さよなら命ーくつのひもが結べないー

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 健一の言葉に恵子は返事をするかわりに、うつむいてた顔を少し上げて
目をつむった。

 健一は唇に唇を重ねた。

 その感触はとても柔らかだった。

 何秒たっただろう、唇を離して恵子をみると恵子は泣いていた。

「どうしたんや?」
「うれしいの。」

 恵子は顔を健一の胸にうずめて泣いた。
健一はどうしたらよいかわからず、ただ恵子の髪をなぜながら泣きやむのを待っていた。しばらくして恵子は顔を上げた。

「私、初めてやったの」
「僕もや。」

「レモンの味がするって言うけどどんな味がした?」と健一が聞いた。
「何の味もしなかった。」
「僕はミルクの味がしたぞ。」
「それは、さっき私が牛乳飲んだからでしょ。」
「なんやそうか。」

 健一は笑った。
 恵子もしゃくりあげながら小さく笑った。

 しかし、二人の幸せはそんなに長く続かなかった。

 

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5、腎炎と成績と

 健一は2学期末テストが終わるとすぐに病院へ行き精密検査を受けた。
その結果は前とほとんど同じだった。

「慢性腎炎ですね。急性であれば1ヶ月程入院してもらえば完全に快復する場合もある
んですが、あなたのように慢性になると入院してもすぐには治らないんですよね。薬は
出しますが、今はまだ直接腎炎を治す薬はないんです。今は食事に気をつけるのと、
激しい運動を避けることです。それから十分に睡眠をとるようにして、1ヶ月に一度
くらい通うようにしてみて下さい。お大事に。」

 健一の心は複雑だった。
今までは自覚症状がなかったので慢性腎炎なんてこんなものかと高をくくっていたが、
最近起こる腰痛や吐き気など自覚症状が出てきたので、初めて自分はやっかいな病気に
なってしまったと分かってきたのである。入院してでも早く治したいのだが、それもできないというやり場のないもどかしさを感じていた。

 家に帰ると健一は久子に
「大丈夫やて、タンパクは降りてへんかったわ」と嘘をついた。
「ああそう、良かったね。じゃ食事はどうしろって言ってた?」
「今まで通りでええって。」とまた嘘をついた。

 久子は健一の症状に気づいてはいなかった。
ただ最近、朝トーストを食べないで学校へ行くようになっていた事に少し不安を
感じてはいたが、それも夜遅くまで勉強しているので、朝は何も食べれないのだろう
と思っていた。

 健一は自分の部屋に入って考えていた。
母の久子には本当の事を言わないでおこう。食事も久子は気をつけて特に塩辛いものは

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作らないでいたので、これ以上心配をかけなくてもいいと思った。
後は自分が体育の授業を見学し、クラブもやめ、睡眠を十分にとるようにすればいい
と思った。

 そして冬休みの間、自分でもびっくりする程よく寝た。

  寝ても寝てもまだ眠たかった。

 そしてその間一度も腰痛も吐き気も感じなかった。

 3学期が始まっていつものように恵子を送る途中で恵子は言った。
「良かったね。悪くなってなくって。でも良くなってないんやったら、早く治る
ように無理しないようにね。」
恵子には本当の事を話していた。

 3学期からは寝る時刻を十二時と決め、早く寝るようにした。
そんな日々が続き、3学期が終わる頃、病院へ行って尿検査をしてみると、
タンパクは降りていなかった。
健一は「もう僕は病気なんかじゃないんだ。」と、とてもうれしかった。
しかし、3学期の学力テストでは450名中、1学期45番、2学期123番
だったのが、280番になっていた。

 健一は悩んだ。
初めて成績で悩んだ。

健一は中学校時代オール5を何回もとった。
中2の3学期に担任の先生が通知票を渡してくれた時、
「よくやったな。」と言ってくれた。
通知票を開けてみると、5の数字だけでうまっていた。
健一はとてもうれしかった。

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家に帰って母の久子に見せると、久子は泣いた。
健一は自分が母にしてあげられる最高の親孝行だと思った。

  健一の父浩二郎は愛媛県の農家の次男として生まれた。
苦しい家計であったが、工業科の高校を卒業後、大阪の大手の建設会社に就職した。
浩二郎が山梨県のダム建設をしていたのが29歳の時だった。
そこで6つ年下の母久子と知り合ったのである。
久子も貧しい農家の生まれで、6人兄弟の5番目で末娘であった。
中学卒業後甲府の町工場で働いていた。
小さな村だったので浩二郎と久子は人目を忍んで逢うのに苦労した。
二人は結婚を誓い合い、浩二郎は久子の家に申し込みに行った。
久子の親戚はみな反対した。
どこの馬の骨ともわからぬ他人に久子を嫁がせたくない。
この地を離れて親戚が一人もいない所へ行かせたくないというのが反対の理由だった。

 二人は必死に親戚を説得しようとしたが受け入れてもらえず、
かけおち同様に久子は家を出たのである。
一方浩二郎は久子と結婚したという知らせだけを愛媛の実家にしただけであった。

 浩二郎の実家も同様にあきれて物も言えないという状態で、二人の結婚を祝福
した者は誰もいなかった。
 そしてまもなく健一が生まれたが、誰一人お祝いをした者はいなかった。
親子3人が工事現場を名古屋、茨城、長野、大阪と転々と移りながら過ごす事は
貧しいけれど、幸せな事であった。
しかし、親戚から見放されている事はさみしい事であった。
 浩二郎は自分の実家はともかく久子の実家に盆と正月には顔を出して許してもらえる
ように説得した。
ようやく浩二郎の人柄が分かってもらえ、幸福のきざしが見え始めたのだが、それも
つかの間、二人目の英文が生まれてまもなく浩二郎は三十五歳という若さでガンで
死んでしまったのである。

富士 健
作家:富士 健
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