さよなら命ーくつのひもが結べないー

112

「おい藤、どうするんや。阪大は数学で決まるんや。それはお前も分かってるやろ。
今度も数学が悪いな。これじゃ通るという保証はできんぞ。」
谷山先生は健一に決断をせまった。
「どうしても受けたいです。」
健一ははっきり言った。
谷山先生は少し沈黙した後、言った。
「よし、じゃ受けてみろ。すべってもわしは知らん。」
その言葉はあまりにも冷たかった。
受けると決心したのだから頑張れと最後に言って欲しかった。

健一ははっきり自分の受験校が決まった事で気分がすっきりした。
しかし、谷山先生の最後の言葉を思い出すたびに不安を感じるのであった。

 3学期は1月いっぱい授業があっただけでもう学校には行かなくなった。
2月中旬に行われた卒業式は味気ないものだった。
式が終わったらクラスメイトたちはてんでバラバラに解散し、家路と急ぐものばかり
だった。健一もその一人だった。
家に帰り卒業写真を拡げてみても何の感動もなかった。
楽しかった1,2年の思い出はそこには1枚も残っていなかった。
すべてこの3年の暗黒の思い出がつまっているような気がした。
健一は一目見ただけで卒業写真を閉じてしまった。
そして今度は健一のクラスで作った文集を拡げてみた。
みんな高校生活を懐かしんでいる様子を書いていた。
馬鹿なことを書いて笑わせてくれる者もいた。
健一はどうしてみんなこんなに明るく書けるのだろうと思った。
健一は自分一人悩んでいるような気がした。
そして自分の文章を読んでみた。


 

113

愛に飢えた男が一人 愛について考えている
過ぎ去った過去を思い出しながら
冷えた心の人間に愛を生み出すことが出来るだろうか
何かに燃えていなければ愛は芽生えまい
冷めた心の男が一人 愛について考えている
愛を生み出せないのは自分のせいなのだと思いながら

理想と現実は食い違う
人はそれでも理想に近づけようと努力する
僕は極度の理想主義者のようだ
だからあまり理想とかけはなれた現実を見ていると
現実を否定し無にしようとする傾向がある
これではこの世の中生きていけない
現実に対処していけるようにしなければならないようだ

愛についても同じ事だ
頭の中で考えている愛は理想の愛
だから現実の愛とは食い違う
僕は自分の気持ちを本当に分かってくれる人を探していた
言葉に表さなくても微妙な態度だけで僕の気持ちを分かってくれる人を探していた
なんて馬鹿げたことだろう

自分の気持ちを本当に分かっているのは自分だけなのだ
他人に自分の気持ちをすべて理解させようとしても無理なのだ。

真の自分を現さず相手を恋しても愛は生まれない
自然の姿である自分と相手の間にだけ愛は生まれる
真の自分が自然に現れるようになるにはまだ時間がかかりそうだ

                        藤 健一

114

 健一は自分の気持ちを素直に表していた。
今自分は何について悩んでいるのかを表し、そして過ぎ去った恵子との恋を懐かしんでいるのであった。
健一が何となくページをめくると、一つの文章に目を見張った。

夕陽でキラキラ金色の空
いたずらに風が木の葉を踊らせてdancing dancing
風のリズムに落ち葉のささやき やさしい秋のハーモニー
たそがれ色の思い出は
うすいベールに包まれたいつも遠くを見ていた人

                Keiko Yano

 健一は文集を持つ手がふるえた。
恵子も僕を懐かしんでいる。
こんな僕を恵子は今でも忘れていないんだ。
健一はうれしかった。
しかし恵子の文の雰囲気は健一にとってはあまりにも明るすぎた。
健一はそのまぶしさに心の瞳を閉じた。
あぁ恵子はまだあの純粋さのままなんだ。
恵子の思い出の中に存在する健一は今の自分ではない。
健一は改めて恵子との隔たりを感じずにはいられなかった。
それでもその純粋さを健一はどうしようもなく恋しく思うのであった。

 

 

 

 

115

17、受験

 3月3日、4日と入学試験が行われた。
健一は一日目、国語、英語、物理、化学と無難にこなした。
二日目、一時間目は数学だった。
健一は五問中一問しか完答出来なかった。
あとは全然手がつかなかった。
健一はもうだめだと思った。
健一は焦った。あぁ落ちる、落ちる。
健一の思考回路は切断してしまった。
それはもう健一の習慣となっていた。
二時間目は日本史だった。
問題を解いている最中にチャイムが鳴った。
健一は何のチャイムなのかと思い顔を上げるとみんな鉛筆を片づけている。
今のが終わりのチャイムなのか。
健一は時間を間違えていたのに気づいた。
答案用紙の半分しか埋められていなかった。

 発表の日、張り出された紙に健一の受験番号はなかった。
健一はそのまま家に帰る気がしなかった。
あぁどこかへ行きたい。人目のつかない所へ。
健一は駅前の映画館に入った。
館内は十人ほどしか入っていなかった。
健一は一番後ろに座った。
スクリーンを見ていても何も聞こえない。
段々とスクリーンの映像がゆがんでくる。
健一は目をつむると一筋の涙が頬を伝わった。
すべっていることは分かっていた。
しかし通っていて欲しかった。

富士 健
作家:富士 健
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