さよなら命ーくつのひもが結べないー

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 4、燃える秋

  健一は入学時に入っていたバスケット部を腎炎のため一度やめたが、
その頃再びバスケット部に入部していた。
 ある日練習が終わって学校の食堂で冷たいコーラを飲んでいると、
恵子がかばんを持って近づいてきた。

「待っててん。」恵子が言った。
「あほやな、今まで何してたんや。」
「教室で良子と数学の宿題やっててん。」
「良子は?」
「じゃましたら悪い言うて、さっき帰った。」
「気をきかしたつもりやな。」
「本当言うと、宿題なんかせんと校舎の窓から藤ケン見てたんや。」
「どうや、かっこええやろ。」
「うん、その足の短いのが最高やわ。」
「バカ!」

 二人は大きな声をあげて笑った。
そして恵子の家まで、二人は今の時間を大切にするかのようにゆっくりと
歩いて帰った。
そんな日が一週間ほど続いた。

  健一は腎炎だと診断されても、最初は時々体育の時間中に吐き気をもよおす
程度だった。
もともと体育の好きな健一は授業を見学するのが嫌だったので、体育の先生の忠告を
よそに、授業を受け、再びバスケット部に入ったのだった。
  けれどもそれが悪かった。つらくてもこの時安静にしておくべきだった。
健一は時々腰に痛みを感じるようになった。

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そして、体育の授業では必ずもどすようになってしまった。
健一の様子を見た体育の先生は強制的に体育の授業を見学させ、
バスケット部も退部するように勧告したのだった。

 バスケット部を退部する決心をした健一は最後の練習をした。
不思議なことに一度も吐き気も腰痛も起こらなかった。
練習を終え、もっとやれるのに、という気持ちを
健一はまだ捨てられなかった。
いつものように学食へ行くと恵子がいた。

「お疲れさん。」恵子が言った。
「まるで女房みたいやな。」
「じゃなんて言ったらいいの?」
「いいよ、それで。」
「じゃ文句言わないでよ。」

 健一と恵子はもう真っ暗になった道を手をつないで歩いた。

「藤ケン、また体が悪くなったんやて?」
「誰から聞いた?」
「力武君が言ってた。あいつ体育の授業見学やって。」
「なにたいした事ないんや。ただ先生がきつく言うから、用心のため
 しばらく見学することにしたんや。」
「バスケットはどうするの?」
「今日でやめる。」
「やめるの? もったいないなぁ。でも仕方ないね。
 体悪くしたら何にもならへんもんね。」
「まぁ、そう言うことや。」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫やって。」

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 その時、健一の腰に激痛が走った。思わず健一はしゃがんでしまった。

「どうしたの藤ケン?」
「急に腰が痛くなったんや。」
「大丈夫? 救急車呼ぼか?」
「そんな大それたことやない。少しこのままにしておけばじきに治る。」

 恵子は心配げな様子で健一を見つめていた。
しばらくして激痛がおさまり、健一が立ち上がろうとすると、
「私につかまって。」と恵子は健一を抱きかかえるようにして起こした。
健一は恵子の肩を抱き、恵子は健一の体をささえて歩き出した。

「本当に大丈夫? あそこのベンチでちょっと休んだら?
 そうよ、その方がいい。」
「そうやな、ちょっと休もうか。」

 二人はそのまま人影のない公園のベンチに腰をかけた。


 この公園はいつも恵子を送るとき横切るのだが、ベンチに座ろうかと健一が言っても
暗いから怖いと恵子が言うので必ず素通りしていた。

「時々こんなふうに痛くなるの?」
「時々な。」
「どうしてそれなのに体育の授業を受けたり、クラブに再入部したりするのよ。
 バカよ、藤ケンは。」

 健一は何も言えなかった。

「まだ、痛い?」という恵子の目には涙が浮かんでいた。

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「どうしたんや、なんで泣いてるんや?」
「だって藤ケンがこんなに痛がっているのに、私には何にもしてやれないもん。」

 健一は胸がつまった。

「ちゃんと介抱してくれたやないか、それで十分や。」

 そう言って健一は恵子の肩を抱いている手に力を入れた。

「泣くなよ、そんなに泣いたら今にも僕が死ぬみたいやないか。
  泣くのをやめて大丈夫だと励ましてくれよ。」
「でも、もう一度精密検査を受けた方がいい。きっとよ、学校休んでも必ず受けてよ。」
「わかった、そうする。そうして健康優良児の証明書をもらってくるよ。」

 恵子にやっと笑みがうかんだ。
 そしてしばらく沈黙が続いた。

  ベンチをさす明かりは、薄暗い街灯とぽつんぽつんと見えるビルの明かりと
あい色の夜空にまたたくいくつかの星だけだった。
少し冷たい空気に包まれていたが、健一も恵子もそれを感じてはいなかった。

 恵子の体が力が抜けたかのように健一にたおれてきた。
健一はそれを支えるように恵子を強く抱きしめた。

 恵子の髪が健一の唇にふれた。
その香水のような香りが健一の胸を再びしめつけた。

「好きだ。」健一が言った。
「私も。」
「キスしてもいいか。」

富士 健
作家:富士 健
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