さよなら命ーくつのひもが結べないー

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今の小中学生なんて植物の名前は知ってるけども見たことがないという人が多いのと
違うかな。そんなところに問題があると思う。」

健一は石川の意見を聞いて、彼は自分の言いたい事が少し分かってくれていると思った。

「確かにそうね。もっと自然に接しなければならないと思います。」
と阿藤先生が言うと、
「はい、ちょっと言わせて下さい。」と武居が手をあげた。

「僕は地球は必ず滅びると思っています。まあ藤君が言うように世界大戦が起こり
あっという間に地球は丸焦げになるでしょう。藤君はどうにかしようと思っているようだけど僕はどうにもならないと思う。つまり滅びてしまう運命なのだからそんな事は
考える必要ないと思う。滅びる日まで楽しく生きていけばいいと思う。」

 武居は健一にとって理解しがたい面を持った人間であった。
勉強がよくできると思えばみんなの前でバカな事をしたり、どういう神経
の持ち主なのか健一はいつも不思議に思っていた。
しかし彼の意見を聞いて何か自分と共通点を持っている人間だと思った。
だが、自分と違うのは自分にはどうしても楽しく生きて滅びるのを待つと
いう事はできないという点であった。
 その日の政経の授業は最後まで重苦しい雰囲気のままで終わった。

 健一の本当に言いたかった事は勉強だけしかやらない人間が増えつつあるという事、
さらに社会が本当に頭のいい有望な人材を必要としている中、自分のように頭の悪い
人間は必ずや社会に矛盾を感じ、こんな社会から逃げようと考えるようになるという事
だった。

 健一の本当の気持ちを察した人間はいたのだろうか。
いや、一人いたのだった。
それが誰であるかは健一はのちのちまでわからなかった。

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16、卒業

  2学期が終わった。
健一は3年生全員が受けた公開模試で希望校の判定は不可であった。

「藤、お前阪大の建築科は無理や、他の学科にしろ。」
谷山先生は健一との懇談でそうはっきり言った。
健一は数学が平均しかとれなかった。良かったのは物理と化学だけだった。

「日本史はこれからやれば伸びるだろうが、数学はこの程度だろう。どうしても
建築科にしたいなら大学のランクを落とすしかない。どうだ変えないか?」
谷山先生の声にはいたわりがあった。
谷山先生もこの頃目立って健一が数学の授業で答えられなかったり、定期テストでも
ふるわない事を心配していた。

 谷山先生は自分の言動が生徒にどれだけ影響を与えているのかをよく知っていた。
しかし、谷山先生はお世辞や生やさしい慰めは絶対にしない性格の人であった。
そして自分の言動で自信をなくすような奴は大学に入っても社会に出てもどこかで
必ず自信を失うに決まっている。それが早いか遅いかであり、自分のとっている言動に
よって現実の社会に出ていく人間の心構えを身につけさせているのだ。
自分は間違ってないと確信しているのだった。

 谷山先生は健一がこの頃自信を無くしていることは分かっていたが、健一をその程度の人間であったのだと思うだけであった。
それでも何とかして大学には入ってもらいたいという気持ちもあり、進路指導の時には
努めていたわる口調になっていた。

「どうしても阪大の工学部建築科に行きたいです。」と、健一は言った。
健一の声は震えていた。

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健一の自信喪失は極度のものであった。
ことさら、谷山先生の前では何も言えない人間になってしまっていた。

「それほど言うなら1月最後のテストにかけてみろ。
それが良かったら受けてみ。だめだったらあきらめろ、いいな。」
谷山先生は最後のチャンスを健一に与えた。
「はい分かりました。」
健一はそう言って部屋を出て行った。


 健一は短い冬休みを寝る暇もないほど勉強した。しかし能率は上がらなかった。
起きているときは必ず机に向かうのだが頭が働くのに時間がかかった。
ようやく能率が上がりかけると難問にぶつかり、それがすぐ解けないと自分の無能さを
嘆き、ベッドに横になるのであった。

こんな自分が建築家になれるだろうか。あんな高層ビルの設計などできるのだろうか。
自分が建てたビルなんか至る所寸法違いですきまがあき、雨の日は雨漏りし、地震が
起きれば簡単に倒れてしまうのではないだろうかと思うのであった。
しかし健一は自分はどうしても建築家にならなければならないのだと思っていた。
写真でしか顔を思い出せない父浩二郎はダムをつくり発電所をつくり、新幹線の駅を
つくったのだ。
自分にはそんな父の血が流れているのだ。
健一はどうしても父と同じ道を歩みたいと思うのであった。
しかし実のところ健一は社会にでていく勇気を失っていた。
ただ、今は大学に入るという事だけしか考えていなかった。
それが自分に与えられた使命であり、それは母久子に対する最大の親孝行であると
思うのであった。

 3学期が始まり、最後の実力テストが行われた。
今度もやはり数学を平均しかとれず席次は120番であった。

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「おい藤、どうするんや。阪大は数学で決まるんや。それはお前も分かってるやろ。
今度も数学が悪いな。これじゃ通るという保証はできんぞ。」
谷山先生は健一に決断をせまった。
「どうしても受けたいです。」
健一ははっきり言った。
谷山先生は少し沈黙した後、言った。
「よし、じゃ受けてみろ。すべってもわしは知らん。」
その言葉はあまりにも冷たかった。
受けると決心したのだから頑張れと最後に言って欲しかった。

健一ははっきり自分の受験校が決まった事で気分がすっきりした。
しかし、谷山先生の最後の言葉を思い出すたびに不安を感じるのであった。

 3学期は1月いっぱい授業があっただけでもう学校には行かなくなった。
2月中旬に行われた卒業式は味気ないものだった。
式が終わったらクラスメイトたちはてんでバラバラに解散し、家路と急ぐものばかり
だった。健一もその一人だった。
家に帰り卒業写真を拡げてみても何の感動もなかった。
楽しかった1,2年の思い出はそこには1枚も残っていなかった。
すべてこの3年の暗黒の思い出がつまっているような気がした。
健一は一目見ただけで卒業写真を閉じてしまった。
そして今度は健一のクラスで作った文集を拡げてみた。
みんな高校生活を懐かしんでいる様子を書いていた。
馬鹿なことを書いて笑わせてくれる者もいた。
健一はどうしてみんなこんなに明るく書けるのだろうと思った。
健一は自分一人悩んでいるような気がした。
そして自分の文章を読んでみた。


 

富士 健
作家:富士 健
さよなら命ーくつのひもが結べないー
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