子の純粋な気持ちと、今の自分の気持ちとを
比べて自己嫌悪におちいった。
 それを察した恵子は

富士 健
作家:富士 健
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