しかし、世の中の就職事情は様々だろうから、きっと面白い勤め先もあるだろう。俺は失業してハローワークに通日々が続いているから、まずは希望の持てそうな再就職先を探してみよう。
もし楽で有望な勤め口が見つかったなら俺は迷わずそこへ就職したくなっただろうと思う。
でもそのような勤め口はついに発見できなかった。俺は勤める東京のIT企業をリストラ退職したとき「もう単身赴任は辞めよう』と決心した。通算9年間の単身赴任生活を俺は経験し、辛かったけど単身赴任は東京で自由に振舞える部屋と時間を得られたメリットもあった半面、家族特に妻には過大な負担がかかった。多くの年月にわたり一人で二人の子を幼少期から成人前後までさせて押し付けてしまった。そういう反省と俺自身も単身赴任生活が辛くなったのだ。
単身赴任生活というとカッコいいかもしれないが、出稼ぎのことだ。
俺の最後の勤め先となった東京の会社は、最初っからそこへ再就職した。異動して東京に着任したのではないから単身赴任手当が無い。だから部屋を借りるのも月に1回か2回の帰省も全部自腹だった。しかし俺は短期決戦のつもりで50歳少し手前から目標の55歳あたりを目指してここで猛仕事して稼ぐつもりで就職した。そして勤めて3年少しであえなくリストラ退職。目標の55歳にはまだ足掛け3年届かなかった。だからまたどこかで勤め口を探したかったが、次こそは自分の家から通える範囲を探し回る決心をした。
自宅から通えれば単身赴任よりかなり体は楽だろうと、そう考えた。
このとき考えた「楽」は、その後更に尾ひれがついていった。読んだ本でイギリスでは4日勤めて働き、2日は自分自身の仕事に精を出し、残る1日は家族と一緒に楽しく過ごす、こんな一週間のゆとりある暮らしが存在するとの話を知り『それはいい!』と感動して「俺も週休3日の勤め先を探す」と決めた。しかもやはり勤めるとなると今までのキャリアと仕事スキルが活かせる専門職でいきたい。そのように就職活動の方針を決めたのだが、そうは問屋が卸さなかった。
ハローワークや辞めた会社が契約してくれた再就職支援会社で週休3日で俺ができる専門職を探し続けたんだが、まったく見つからなかったのだ。
確かに専門職であり週休3日とか中には週に3日だけ勤務という垂涎の職場があったのだが、俺のできる専門職とはジャンルが違った。それらは例えば薬剤師、レントゲン技師、測量士、写真家、こんな専門職だった。これらの共通点は全国どこでも勤め口が存在していそうな、普及している専門性だった。
一方俺の専門はITだったけどたぶんレアなPLMという仕事だった。そういう特殊性の高い専門分野こそ俺の競争力だと自負していたが、これが地元で職探しになったら完全に裏目に出た。ハローワークで窓口担当者から「あなたの希望する職種と専門性は?」と聞かれたので「PLMなんですけど」と答えたけど、それは理解してもらえなかった。さらに長い説明をしたら一応分かったようだったが「まあ一応ここにその説明を書いて求人してみましょう」「もし求人があったらお知らせします」と言われ、その後一本の電話も無かった。
俺は分かっていなかったのだ。もし再就職するならどこにでも存在する専門性を身に着けておくべきだったと。
しかしそうかと言って、今更「なんでもいいです働ければ」という意思はまったく持てなかった。どうもこれでは無理らしい。就職ではなく別の手段で身を立てる方法を考え出さなければならない。
この先は、こうした俺の経緯によって進んで行った再就職ではない暮らし方を主眼に書いていくことになる。