さよなら命ーくつのひもが結べないー

20

そして、体育の授業では必ずもどすようになってしまった。
健一の様子を見た体育の先生は強制的に体育の授業を見学させ、
バスケット部も退部するように勧告したのだった。

 バスケット部を退部する決心をした健一は最後の練習をした。
不思議なことに一度も吐き気も腰痛も起こらなかった。
練習を終え、もっとやれるのに、という気持ちを
健一はまだ捨てられなかった。
いつものように学食へ行くと恵子がいた。

「お疲れさん。」恵子が言った。
「まるで女房みたいやな。」
「じゃなんて言ったらいいの?」
「いいよ、それで。」
「じゃ文句言わないでよ。」

 健一と恵子はもう真っ暗になった道を手をつないで歩いた。

「藤ケン、また体が悪くなったんやて?」
「誰から聞いた?」
「力武君が言ってた。あいつ体育の授業見学やって。」
「なにたいした事ないんや。ただ先生がきつく言うから、用心のため
 しばらく見学することにしたんや。」
「バスケットはどうするの?」
「今日でやめる。」
「やめるの? もったいないなぁ。でも仕方ないね。
 体悪くしたら何にもならへんもんね。」
「まぁ、そう言うことや。」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫やって。」

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 その時、健一の腰に激痛が走った。思わず健一はしゃがんでしまった。

「どうしたの藤ケン?」
「急に腰が痛くなったんや。」
「大丈夫? 救急車呼ぼか?」
「そんな大それたことやない。少しこのままにしておけばじきに治る。」

 恵子は心配げな様子で健一を見つめていた。
しばらくして激痛がおさまり、健一が立ち上がろうとすると、
「私につかまって。」と恵子は健一を抱きかかえるようにして起こした。
健一は恵子の肩を抱き、恵子は健一の体をささえて歩き出した。

「本当に大丈夫? あそこのベンチでちょっと休んだら?
 そうよ、その方がいい。」
「そうやな、ちょっと休もうか。」

 二人はそのまま人影のない公園のベンチに腰をかけた。


 この公園はいつも恵子を送るとき横切るのだが、ベンチに座ろうかと健一が言っても
暗いから怖いと恵子が言うので必ず素通りしていた。

「時々こんなふうに痛くなるの?」
「時々な。」
「どうしてそれなのに体育の授業を受けたり、クラブに再入部したりするのよ。
 バカよ、藤ケンは。」

 健一は何も言えなかった。

「まだ、痛い?」という恵子の目には涙が浮かんでいた。

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「どうしたんや、なんで泣いてるんや?」
「だって藤ケンがこんなに痛がっているのに、私には何にもしてやれないもん。」

 健一は胸がつまった。

「ちゃんと介抱してくれたやないか、それで十分や。」

 そう言って健一は恵子の肩を抱いている手に力を入れた。

「泣くなよ、そんなに泣いたら今にも僕が死ぬみたいやないか。
  泣くのをやめて大丈夫だと励ましてくれよ。」
「でも、もう一度精密検査を受けた方がいい。きっとよ、学校休んでも必ず受けてよ。」
「わかった、そうする。そうして健康優良児の証明書をもらってくるよ。」

 恵子にやっと笑みがうかんだ。
 そしてしばらく沈黙が続いた。

  ベンチをさす明かりは、薄暗い街灯とぽつんぽつんと見えるビルの明かりと
あい色の夜空にまたたくいくつかの星だけだった。
少し冷たい空気に包まれていたが、健一も恵子もそれを感じてはいなかった。

 恵子の体が力が抜けたかのように健一にたおれてきた。
健一はそれを支えるように恵子を強く抱きしめた。

 恵子の髪が健一の唇にふれた。
その香水のような香りが健一の胸を再びしめつけた。

「好きだ。」健一が言った。
「私も。」
「キスしてもいいか。」

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 健一の言葉に恵子は返事をするかわりに、うつむいてた顔を少し上げて
目をつむった。

 健一は唇に唇を重ねた。

 その感触はとても柔らかだった。

 何秒たっただろう、唇を離して恵子をみると恵子は泣いていた。

「どうしたんや?」
「うれしいの。」

 恵子は顔を健一の胸にうずめて泣いた。
健一はどうしたらよいかわからず、ただ恵子の髪をなぜながら泣きやむのを待っていた。しばらくして恵子は顔を上げた。

「私、初めてやったの」
「僕もや。」

「レモンの味がするって言うけどどんな味がした?」と健一が聞いた。
「何の味もしなかった。」
「僕はミルクの味がしたぞ。」
「それは、さっき私が牛乳飲んだからでしょ。」
「なんやそうか。」

 健一は笑った。
 恵子もしゃくりあげながら小さく笑った。

 しかし、二人の幸せはそんなに長く続かなかった。

 

富士 健
作家:富士 健
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