死神サークルⅠ

 彼女は、テーブルを見て、甲高い声を上げた。「あら、ご馳走じゃない。今日は、何事?」樋口が、彼女に話しかけた。「こちらは、仲間の羽多。同じ生保レディ」彼女は、樋口の左横に腰掛けると自己紹介した。「初めまして、那鳥(なとり)です。弁護士やってます」羽多も自己紹介した。「羽多と申します。樋口先輩には、お世話になってます。よろしくお願いします」樋口は、那鳥の人助けについて話し始めた。「那鳥は、困った女性のために、ただ同然の報酬で働いてるのよ。まあ、こんなお人好しの弁護士がいてもいいかもね」那鳥が、ワインを空けると応答した。「金持ちからは、正規の報酬をもらってるから、どうにかやっていけてるけどね。本当にお金に困って、苦しんでいる女性は多いのよ。彼女たちを、誰かが救わなくっちゃいけないのよ。その、損する役を買って出てるってわけ。好きで、やってるから、いいのよ」

 

 樋口といい、那鳥といい、尋常ではない。確かに、人助けはいいけど、自分を犠牲にしてまで、やるべきことではない。羽多は、自己犠牲を否定したが、二人の考えを批判する気にはならなかった。「樋口さんも、那鳥さんも、神様ですね。私には、到底そのような人助けはできません」那鳥が、樋口のやってることを皮肉を込めてつぶやいた。「そう、感心しなくてもいいのよ。樋口は、偽善者なんだから。ガッツリ、保険金の報酬を手にしてるんだから。わかるでしょ。鬼畜が死ねば、大金が入るんだから。綱渡りのようだけど、割のいい商売よ」樋口が口をとがらせて応答した。「人聞きの悪い。人助けの報酬じゃない。悪徳商売じゃないわよ。那鳥にも、それ相応の報酬をやってるじゃない。そんないい方したら、羽多が誤解するわよ」

 

 羽多は、即座に応答した。「いえ、お二人がやられていることは、素晴らしいことだと思います。人助けして、それ相応の報酬を得るのは、当然です。決して、悪いことではないと思います。私も、お手伝いさせてください」那鳥は、物わかりのいい応答に感心した。大きくうなずいて返事した。「あら、わかってるじゃない。人助けにも、お金がかかるのよ。私みたいなお人好しは、樋口のおかげで、助かってるのよ。軍資金は、樋口に任せて、羽多さん、力を合わせて、頑張りましょう。今日は、愉快な日だわ。パ~~とやりましょう」お寿司を口に放り込む那鳥に、樋口は、このご馳走を説明した。「このご馳走は、羽多の転属祝いなのよ。あんたが、パクパク食ってどうすんの。羽多、遠慮せずに、食べなさい」

 

 目を丸くした那鳥は、あっけに取られて、口を止めた。「そうだったの。そうだったら、それって言ってちょうだいよ。転属って、どちらへ?」羽多は、即座に返事した。「福岡支社です。12月から、福岡支社勤務です。それで、樋口先輩が、祝賀会を開いてくださったんです。福岡に行っても、人助けのお手伝いは、続けたいと思います。どの程度できるか、自信はないんですが、できる限り飛び込みをして、情報収集します。うまく、奥さんから、悩みを聞き出せればいいのですが」那鳥が、アドバイスした。「悩みというのは、他人には、話したくないものなのよ。でも、ご亭主の話を避ける口ぶりを感じたら、何か、ご亭主の悩みがあるとみていい。世間話やら、家族の話をしながら、相手のガードを緩めていくの。焦っちゃダメ。根気良く、相手の気持ちに寄り添ってあげるの。そうしてるうちに、徐々に、閉ざしていた心を開くから」

 

 羽多は、マジな顔つきで大きくうなずいた。「そうですか。とても参考になります。私って、せっかちで、つい、単刀直入の質問をやっちゃうんです。これからは、焦らず、情報収集します」羽多の素直で理知的な一面を知り、那鳥は、安心したが、仲間になるうえでの掟を確認した。「私たちの仲間になれる素養はあるわね。でも、最も重要なことがあるの。口が堅いこと。つまり、人助けになる情報交換は、構わないんだけど、仲間内のことについては、だれにも話さないこと。仲間の情報とか、仲間内で話し合った内容とか。守ってくれるわね」羽多は、ちょっと堅苦しい仲間のように思えたが、仲間のことを他人に話す気はない。素直に返事した。「はい。私の役目は、ご亭主に悩んでいる奥さんの情報を提供すればいいのですね。それだけでいいんですね」

 

 樋口が口をはさんだ。「そうよ。羽多は、悩みを持った奥さんの情報を持って来てくれたらそれでいいの。あまり、重く考えないで。私たちは、人助けの仲間なんだから。ほら、那鳥は、弁護士でしょ。世間体を気にするのよ。そう、気にしないでいいから」羽多は、別に気にしていなかった。詐欺仲間じゃあるまいし、胸を張って人助けの手伝いをやりたかった。「はい。私は、まだ未婚なので、わからないことが多いと思います。今後とも、ご指導よろしくお願いします」那鳥は、羽多の素直な性格に安心した。「福岡にも仲間ができたのね。そうだ、来月、3人で、一泊二日の親睦旅行ってのはどう。羽多、計画してよ」羽多は、旅行好きで、学生時代から、全国の温泉を旅行していた。「いいですね。旅行、大好きなんです。一泊二日ですね。任せてください」樋口と那鳥は、頼もしい仲間ができたと笑顔を作った。

 

 

 

            失踪と病死

 

 105日(月)博多署に、菅原洋次の家出人捜索願い届がなされた。その内容には、不可解な点があった。博多区在住の菅原洋次は、横浜市に本社のある三ツ星運輸の長距離トラック運転手であったが、630日(火)付けで退職。71日(水)、菅原洋次は、妻、美津子に退職金が振り込まれる預金通帳を手渡し、職探しを兼ねて、しばらく旅に出る、時期に戻るから心配しないように、と言い残し姿を消した。ところが、それ以後、全く電話連絡もなく、音信が途絶えた。事故にでもあったのではないかと不安になった美津子は、博多署に駆け込んだ。警察は、全国の事故情報からは、菅原洋次と思われる人物を確認できなかった。考えられることは、菅原洋次は、まだ帰宅する意思がなく、旅を続けている。もしくは、何らかの事件に巻き込まれ、帰宅ができない状況に置かれている。女を作って逃げたとは思いたくなかった美津子は、何らかの事件に巻き込まれたに違いないと警察に訴えた。

 

 菅原洋次は、横浜本社の市毛武史という同僚とコンビを組み、トラックで全国を飛び回っていた。二人は、いつも一緒で、東日本の配送依頼を受けた場合、横浜の市毛宅に宿泊し、西日本配送依頼を受けた場合、福岡の菅原宅に宿泊していた。そこで、102日(金)美津子は、元勤務先の三ツ星運輸を通して横浜在住の市毛武史に連絡を取ることにしたが、929日(火)付で、病死していたことを知った。所在確認の手掛かりを失った美津子は、警察に駆け込んだのだった。博多署では、事件性がないと判断し、単なる家出として処理した。だが、美津子は、単なる家出のはずがない。きっと、何かの事件に巻き込まれたに違いないと訴えた。そこで、警察は、何らかの情報を得るために横浜在住の市毛武史の妻、市毛真由美に菅原洋次について尋ねることにした。

 

 事件性が薄いため、市毛真由美への事情聴取を神奈川県警に依頼することができず、福岡県警本部長の懐刀、沢富と子守役の伊達を横浜に出向させることにした。二人は、コロナ禍のため対馬での麻薬捜査は中断され、博多署に呼び戻されていた。1020日(火)二人は、市毛武史の妻、市毛真由美、三ツ星運輸の総務課長、鈴木紀夫、並びに警察庁局長との面談を行うために、福岡空港を飛び立った。二人は、その日の午後2時の市毛宅訪問予約を取っていた。午後1235分に羽田空港に到着した二人は、空港内のレストランで軽く食事をとって、タクシーで市毛宅に向かった。約束時刻の20分前に、青葉区柿の木台に到着した二人は、近隣を散策しながら、面談の打ち合わせをやることにした。

 菅原洋次失踪の件には、事件性はない。単なる家出の可能性が高い。よくある女を作っての失踪だ。女と別れて元の鞘に収まる場合もあるが、全く行方がわからなくなり、7年以上の失踪となる場合がある。失踪が、7年経つと失踪宣告で死亡扱いできるが、それまで、配偶者は再婚ができず、消えてしまった夫を待ち続けることになる。配偶者にとっては、この上ない悲劇だ。菅原洋次の場合も家出の可能性は高いが、全く、事件性がないと言い切ることはできない。すでに、市毛武史は死亡しており、菅原洋次に関する情報を市毛真由美から得るのは困難と考えられる。おそらく、市毛真由美は、夫の仕事については詳しくないはず。ならば、夫の相棒である菅原洋次についても知らないはず。果たして、市毛真由美との面談に意味があるのか?

 

 一縷の望みは、菅原洋次宛てへの伝言を死亡した市川武史が真由美に残していること。些細なことでも、捜索の手掛かりにはなる。死の間際に、何か言い残していないか?伊達は、考えれば、考えるほど、心細くなり、横浜への出張が、無駄骨のように感じられた。伊達は、キョロキョロとあたりを見渡していた無言の沢富に声をかけた。「おい。なんだか、いやな予感がしね~か。市毛武史は、死んでるんだぜ。まいったな~~」沢富も無駄足と考えていた。「普通、妻は、亭主の仕事関係のことは、知りませんよ。しかも、菅原洋次は、市毛武史と同じく6月末に会社を辞めて、その翌日から失踪しています。期待薄ですね」

 

 伊達は、大きくうなずいた。「630日付で、二人の退職が受理されている。また、市毛武史の入院も、菅原洋次の失踪も、7月からだ。これは、明らかに計画的といえる。同時退職には、二人に共通した隠された秘密がるようにも思える。でもな~、市毛武史は、この世にいないし。とにかく、妻の真由美が頼みの綱ってことだ」伊達は、腕時計を覗き、約束時刻に間に合うよう足を速めた。市毛宅の玄関前で息を整え、インターホンを二度押した。中から、か細いが、澄んだきれいな声の返事があった。「どうぞ、お入りください」伊達が、扉を開くとネイビーのレーススリーブロングドレスをまとった華奢な女性が両手を前にそろえて立っていた。二人は、リビングに案内され、ソファーに腰掛けた。お茶の準備にとりかかった真由美に伊達は声をかけた。「何もお構いなく。ちょっと、ご主人の同僚だった菅原洋次さんについて、お聞きしたいだけですから」

 

春日信彦
作家:春日信彦
死神サークルⅠ
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