俺の退職 Season 2(無職から起業まで)

第一話 失業中にいったい何を考えていたんだ( 2 / 7 )

特殊な仕事のスキルを持ったら就職に有利かと思ったら、身近にその特殊な仕事がまったく無かった

しかし、世の中の就職事情は様々だろうから、きっと面白い勤め先もあるだろう。俺は失業してハローワークに通日々が続いているから、まずは希望の持てそうな再就職先を探してみよう。

もし楽で有望な勤め口が見つかったなら俺は迷わずそこへ就職したくなっただろうと思う。
でもそのような勤め口はついに発見できなかった。俺は勤める東京のIT企業をリストラ退職したとき「もう単身赴任は辞めよう』と決心した。通算9年間の単身赴任生活を俺は経験し、辛かったけど単身赴任は東京で自由に振舞える部屋と時間を得られたメリットもあった半面、家族特に妻には過大な負担がかかった。多くの年月にわたり一人で二人の子を幼少期から成人前後までさせて押し付けてしまった。そういう反省と俺自身も単身赴任生活が辛くなったのだ。

単身赴任生活というとカッコいいかもしれないが、出稼ぎのことだ。
俺の最後の勤め先となった東京の会社は、最初っからそこへ再就職した。異動して東京に着任したのではないから単身赴任手当が無い。だから部屋を借りるのも月に1回か2回の帰省も全部自腹だった。しかし俺は短期決戦のつもりで50歳少し手前から目標の55歳あたりを目指してここで猛仕事して稼ぐつもりで就職した。そして勤めて3年少しであえなくリストラ退職。目標の55歳にはまだ足掛け3年届かなかった。だからまたどこかで勤め口を探したかったが、次こそは自分の家から通える範囲を探し回る決心をした。

自宅から通えれば単身赴任よりかなり体は楽だろうと、そう考えた。
このとき考えた「楽」は、その後更に尾ひれがついていった。読んだ本でイギリスでは4日勤めて働き、2日は自分自身の仕事に精を出し、残る1日は家族と一緒に楽しく過ごす、こんな一週間のゆとりある暮らしが存在するとの話を知り『それはいい!』と感動して「俺も週休3日の勤め先を探す」と決めた。しかもやはり勤めるとなると今までのキャリアと仕事スキルが活かせる専門職でいきたい。そのように就職活動の方針を決めたのだが、そうは問屋が卸さなかった。

ハローワークや辞めた会社が契約してくれた再就職支援会社で週休3日で俺ができる専門職を探し続けたんだが、まったく見つからなかったのだ。
確かに専門職であり週休3日とか中には週に3日だけ勤務という垂涎の職場があったのだが、俺のできる専門職とはジャンルが違った。それらは例えば薬剤師、レントゲン技師、測量士、写真家、こんな専門職だった。これらの共通点は全国どこでも勤め口が存在していそうな、普及している専門性だった。

一方俺の専門はITだったけどたぶんレアなPLMという仕事だった。そういう特殊性の高い専門分野こそ俺の競争力だと自負していたが、これが地元で職探しになったら完全に裏目に出た。ハローワークで窓口担当者から「あなたの希望する職種と専門性は?」と聞かれたので「PLMなんですけど」と答えたけど、それは理解してもらえなかった。さらに長い説明をしたら一応分かったようだったが「まあ一応ここにその説明を書いて求人してみましょう」「もし求人があったらお知らせします」と言われ、その後一本の電話も無かった。

俺は分かっていなかったのだ。もし再就職するならどこにでも存在する専門性を身に着けておくべきだったと。
しかしそうかと言って、今更「なんでもいいです働ければ」という意思はまったく持てなかった。どうもこれでは無理らしい。就職ではなく別の手段で身を立てる方法を考え出さなければならない。

この先は、こうした俺の経緯によって進んで行った再就職ではない暮らし方を主眼に書いていくことになる。

第一話 失業中にいったい何を考えていたんだ( 3 / 7 )

再就職支援会社で「おっ!」となった雑談から俺は閃いた。そうか歌手みたいに会社の仕事とは全然違う分野で起業する手もあるんだぁ

俺の失業中はハローワークと再就職支援会社の行き来から始まった。再就職支援会社はハローワークを少人数個別指導のようにした運営だと思ったが、そこへ行くと使えるデスクやパソコンがあり、講座も開催されている。当然ここはタダではないが、リストラを実行した俺が勤めた会社がきっと罪滅ぼししたかったのだろう。費用は全額その会社持ちで通わせてくれた。

俺としてはその分まで退職金に積み増ししてもらいたかったのだが。
あまり期待せず失業後1か月目ぐらいから会社が指定した再就職支援会社に通い始めた。

最初はありきたりな講座から始まった。履歴書の書き方と面接の受け方、俺にはだいぶ食傷気味だったが、その後に指導員と個別相談する日があり、これもあまり期待せず受けた。そこで俺は「再就職以外の例えば起業とかの相談はここでできるのか」と尋ねてみた。案の定、起業相談はこの会社の対象外のようだったが、指導員の口から「過去に一人、変わった人がいて、その人は歌手になった」という言葉が出てきた。

再就職支援会社に通いながら、結局再就職はしないで歌手デビューをやったらしい人が実際にいたらしい。それ以上の詳しい話は無かったが、俺はこの話を聞いて『おっ!』と喜びを感じ、その後に何だか血が騒ぐような気分になった。

やはり会社へ再就職するのではなくて、自分のやりたい道に突っ走る人が実際に一人はいたようなのだ。俺は歌手になるとは思わないけど、今までやりたかったけど、出来そうもなかったから手を付けずにいた趣味や道楽の類はいくつか持っている。そいつらの中から起業に結び付くものは無いのか?歌手のように。

その指導員にその話を聞いてから、俺は再就職熱はかなり冷め、代わりに頭の中は起業色一色へ塗り替えられていくのが感じられた。帰りの電車の中では、その歌手になったという人がどんな気持ちでそう決心して再就職という本線から歌手行への支線に乗り換えて行ったのかを想像しながら家に戻って来たことを俺は今も思い出す。

起業をどうしたら成功させられるのかは、まったく相談相手になる人も機関も無かったけど、俺はかつて週末起業セミナーというところにセミナー受けに通ったことがある。だから起業への道のりは多少の知識を持っていたが、実践したことは無かった。それに「起業するなら自分のやりたい事をやるのではなくて、お客様が欲しがることをせよ」と鉄則教えられていたことを思い出し、この鉄則に従うと俺は自分で納得できない『面白くない起業を始めることになる』と内心敬遠していた。俺は自分のやりたい事で起業がしたいのだ。くだんの歌手になった人のように。

その後、指導員へ「俺はやっぱり再就職よりも起業を本命にしたいから、それに合う講座、何かないですか」と尋ねた。
「そんな講座は用意してないけど、あなたが起業に向くかどうか性格判断テストを受けてみたらどうか」こんな提案をよこしてきた。

性格診断は以前の会社で2回かそこら受けたことがある。俺は医者向きだみたいな分析結果が出てきて『なんじゃらほい?』と思ったあの診断テストをもう一回受けてみろと。
それでとりあえず受けてみることにした。

第一話 失業中にいったい何を考えていたんだ( 4 / 7 )

性格診断テストはメンドクサがらないでやってみたらいい。きっと勤め向きか?起業向きか?分かるぞ!

俺が通っていた再就職支援会社では「バークマンメソッド」という一種の性格診断試験の提供があった。俺はあまり期待もせずにそれを受けてみたのだが、この結果で『俺は一人でこの先やっていけるかも』と妙な自信がついたことは確かだった。もしかしたらその診断結果に摺りこまれた効果なのかもしれないが、まあいい。そのときに分類された俺の「型」が俺なんだと思って今日もやっている。たぶんハズレてはいない。

バークマンメソッドはもともと第二次大戦中のアメリカ空軍所属のバーグマン氏が開発した人と人の協業でよい結果を出すための組み合わせ方法のようなもので、優秀なパイロットなのに誰かとチームを組むとさらに良くなったり反対に全然ダメになったりするのはなんでだろう?という疑問から導いた「人それぞれの持ち味の型」を分類したものだ。

それよると人は「実行促進型」「関係構築型」「管理運営型」「企画立案型」の4つの得意分野があるという。ただどこかの型一つに別れるというものでなく複数の型がある配分で混合されたタイプの人間もいる。
診断テストをやった結果、俺は企画立案型9割+関係構築型1割だった。
つまりがむしゃらに目標向かって突き進む営業部長なんかに向いていないらしい、さらに緻密に間違いなく仕事を次々と片付けていく経理部門にも向いていない。向いているとするなら、まだやったことが無いことを上手く立ち上げる企画計画者で、多少の人間関係に分け入ることができるということかな。こんな具合になりそうな俺の型だった。

この結果を見て、俺は『どうりで!そうだったのか』とひどく納得した。
俺はプロジェクトリーダーに憧れ、会社ではそのようなリーダーをやったが、あまり芽も出ずストレスフルに感じてやっていた。『何だか俺は会社に合っていないのだ』そんな感じがした。しかしそれはリーダーを目指すからであって、作戦参謀だったらイケたかもしれない。

バークマンメソッドの結果に納得しながら、やはり俺は会社で立派な管理者や間違いのない仕事をこなす人材に再就職するよりも。まだあまり他人がやっていないような分野を開拓して誰かのために仕事をするような「一人企画家」みたいな生き方が合っている。そう思い込んだ。

3か月ぐらい通った、俺を辞めさせた会社が契約してくれた再就職支援会社で、通い始めの頃はまったく期待していなかったが、それからの俺の進路を左右するヒントをここで掴むことができた。これに似たような出来事は、その後俺は何回か経験した。あまり気が向かないセミナーへ参加して少しの期間だったけど共同でイベント企画と実行までやったこともある。

俺は思うのだけど、会社を辞めてリタイア生活が楽しく過ごせるか、あるいは苦痛に満ちた長い長い定年後になるかも性格に寄りけりではないか。そんな気がする。
性格診断は、上述バークマンメソッドの他に「人生の法則」という本もある。退職後に浜辺のヤシの木の下でゆっくりくつろぐ日々をおくりたい人など是非とも性格診断をやってみてはどうかと思う。意外にもそんな暮らし向きでない結果が出たら、即計画中止して再就職がいいかもしれない。

第一話 失業中にいったい何を考えていたんだ( 5 / 7 )

再就職支援会社に楽観的FPが暗示してくれた俺の未来は、なんもしなくても食べていくには何とかなるらしい

俺は会社をリストラされたあと、会社が親切にも提供してくれた再就職支援会社にしばらく通った。退職後落ち着かない気持ちを静めるのにここは居心地が良かった。その居心地が良い場所で俺はひとりの個性的なFP(ファイナンシャルプランナー)に会うことができ、彼の講座を聞くことで次第に『俺はひょっとしてもう勤めなくてもいいのではないか』『勤めるよりも自由な生き方があるのではないか』に思考の舵が切られていくのを感じるに至った。


再就職支援会社では講座と求人検索が主な提供内容。その中に将来必要になるお金についてFPが語る言葉に俺は夢中になっていた。 彼はこんなことを言った。

 「年金は繰り下げも繰り上げもできます。繰り下げするとその後毎年の受取額は増えます。一方繰り上げは60歳以降で可能になりますが毎年の年金受取額は減ります」ここまではあたりまえの解説。その次に彼は、

 「私はまだ50歳だけど60になったら年金を繰り上げ受給して、そしてそのお金で遊びますよ!」

ここは再就職支援会社なのだが、彼は『そんなことより生活資金が既にあるならもっと自由に楽しむ道を探すべきなのではないか』と俺に別世界があることを諭してくれたのだ。


 もしかして彼は大金持ちだからそうできるのか? いくら蓄えがあれば繰り上げた年金と貯蓄で「遊んで暮らす」ことができるのか? 私の興味は膨らむばかり。その講座が終わった後、彼にすり寄り「自分が今持つ資金と年金受取額と、それに毎年のざっくりな家計を説明するから先生がさっき言っていたような暮らしが可能かどうか相談させて欲しい!」と上目遣いに尋ねてみた。そしてオーケー。 翌週に彼の事務所に行った。


『先生の講座はよく聞いていましたよ』という証拠を見せた方が印象がいいだろうとライフプランニングシートに資金と予想家計費を書き込んだものも用意した。

そして俺の説明が始まる前にもかかわらず「これなら大丈夫だろうと思うよ」「このシートに書いてあるのが正解ならね」と 彼は言ってのけた。


その後は雑談に終始したけど何を話したかすっかり忘れ「大丈夫だろう」だけがやたらと頭にこびりついた。

ここで得た結論は、 もう俺のお金的には大丈夫領域にあるようだから収入目当ての考えは一番でなくてもいい。だとしたら、俺はもう収入を得るためにまた会社に勤めて働く必要はどこにあるのだろう。以前のようなマトモな額の収入は不要だとしたら、そんな不要を得るために楽しくもない働き方をして何になるのか?このような新たな考えが頭にこびりついて離れなくなってしまった。


その出来事があった翌月、俺の失業期間はついに終わりを迎えた。つまり再就職先探しはもうおしまいにして、その代わり『何してこれから暮らそうかな』を探す無職時代に突入した。

 

家族はもう俺が再就職しないことへの諦めを悟ったみたいだけど、俺の気持ちはそうじゃない『これから何か始めるぞ』そう心に決めた52歳の秋であった。

大庭夏男
作家:大庭夏男
俺の退職 Season 2(無職から起業まで)
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