死神サークルⅠ

 羽多は、生ハムを飲み込むと応答した。「ぜひ、遊びにいらしてください。これと言って観光名所はありませんが、あちこち案内します。福岡も、捨てたものじゃありませんよ」樋口は、ワインを一口飲むと尋ねた。「羽多の家って、どのあたり?」羽多は、スマホの地図を開き、福岡市を拡大した。「このあたりです。西区愛宕浜のイオン北側の、この住宅街の~ここ、です。ここが、母校のS高校。ここから北に向かって、都市高速沿いのここが、ペイペイドーム。福岡支社は、博多駅前だから~、ここです」嬉しそうに話す羽多に応答した。「タイミングよく転属できてよかったじゃない。でも、ムリしてセールスを続けなくてもいいのよ。気に入った仕事があれば、転職していいんだから。お金のことで、義理立てしないでね」

 

 困窮しているときに救いの手を差し伸べてくれた厚意は、決して忘れることはできなかった。コロナ禍の不況下では、事務職への転職はかなり厳しい。確かに、厳しいノルマのある生保レディは、長くは続かないかもしれない。でも、生保レディで、人助けのお手伝いはできる。「お金のことは、本当に感謝しています。今は、この仕事を全力でやってみます。何か、得るものがあると思います。それに、人助けのお手伝いができると思えば、やる気が出ます」樋口は、お客に感謝されたことを話すことにした。「そう思ってくれると嬉しいわ。昨日、保険金を受け取られたお客さんから電話があって、お宅に伺ったの。このご恩は、一生忘れません、と感謝されたわ。こういわれると、人助けを続けなくてはと改めて思ったわ。羽多さん、一緒に頑張りましょう」

 

 一生忘れません、といわれるほどの人助けについて、具体的に知りたくなった。「そのご亭主は、ガンで亡くなられたんでしょ。これって、運命ですよね。それとも、先輩の呪術で、長生きする運命を、早死にする運命に変えたんですか?」目を丸くして応答した。「あら、ご名答。でも、鬼畜は、呪術だけじゃ、地獄に行かないのよ。だから、ちょっとしたマジックを使たの。このマジックのおかげで、奥さんのご亭主殺害を防ぐことができたの。ホッとしたわ」マジックと聞いて種明かしをしてほしくなった。「どんなマジックですか?種明かし、してくださいよ。聞きたいな~~」樋口は、右手の人差し指を唇に当てた。そして、つぶやいた。「内緒。このマジックは、刑事でも、検事でも、名探偵でも、解明できないマジック。このマジックは、墓場まで持っていくの。悪く思わないでね」

 

 マジックの種明かしを聞き出すことができなくて顔をしかめたが、ポンと手をたたいて笑顔を作った。「この前の金曜日、陰気な学生の話をしたじゃないですか。その学生から電話があったんです。医療保険と定期保険に入りたいそうです。ちょっと、気味が悪いですが、今度は、決めてきます」樋口は、顔を引き締めて激励した。「その意気。生保レディは、成績で評価されるの。やれば、できるから。頑張って」目を吊り上げ腕組みをした羽多は、大きくうなずき、応答した。「はい。乙女ぶるのはやめます。今後は、先輩を見習って、鬼ババ~になり切ります。よし、優績者になってやる。今に見てろ」頼もしい発言にうなずいたが、未婚の女性に鬼ババ~は、似つかわしくなかった。「張り切るのはいいけど、鬼ババ~は、私だけで結構。羽多は、自分の良心を信じて、お客に誠意を見せればいいのよ。神様は、きっと、見守ってくれるから」

 

 樋口の不気味なやさしさは、どこからきているのか?過去になにか大きな心の傷を負ったことによるものか?羽多は、考えようとしたが、清楚な美しさを持つ顔からは、過去のどす黒い陰などみじんも感じられなかった。なぜ、これほどまでに鬼畜を憎み、苦しむ女性を救済しようとするのか?もし、何か得体のしれない信仰心によるものであれば、宗教に無縁の羽多にとっては、異次元の心理でしかなかった。これ以上樋口のやさしさを疑うのは、無宗教からくる背徳のように感じられた。生保レディをやったために、猜疑心が強くなってしまったのかもしれない。やさしさを素直に感じ取るべきではないか。羽多は、樋口のやさしさを素直に受け入れることにした。

 

 残り、2ヶ月弱の樋口との付き合いを楽しもう。また、福岡支社に転属するまでは、横浜支社で精一杯頑張ろうと決心した。ふと、時刻を確認すると、8時を回っていた。帰宅の挨拶をしようと声を発しようとしたその時、樋口の着メロが鳴った。「はい、了解」樋口が返答すると羽多に確認した。「仲間を紹介したいんだけど、まだ、いいでしょ」仲間と聞いて興味がわいた。「はい、ぜひ」樋口が返答した。「もう、10分もすれば着くそうよ。仲間といっても、生保レディじゃないの。彼女は、中学校の同級生で、弁護士。だから、情報の宝庫ってところ」羽多が、これからやってくる仲間のことを想像していると、トン、ト、トン、モールス信号のような小さなノックが響てきた。彼女は、即座にドアを開け、キッチンにやってきた。

 

 

 

 彼女は、テーブルを見て、甲高い声を上げた。「あら、ご馳走じゃない。今日は、何事?」樋口が、彼女に話しかけた。「こちらは、仲間の羽多。同じ生保レディ」彼女は、樋口の左横に腰掛けると自己紹介した。「初めまして、那鳥(なとり)です。弁護士やってます」羽多も自己紹介した。「羽多と申します。樋口先輩には、お世話になってます。よろしくお願いします」樋口は、那鳥の人助けについて話し始めた。「那鳥は、困った女性のために、ただ同然の報酬で働いてるのよ。まあ、こんなお人好しの弁護士がいてもいいかもね」那鳥が、ワインを空けると応答した。「金持ちからは、正規の報酬をもらってるから、どうにかやっていけてるけどね。本当にお金に困って、苦しんでいる女性は多いのよ。彼女たちを、誰かが救わなくっちゃいけないのよ。その、損する役を買って出てるってわけ。好きで、やってるから、いいのよ」

 

 樋口といい、那鳥といい、尋常ではない。確かに、人助けはいいけど、自分を犠牲にしてまで、やるべきことではない。羽多は、自己犠牲を否定したが、二人の考えを批判する気にはならなかった。「樋口さんも、那鳥さんも、神様ですね。私には、到底そのような人助けはできません」那鳥が、樋口のやってることを皮肉を込めてつぶやいた。「そう、感心しなくてもいいのよ。樋口は、偽善者なんだから。ガッツリ、保険金の報酬を手にしてるんだから。わかるでしょ。鬼畜が死ねば、大金が入るんだから。綱渡りのようだけど、割のいい商売よ」樋口が口をとがらせて応答した。「人聞きの悪い。人助けの報酬じゃない。悪徳商売じゃないわよ。那鳥にも、それ相応の報酬をやってるじゃない。そんないい方したら、羽多が誤解するわよ」

 

 羽多は、即座に応答した。「いえ、お二人がやられていることは、素晴らしいことだと思います。人助けして、それ相応の報酬を得るのは、当然です。決して、悪いことではないと思います。私も、お手伝いさせてください」那鳥は、物わかりのいい応答に感心した。大きくうなずいて返事した。「あら、わかってるじゃない。人助けにも、お金がかかるのよ。私みたいなお人好しは、樋口のおかげで、助かってるのよ。軍資金は、樋口に任せて、羽多さん、力を合わせて、頑張りましょう。今日は、愉快な日だわ。パ~~とやりましょう」お寿司を口に放り込む那鳥に、樋口は、このご馳走を説明した。「このご馳走は、羽多の転属祝いなのよ。あんたが、パクパク食ってどうすんの。羽多、遠慮せずに、食べなさい」

 

 目を丸くした那鳥は、あっけに取られて、口を止めた。「そうだったの。そうだったら、それって言ってちょうだいよ。転属って、どちらへ?」羽多は、即座に返事した。「福岡支社です。12月から、福岡支社勤務です。それで、樋口先輩が、祝賀会を開いてくださったんです。福岡に行っても、人助けのお手伝いは、続けたいと思います。どの程度できるか、自信はないんですが、できる限り飛び込みをして、情報収集します。うまく、奥さんから、悩みを聞き出せればいいのですが」那鳥が、アドバイスした。「悩みというのは、他人には、話したくないものなのよ。でも、ご亭主の話を避ける口ぶりを感じたら、何か、ご亭主の悩みがあるとみていい。世間話やら、家族の話をしながら、相手のガードを緩めていくの。焦っちゃダメ。根気良く、相手の気持ちに寄り添ってあげるの。そうしてるうちに、徐々に、閉ざしていた心を開くから」

 

 羽多は、マジな顔つきで大きくうなずいた。「そうですか。とても参考になります。私って、せっかちで、つい、単刀直入の質問をやっちゃうんです。これからは、焦らず、情報収集します」羽多の素直で理知的な一面を知り、那鳥は、安心したが、仲間になるうえでの掟を確認した。「私たちの仲間になれる素養はあるわね。でも、最も重要なことがあるの。口が堅いこと。つまり、人助けになる情報交換は、構わないんだけど、仲間内のことについては、だれにも話さないこと。仲間の情報とか、仲間内で話し合った内容とか。守ってくれるわね」羽多は、ちょっと堅苦しい仲間のように思えたが、仲間のことを他人に話す気はない。素直に返事した。「はい。私の役目は、ご亭主に悩んでいる奥さんの情報を提供すればいいのですね。それだけでいいんですね」

 

 樋口が口をはさんだ。「そうよ。羽多は、悩みを持った奥さんの情報を持って来てくれたらそれでいいの。あまり、重く考えないで。私たちは、人助けの仲間なんだから。ほら、那鳥は、弁護士でしょ。世間体を気にするのよ。そう、気にしないでいいから」羽多は、別に気にしていなかった。詐欺仲間じゃあるまいし、胸を張って人助けの手伝いをやりたかった。「はい。私は、まだ未婚なので、わからないことが多いと思います。今後とも、ご指導よろしくお願いします」那鳥は、羽多の素直な性格に安心した。「福岡にも仲間ができたのね。そうだ、来月、3人で、一泊二日の親睦旅行ってのはどう。羽多、計画してよ」羽多は、旅行好きで、学生時代から、全国の温泉を旅行していた。「いいですね。旅行、大好きなんです。一泊二日ですね。任せてください」樋口と那鳥は、頼もしい仲間ができたと笑顔を作った。

 

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
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