さよなら命ーくつのひもが結べないー

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家に帰って母の久子に見せると、久子は泣いた。
健一は自分が母にしてあげられる最高の親孝行だと思った。

  健一の父浩二郎は愛媛県の農家の次男として生まれた。
苦しい家計であったが、工業科の高校を卒業後、大阪の大手の建設会社に就職した。
浩二郎が山梨県のダム建設をしていたのが29歳の時だった。
そこで6つ年下の母久子と知り合ったのである。
久子も貧しい農家の生まれで、6人兄弟の5番目で末娘であった。
中学卒業後甲府の町工場で働いていた。
小さな村だったので浩二郎と久子は人目を忍んで逢うのに苦労した。
二人は結婚を誓い合い、浩二郎は久子の家に申し込みに行った。
久子の親戚はみな反対した。
どこの馬の骨ともわからぬ他人に久子を嫁がせたくない。
この地を離れて親戚が一人もいない所へ行かせたくないというのが反対の理由だった。

 二人は必死に親戚を説得しようとしたが受け入れてもらえず、
かけおち同様に久子は家を出たのである。
一方浩二郎は久子と結婚したという知らせだけを愛媛の実家にしただけであった。

 浩二郎の実家も同様にあきれて物も言えないという状態で、二人の結婚を祝福
した者は誰もいなかった。
 そしてまもなく健一が生まれたが、誰一人お祝いをした者はいなかった。
親子3人が工事現場を名古屋、茨城、長野、大阪と転々と移りながら過ごす事は
貧しいけれど、幸せな事であった。
しかし、親戚から見放されている事はさみしい事であった。
 浩二郎は自分の実家はともかく久子の実家に盆と正月には顔を出して許してもらえる
ように説得した。
ようやく浩二郎の人柄が分かってもらえ、幸福のきざしが見え始めたのだが、それも
つかの間、二人目の英文が生まれてまもなく浩二郎は三十五歳という若さでガンで
死んでしまったのである。

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 久子は二十九歳であった。葬儀は愛媛の実家で行われた。
浩二郎の親戚はそこで初めて久子と二人の子供を見たのである。

 弔いが終わった後、久子は子供二人を連れて大阪に戻り、就職先を見つけ、新しい
生活を始めたのである。
 久子は毎晩のように泣いた。最愛の夫が急死した悲しみは言葉では言い尽くせない程
で、後から後から涙が出てきた。
これからの生活のことを考えると、子供と共に死のうと考えたこともあった。しかし、
久子は強く生きてこの子供たちをりっぱに育てるのだと心に誓ったのである。
久子の実家から子供を連れて山梨に戻るようにすすめられたが、久子は戻らなかった。
親子3人の暮らしは楽ではなかった。

  久子は子供の教育には熱心であった。
久子は毎日の宿題を必ず点検した。
ある日、見落としてやっていない宿題があった時、朝食を食べさせないで宿題をさせて
から学校へ行かせた。健一は泣きながら学校へ行ったことを今でも覚えている。
それでも、健一が小学校の高学年になり、父と母の出会いから今までの事情を久子から
聞かされる頃になると、健一はそんな久子を憎めなかった。
かえって、よし、僕がしっかりしなくてはならないんだと思ったのである。
一方小さい英文は勉強にうるさい久子を憎んでいた。

 健一が中学を卒業して、高校に入学が決まった春、久子は子供二人を連れて、
浩二郎の実家に出向いた。
9年ぶりのことである。
浩二郎の親戚は久子たちをあつく歓迎してくれた。
健一の成績優秀なのをとてもほめた。
久子は泣いた。
泣いている久子を見て、健一も涙があふれそうになった。

  健一が高校に入ると久子はもう健一には干渉しなくなった。

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その分、英文に強く言うようになった。
英文も成績は良かったが、兄の健一ほどではなかったので、久子はいつも健一を例に
あげて「兄ちゃんはこうだったよ。」と言っていた。
英文はその言葉を聞くのが嫌だった。
「僕は兄ちゃんとは違うんだ。」といつも心の中で反発していた。
英文も、もう中学生になっていた。

  健一は成績において今まで完璧だった。完璧すぎたのだ。
だから1年の最後に280番という席次をもらって初めて悩んだ。
そしてその理由を勉強不足にもっていった。
この3ヶ月程、健一は病気を治すために十二時には寝るようにしたので、それまでの
半分程の量しかこなせなかった。
けれども今までのように夜中の2時、3時まで勉強するということは、やっと治りかけた腎炎をまた悪くすることになってしまうと健一は思った。
睡眠時間を増やせば勉強する時間が少なくなり、睡眠時間をさいて勉強すれば体が
また悪くなる。
健一はどうしたらよいのか途方にくれた。

 ある日久しぶりに夜中の3時まで勉強して学校へ行くと、一日中眠たくて今まで
一度も授業中に寝たことのない健一が居眠りをして先生にしかられた。
 健一は急激に疲れを感じ始めた。
そして学校から帰ると必ず2時間は寝るようになっていた。
目が覚めても眠気は残り、いざ勉強を始めようとしても頭がさえなかった。
どうしてこんなになってしまったのだろうかと考える時間がますます増える一方に
なっていった。

 ある日健一は学校から帰るといつものようにベッドに入った。
そして、今日生物の先生が授業中に言った言葉を思い出した。

「つまり遺伝というのは、親の生殖細胞にある染色体の遺伝子が減数分裂してかけ合わ

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され、その優劣の関係によりその形質が子供に現れるというわけだ。だから、頭の良い
親からは頭の良い子供ができ、頭の悪い親からは頭の悪い子供ができるという事だ。これは単なる偶然ではなく、染色体に書き込まれた遺伝子というものによって決められた必然的な現象というわけだ。私の息子は高校時代、ラグビーを3年間やっていたが、現役で京大に入ったし、娘も楽々京大の文学部に入ったんや。まあこれも遺伝学的に見て必然的なことしかりなわけだが、まあ自分がどれだけ頭がいいかは親を見たらすぐわかるのであって、自分の頭の悪さは親の責任だとはやくあきらめるんやな。」
 
 その生物の先生は六十過ぎの白髪の老教師で、自分は医学博士だとか言って、いつも
自分の自慢話ばかりしていたので、生徒たちには評判が良くなかった。
けれども彼の口調には説得力があり、健一はこの老教師の話を聞いて両親の事を頭に
浮かべた。
父の浩二郎は勉強は非常によくできたらしい。一方母の久子は中学出であるが、今まで
一度も健一は久子を頭の悪い人だと思ったことはなかった。いつでも久子は健一にとって神のような存在だった。しかし、よく考えてみると一度も久子は健一に勉強を教えたことはなかった。「勉強しなさい。」とは言っても、内容まで教えてもらったことがないのに初めて気がついた。

 健一は、頭が良いという事と勉強が良くできるという事がイコールであるのかないのかと考えた。

「健一起きや。」と下で久子の呼ぶ声がした。
時計を見るともう2時間もたっていた。
健一は下へ降りると英文はクラブからちょうど帰ってきたところで学生服のまま夕食を
食べ始めていた。
「英文、もうそろそろ3学期末テストやな、今度こそ国語と英語が5になるようにせな
あかんで、分かってるんかいな。」
「分かってるわ、いちいちうるさいな。」
「分かってるんやったら、一度くらいとってみいや。」
「分かってるって言うてるやろ。」

富士 健
作家:富士 健
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