死神サークルⅠ

 樋口は、笑顔で返事した。「そんな、やせ我慢しなくていいのよ。リストラにあって、貯金もないことぐらいわかってんだから。遠慮はいらないのよ。さあ、受け取って。情報提供報酬の前払いと考えてもらってもいいわ。とにかく、羽多とは、契りを交わした仲間なんだから。さあ、遠慮しないで。自慢じゃないけど、羽多よりは、はるかに金持ちなんだから」羽多は、じっと、目の前の札束を見つめた。喉から手が出るほどお金が欲しかった。貯金は、底をつき、来月のマンションの家賃が、支払えそうになかった。来月からは、家賃の安いコーポに引っ越す予定だった。でも、防犯設備のいいマンションを出たくない気持ちは、強かった。受け取るべきか迷ったが、ハッと気づいたときには、右手が、札束を握りしめていた。「本当に、いただいてもいいんですか?」

 

 樋口は、笑顔でうなずいた。「羽多には、期待してるの。福岡支社に転属になっても、情報、頼むわね」羽多は、札束に手を合わせて、お辞儀をした。「先輩の期待にこたえられるかどうか、自信はありません。でも、先輩のご厚意をありがたく頂戴いたします。実を言うと、貯金も底をついていたんです。だから、福岡に帰るしかなかったんです。福岡支社に転属しても、全力を尽くします。先輩は、女神様です」羽多の目から涙がこぼれた。樋口は、即座に声をかけた。「何、泣いてるのよ。今日は、契りの祝賀会じゃない。力を合わせて、鬼畜をこの世から、消し去るのよ。頑張りましょう」顔を持ち上げた羽多は、涙声で返事した。「はい。一生、先輩についていきます。今後ともよろしくお願いします」

 

              ドクターX

 

 1012日(月)樋口の午前中の予定は、横浜柿の木台郵便局近くの市毛宅訪問。1030分、横浜支社を出立した樋口は、タクシーで市毛宅に向かった。リビングで約束の11時を気にしていた市毛は、二度のピンポ~ン、ピンポ~ンと鳴るインターホンの音に跳びあがり、玄関にかけていった。樋口の顔を見るなり、市毛は、感謝の気持ちを込めて、深々と頭を下げた。「どうぞ、おあがりください」リビングに通された樋口は、静かにソファーに腰掛けた。市毛は、紅茶を運んでくると右斜め前に腰掛けた。少し紅潮した顔の市毛は、ゆっくり頭を下げて、お礼を言った。「何と言って、お礼を言えばいいか。本当に、ありがとうございました」市毛は、ハンカチで目頭を押さえた。

 

 樋口は、平然とした表情で話を切り出した。「早速ですが、お約束のものを」市毛は、軽く会釈すると小走りに寝室にかけていき、バラの花柄模様の手提げ袋を抱えて戻ってきた。「どうぞ、お確かめください」袋の中には、100万円の札束が、18個入っていた。樋口は、確認するとうなずいた。死亡保険金は、3000万。市毛が4割。ドクターX3割。樋口が3割。この配分が、約束されていた。市毛は、改めてお礼を言った。「この度は、本当にありがとうございました。安易に再婚したばかりに、娘を傷つけてしまい、悔やんでも、悔やみきれません。樋口さんに、お会いすることがなかったら、私は主人を殺し、自殺していたことでしょう。でも、これで・・」静かなリビングに嗚咽が響いた。「本当によかったですね。これが、ご主人の運命だったのでしょう。わたくしは、奥様と娘さんのお気持ちを神にお伝えしただけです。神は、奥様と娘さんをお守りになられたのです。改めて、神に感謝いたしましょう。ア~~メン」二人は、胸の前て十字を切り、手を合わせた。

 

 市毛は、席を立つと焼き栗モンブランを運んできた。「どうぞ」樋口は、約束を守るように念を押した。「今回のガン入院のことは、わかりましたね」市毛は、小さくうなずいた。「発見が遅れたために、最善を尽くしても、ダメだった、ということですね」樋口は、ゆっくりうなずいた。「それ以外のことは、一切、話さないでください。いいですね。主治医から正式な死亡診断書が提出されている限り、全く、問題はありません。安心してください」市毛は、うつむいてうなずいた。樋口は、慰めの言葉をかけた。「娘さんの心の傷が、少しでも癒されることを祈っています。今後は、奥さんも安心して、眠られますね。本当によかった。神のご守護で、お二人が、地獄から抜け出し、代わりに、鬼畜が地獄に落ちたのです。わたくしは、これからも神のご神示の下、人助けを行ってまいります」

 

 午後7時少し回ったころに、樋口宅にドクターXが人目をはばかるようにやってきた。テーブルに腰掛けると口火を切った。「もらおうか」樋口は、900万が入った袋をドクターに差し出した。中を確認したドクターXは、一つうなずき、大きなため息を漏らした。「どうにか、うまくいった。人助けもつかれるな」樋口は、ゆっくりと頭を下げた。「神を信じてくださる先生のおかげです。鬼畜は、尽きることはございません。これからも、先生のお力をお貸しください」ドクターXは、ドヤ顔で返事した。「まあ、俺を疑うやつはいない。世界的名医だからな。問題は、依頼者だ。裏切ることはないだろうな」樋口は、マジな顔つきで返事した。「その点は、私にお任せください。決して、先生にご迷惑がかかるような不始末は致しません。ご安心ください」

 

 ドクターXを見送り一息ついているとアイフォンの着メロが鳴った。即座に、樋口は、応答した。「どうしたの?」羽多は、明るい声で返事した。「夜分、すみません。嬉しくて、福岡支社への転属、OKが出ました」樋口は、転属日を確認した。「よかったわね。いつから?」羽多は、即座に返事した。「121日付けです。本当に、先輩には、お世話になりました」樋口は、今後の予定について話を聞きたかったが、明日、直接会って聞くことにした。「それじゃ、今後のことは、明日、ここで聞くわ。いつもの時間ね」樋口は、電話を切るとなんだか、さみしさが込み上げてきた。羽多が、いなくなると思うと羽多との出会いが脳裏を駆け巡り眠れそうになかった。良くない習慣と思ったが、赤ワインで眠気を誘うことにした。

 

 1013日(火)羽多は、桜木駅南口を出ると野毛にある樋口のマンションに速足で向かった。午後7時過ぎに、樋口のマンションに到着した。息を整えてドアを開くと祝福の言葉で歓迎された。「よかったじゃない。今日は、門出の祝いね。パ~~と行きましょう」キッチンテーブルには、豪華なオードブルと特上お寿司が並べられていた。羽多が、テーブルに着くと樋口は赤ワインを注いだ。グラスを手にした樋口は、乾杯の音頭を取った。「さあ、乾杯。二人の幸福と女性たちの未来に、カンパ~~イ!」早速、羽多は今後の予定を話し始めた。「11月下旬には、福岡の実家に帰ります。しばらくの間、会社へは実家から通うつもりです」樋口は、笑顔で応答した。「博多ドンタクに一度行ったことがあるんだけど、時々、遊びに行くわね。旅先が一つ増えて、うれしいわ」

 

 

 羽多は、生ハムを飲み込むと応答した。「ぜひ、遊びにいらしてください。これと言って観光名所はありませんが、あちこち案内します。福岡も、捨てたものじゃありませんよ」樋口は、ワインを一口飲むと尋ねた。「羽多の家って、どのあたり?」羽多は、スマホの地図を開き、福岡市を拡大した。「このあたりです。西区愛宕浜のイオン北側の、この住宅街の~ここ、です。ここが、母校のS高校。ここから北に向かって、都市高速沿いのここが、ペイペイドーム。福岡支社は、博多駅前だから~、ここです」嬉しそうに話す羽多に応答した。「タイミングよく転属できてよかったじゃない。でも、ムリしてセールスを続けなくてもいいのよ。気に入った仕事があれば、転職していいんだから。お金のことで、義理立てしないでね」

 

 困窮しているときに救いの手を差し伸べてくれた厚意は、決して忘れることはできなかった。コロナ禍の不況下では、事務職への転職はかなり厳しい。確かに、厳しいノルマのある生保レディは、長くは続かないかもしれない。でも、生保レディで、人助けのお手伝いはできる。「お金のことは、本当に感謝しています。今は、この仕事を全力でやってみます。何か、得るものがあると思います。それに、人助けのお手伝いができると思えば、やる気が出ます」樋口は、お客に感謝されたことを話すことにした。「そう思ってくれると嬉しいわ。昨日、保険金を受け取られたお客さんから電話があって、お宅に伺ったの。このご恩は、一生忘れません、と感謝されたわ。こういわれると、人助けを続けなくてはと改めて思ったわ。羽多さん、一緒に頑張りましょう」

 

 一生忘れません、といわれるほどの人助けについて、具体的に知りたくなった。「そのご亭主は、ガンで亡くなられたんでしょ。これって、運命ですよね。それとも、先輩の呪術で、長生きする運命を、早死にする運命に変えたんですか?」目を丸くして応答した。「あら、ご名答。でも、鬼畜は、呪術だけじゃ、地獄に行かないのよ。だから、ちょっとしたマジックを使たの。このマジックのおかげで、奥さんのご亭主殺害を防ぐことができたの。ホッとしたわ」マジックと聞いて種明かしをしてほしくなった。「どんなマジックですか?種明かし、してくださいよ。聞きたいな~~」樋口は、右手の人差し指を唇に当てた。そして、つぶやいた。「内緒。このマジックは、刑事でも、検事でも、名探偵でも、解明できないマジック。このマジックは、墓場まで持っていくの。悪く思わないでね」

 

春日信彦
作家:春日信彦
死神サークルⅠ
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