死神サークルⅠ

              ドクターX

 

 1012日(月)樋口の午前中の予定は、横浜柿の木台郵便局近くの市毛宅訪問。1030分、横浜支社を出立した樋口は、タクシーで市毛宅に向かった。リビングで約束の11時を気にしていた市毛は、二度のピンポ~ン、ピンポ~ンと鳴るインターホンの音に跳びあがり、玄関にかけていった。樋口の顔を見るなり、市毛は、感謝の気持ちを込めて、深々と頭を下げた。「どうぞ、おあがりください」リビングに通された樋口は、静かにソファーに腰掛けた。市毛は、紅茶を運んでくると右斜め前に腰掛けた。少し紅潮した顔の市毛は、ゆっくり頭を下げて、お礼を言った。「何と言って、お礼を言えばいいか。本当に、ありがとうございました」市毛は、ハンカチで目頭を押さえた。

 

 樋口は、平然とした表情で話を切り出した。「早速ですが、お約束のものを」市毛は、軽く会釈すると小走りに寝室にかけていき、バラの花柄模様の手提げ袋を抱えて戻ってきた。「どうぞ、お確かめください」袋の中には、100万円の札束が、18個入っていた。樋口は、確認するとうなずいた。死亡保険金は、3000万。市毛が4割。ドクターX3割。樋口が3割。この配分が、約束されていた。市毛は、改めてお礼を言った。「この度は、本当にありがとうございました。安易に再婚したばかりに、娘を傷つけてしまい、悔やんでも、悔やみきれません。樋口さんに、お会いすることがなかったら、私は主人を殺し、自殺していたことでしょう。でも、これで・・」静かなリビングに嗚咽が響いた。「本当によかったですね。これが、ご主人の運命だったのでしょう。わたくしは、奥様と娘さんのお気持ちを神にお伝えしただけです。神は、奥様と娘さんをお守りになられたのです。改めて、神に感謝いたしましょう。ア~~メン」二人は、胸の前て十字を切り、手を合わせた。

 

 市毛は、席を立つと焼き栗モンブランを運んできた。「どうぞ」樋口は、約束を守るように念を押した。「今回のガン入院のことは、わかりましたね」市毛は、小さくうなずいた。「発見が遅れたために、最善を尽くしても、ダメだった、ということですね」樋口は、ゆっくりうなずいた。「それ以外のことは、一切、話さないでください。いいですね。主治医から正式な死亡診断書が提出されている限り、全く、問題はありません。安心してください」市毛は、うつむいてうなずいた。樋口は、慰めの言葉をかけた。「娘さんの心の傷が、少しでも癒されることを祈っています。今後は、奥さんも安心して、眠られますね。本当によかった。神のご守護で、お二人が、地獄から抜け出し、代わりに、鬼畜が地獄に落ちたのです。わたくしは、これからも神のご神示の下、人助けを行ってまいります」

 

 午後7時少し回ったころに、樋口宅にドクターXが人目をはばかるようにやってきた。テーブルに腰掛けると口火を切った。「もらおうか」樋口は、900万が入った袋をドクターに差し出した。中を確認したドクターXは、一つうなずき、大きなため息を漏らした。「どうにか、うまくいった。人助けもつかれるな」樋口は、ゆっくりと頭を下げた。「神を信じてくださる先生のおかげです。鬼畜は、尽きることはございません。これからも、先生のお力をお貸しください」ドクターXは、ドヤ顔で返事した。「まあ、俺を疑うやつはいない。世界的名医だからな。問題は、依頼者だ。裏切ることはないだろうな」樋口は、マジな顔つきで返事した。「その点は、私にお任せください。決して、先生にご迷惑がかかるような不始末は致しません。ご安心ください」

 

 ドクターXを見送り一息ついているとアイフォンの着メロが鳴った。即座に、樋口は、応答した。「どうしたの?」羽多は、明るい声で返事した。「夜分、すみません。嬉しくて、福岡支社への転属、OKが出ました」樋口は、転属日を確認した。「よかったわね。いつから?」羽多は、即座に返事した。「121日付けです。本当に、先輩には、お世話になりました」樋口は、今後の予定について話を聞きたかったが、明日、直接会って聞くことにした。「それじゃ、今後のことは、明日、ここで聞くわ。いつもの時間ね」樋口は、電話を切るとなんだか、さみしさが込み上げてきた。羽多が、いなくなると思うと羽多との出会いが脳裏を駆け巡り眠れそうになかった。良くない習慣と思ったが、赤ワインで眠気を誘うことにした。

 

 1013日(火)羽多は、桜木駅南口を出ると野毛にある樋口のマンションに速足で向かった。午後7時過ぎに、樋口のマンションに到着した。息を整えてドアを開くと祝福の言葉で歓迎された。「よかったじゃない。今日は、門出の祝いね。パ~~と行きましょう」キッチンテーブルには、豪華なオードブルと特上お寿司が並べられていた。羽多が、テーブルに着くと樋口は赤ワインを注いだ。グラスを手にした樋口は、乾杯の音頭を取った。「さあ、乾杯。二人の幸福と女性たちの未来に、カンパ~~イ!」早速、羽多は今後の予定を話し始めた。「11月下旬には、福岡の実家に帰ります。しばらくの間、会社へは実家から通うつもりです」樋口は、笑顔で応答した。「博多ドンタクに一度行ったことがあるんだけど、時々、遊びに行くわね。旅先が一つ増えて、うれしいわ」

 

 

 羽多は、生ハムを飲み込むと応答した。「ぜひ、遊びにいらしてください。これと言って観光名所はありませんが、あちこち案内します。福岡も、捨てたものじゃありませんよ」樋口は、ワインを一口飲むと尋ねた。「羽多の家って、どのあたり?」羽多は、スマホの地図を開き、福岡市を拡大した。「このあたりです。西区愛宕浜のイオン北側の、この住宅街の~ここ、です。ここが、母校のS高校。ここから北に向かって、都市高速沿いのここが、ペイペイドーム。福岡支社は、博多駅前だから~、ここです」嬉しそうに話す羽多に応答した。「タイミングよく転属できてよかったじゃない。でも、ムリしてセールスを続けなくてもいいのよ。気に入った仕事があれば、転職していいんだから。お金のことで、義理立てしないでね」

 

 困窮しているときに救いの手を差し伸べてくれた厚意は、決して忘れることはできなかった。コロナ禍の不況下では、事務職への転職はかなり厳しい。確かに、厳しいノルマのある生保レディは、長くは続かないかもしれない。でも、生保レディで、人助けのお手伝いはできる。「お金のことは、本当に感謝しています。今は、この仕事を全力でやってみます。何か、得るものがあると思います。それに、人助けのお手伝いができると思えば、やる気が出ます」樋口は、お客に感謝されたことを話すことにした。「そう思ってくれると嬉しいわ。昨日、保険金を受け取られたお客さんから電話があって、お宅に伺ったの。このご恩は、一生忘れません、と感謝されたわ。こういわれると、人助けを続けなくてはと改めて思ったわ。羽多さん、一緒に頑張りましょう」

 

 一生忘れません、といわれるほどの人助けについて、具体的に知りたくなった。「そのご亭主は、ガンで亡くなられたんでしょ。これって、運命ですよね。それとも、先輩の呪術で、長生きする運命を、早死にする運命に変えたんですか?」目を丸くして応答した。「あら、ご名答。でも、鬼畜は、呪術だけじゃ、地獄に行かないのよ。だから、ちょっとしたマジックを使たの。このマジックのおかげで、奥さんのご亭主殺害を防ぐことができたの。ホッとしたわ」マジックと聞いて種明かしをしてほしくなった。「どんなマジックですか?種明かし、してくださいよ。聞きたいな~~」樋口は、右手の人差し指を唇に当てた。そして、つぶやいた。「内緒。このマジックは、刑事でも、検事でも、名探偵でも、解明できないマジック。このマジックは、墓場まで持っていくの。悪く思わないでね」

 

 マジックの種明かしを聞き出すことができなくて顔をしかめたが、ポンと手をたたいて笑顔を作った。「この前の金曜日、陰気な学生の話をしたじゃないですか。その学生から電話があったんです。医療保険と定期保険に入りたいそうです。ちょっと、気味が悪いですが、今度は、決めてきます」樋口は、顔を引き締めて激励した。「その意気。生保レディは、成績で評価されるの。やれば、できるから。頑張って」目を吊り上げ腕組みをした羽多は、大きくうなずき、応答した。「はい。乙女ぶるのはやめます。今後は、先輩を見習って、鬼ババ~になり切ります。よし、優績者になってやる。今に見てろ」頼もしい発言にうなずいたが、未婚の女性に鬼ババ~は、似つかわしくなかった。「張り切るのはいいけど、鬼ババ~は、私だけで結構。羽多は、自分の良心を信じて、お客に誠意を見せればいいのよ。神様は、きっと、見守ってくれるから」

 

 樋口の不気味なやさしさは、どこからきているのか?過去になにか大きな心の傷を負ったことによるものか?羽多は、考えようとしたが、清楚な美しさを持つ顔からは、過去のどす黒い陰などみじんも感じられなかった。なぜ、これほどまでに鬼畜を憎み、苦しむ女性を救済しようとするのか?もし、何か得体のしれない信仰心によるものであれば、宗教に無縁の羽多にとっては、異次元の心理でしかなかった。これ以上樋口のやさしさを疑うのは、無宗教からくる背徳のように感じられた。生保レディをやったために、猜疑心が強くなってしまったのかもしれない。やさしさを素直に感じ取るべきではないか。羽多は、樋口のやさしさを素直に受け入れることにした。

 

 残り、2ヶ月弱の樋口との付き合いを楽しもう。また、福岡支社に転属するまでは、横浜支社で精一杯頑張ろうと決心した。ふと、時刻を確認すると、8時を回っていた。帰宅の挨拶をしようと声を発しようとしたその時、樋口の着メロが鳴った。「はい、了解」樋口が返答すると羽多に確認した。「仲間を紹介したいんだけど、まだ、いいでしょ」仲間と聞いて興味がわいた。「はい、ぜひ」樋口が返答した。「もう、10分もすれば着くそうよ。仲間といっても、生保レディじゃないの。彼女は、中学校の同級生で、弁護士。だから、情報の宝庫ってところ」羽多が、これからやってくる仲間のことを想像していると、トン、ト、トン、モールス信号のような小さなノックが響てきた。彼女は、即座にドアを開け、キッチンにやってきた。

 

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
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