さよなら命ーくつのひもが結べないー

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「どうしたんや、なんで泣いてるんや?」
「だって藤ケンがこんなに痛がっているのに、私には何にもしてやれないもん。」

 健一は胸がつまった。

「ちゃんと介抱してくれたやないか、それで十分や。」

 そう言って健一は恵子の肩を抱いている手に力を入れた。

「泣くなよ、そんなに泣いたら今にも僕が死ぬみたいやないか。
  泣くのをやめて大丈夫だと励ましてくれよ。」
「でも、もう一度精密検査を受けた方がいい。きっとよ、学校休んでも必ず受けてよ。」
「わかった、そうする。そうして健康優良児の証明書をもらってくるよ。」

 恵子にやっと笑みがうかんだ。
 そしてしばらく沈黙が続いた。

  ベンチをさす明かりは、薄暗い街灯とぽつんぽつんと見えるビルの明かりと
あい色の夜空にまたたくいくつかの星だけだった。
少し冷たい空気に包まれていたが、健一も恵子もそれを感じてはいなかった。

 恵子の体が力が抜けたかのように健一にたおれてきた。
健一はそれを支えるように恵子を強く抱きしめた。

 恵子の髪が健一の唇にふれた。
その香水のような香りが健一の胸を再びしめつけた。

「好きだ。」健一が言った。
「私も。」
「キスしてもいいか。」

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 健一の言葉に恵子は返事をするかわりに、うつむいてた顔を少し上げて
目をつむった。

 健一は唇に唇を重ねた。

 その感触はとても柔らかだった。

 何秒たっただろう、唇を離して恵子をみると恵子は泣いていた。

「どうしたんや?」
「うれしいの。」

 恵子は顔を健一の胸にうずめて泣いた。
健一はどうしたらよいかわからず、ただ恵子の髪をなぜながら泣きやむのを待っていた。しばらくして恵子は顔を上げた。

「私、初めてやったの」
「僕もや。」

「レモンの味がするって言うけどどんな味がした?」と健一が聞いた。
「何の味もしなかった。」
「僕はミルクの味がしたぞ。」
「それは、さっき私が牛乳飲んだからでしょ。」
「なんやそうか。」

 健一は笑った。
 恵子もしゃくりあげながら小さく笑った。

 しかし、二人の幸せはそんなに長く続かなかった。

 

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5、腎炎と成績と

 健一は2学期末テストが終わるとすぐに病院へ行き精密検査を受けた。
その結果は前とほとんど同じだった。

「慢性腎炎ですね。急性であれば1ヶ月程入院してもらえば完全に快復する場合もある
んですが、あなたのように慢性になると入院してもすぐには治らないんですよね。薬は
出しますが、今はまだ直接腎炎を治す薬はないんです。今は食事に気をつけるのと、
激しい運動を避けることです。それから十分に睡眠をとるようにして、1ヶ月に一度
くらい通うようにしてみて下さい。お大事に。」

 健一の心は複雑だった。
今までは自覚症状がなかったので慢性腎炎なんてこんなものかと高をくくっていたが、
最近起こる腰痛や吐き気など自覚症状が出てきたので、初めて自分はやっかいな病気に
なってしまったと分かってきたのである。入院してでも早く治したいのだが、それもできないというやり場のないもどかしさを感じていた。

 家に帰ると健一は久子に
「大丈夫やて、タンパクは降りてへんかったわ」と嘘をついた。
「ああそう、良かったね。じゃ食事はどうしろって言ってた?」
「今まで通りでええって。」とまた嘘をついた。

 久子は健一の症状に気づいてはいなかった。
ただ最近、朝トーストを食べないで学校へ行くようになっていた事に少し不安を
感じてはいたが、それも夜遅くまで勉強しているので、朝は何も食べれないのだろう
と思っていた。

 健一は自分の部屋に入って考えていた。
母の久子には本当の事を言わないでおこう。食事も久子は気をつけて特に塩辛いものは

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作らないでいたので、これ以上心配をかけなくてもいいと思った。
後は自分が体育の授業を見学し、クラブもやめ、睡眠を十分にとるようにすればいい
と思った。

 そして冬休みの間、自分でもびっくりする程よく寝た。

  寝ても寝てもまだ眠たかった。

 そしてその間一度も腰痛も吐き気も感じなかった。

 3学期が始まっていつものように恵子を送る途中で恵子は言った。
「良かったね。悪くなってなくって。でも良くなってないんやったら、早く治る
ように無理しないようにね。」
恵子には本当の事を話していた。

 3学期からは寝る時刻を十二時と決め、早く寝るようにした。
そんな日々が続き、3学期が終わる頃、病院へ行って尿検査をしてみると、
タンパクは降りていなかった。
健一は「もう僕は病気なんかじゃないんだ。」と、とてもうれしかった。
しかし、3学期の学力テストでは450名中、1学期45番、2学期123番
だったのが、280番になっていた。

 健一は悩んだ。
初めて成績で悩んだ。

健一は中学校時代オール5を何回もとった。
中2の3学期に担任の先生が通知票を渡してくれた時、
「よくやったな。」と言ってくれた。
通知票を開けてみると、5の数字だけでうまっていた。
健一はとてもうれしかった。

富士 健
作家:富士 健
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