死神サークルⅠ

 羽多は、枕営業までして、成績を上げたいとは思わなかった。会社は、成績でしか人を評価しない。優績者は、周りからうらやましがられ、本社に招待されて、表彰される。でも、どんな方法で成績を上げているかは、一切問われない。「私は、マイウェイです。生保レディで失敗しても、それもスキルアップの糧になると思います。これからも、先輩のやり方を参考に頑張ります。今後とも、ご指導、お願いいたします」樋口は、一瞬、顔が引きつった。まさか、愛人の人脈を使って、契約を取っているとは、口が裂けても言えなかった。「私なんか、参考にならないわよ。とにかく、必死になって、お客にあたること、それだけ。思いは、必ず、通じるから。肝に銘ずることは、情に流されないこと。これが、ムズイのよね~~」

 

 羽多は、神妙な表情を作るとこれからのことを話し始めた。「私なんか、セールスのひよっこです。セールスのイロハもわかりません。もっと、もっと、先輩のご指導を仰がなければと思います。ところで、私事で恐縮なんですが、今回のリストラで自分の人生を考えてみたんです。そして、何が、自分にとってベストなのか考えてみました。都会でバリバリ仕事をやって、イケメン男性と結婚することが、幸せなのか?親は、田舎の大学を勧めましたが、親に無理を言って、東京の大学に行かせてもらいました。また、幸運にも、H旅行会社に就職できました。でも、リストラされてしまえば、学歴も、前職も、評価されませんでした。このまま、都会にいることに、疑問がわいてきたんです」樋口の表情が暗くなった。小さくうなずき尋ねた。「それじゃ、田舎に帰るということね。田舎は、福岡だったわね」

 

 羽多は、さみしそうに話し始めた。「はい、今となっては、田舎でもいいかなって。都会にいる価値が見いだせないんです。生保レディをやるんだったら、福岡でもできるし。福岡だったら、もっと、自分に向いた仕事が見つかるようにも思えるし」樋口は尋ねた。「そのことは、所長にも話したの?」羽多は、小さくうなずいた。「はっきりしたことは、まだなんです。福岡支社に転属できるか、確認してもらっているところです」樋口の細い目が光った。「そう。でも、仲間が福岡にいるというのも、いいかも。全国に、お客はいるんだし。そうね、これって、いいかも。そうよ、田舎に帰りなさい」

 

 

 羽多は、仲間とはどういう意味かピンとこなかった。確かに、お互い生保レディ仲間であることには違いなかったが、福岡支社に行ってしまえば、仕事上で交流することはないと思えた。「先輩とは、どこに行っても、仲間って、ことですね。福岡支社に行っても、ご指導いただけるってことですね」樋口は、何か考えているような表情でしばらく黙っていた。突然、鋭い目つきをすると静かに話し始めた。「仲間って、言ったでしょ。でも、この仲間というのは、生保レディの仲間じゃないの。困った女性を救済する仲間なの。やってもらいたいことは、簡単なことなんだけど。どう、やってみる覚悟はある?」いったい、何を言っているのかさっぱりわからなかった。羽多は、尋ねた。「女性を救済する仕事、ってどんな仕事ですか?具体的に言っていただけないと返事できません」

 

 樋口は、ニコッと笑顔を作った。「そうね、ちょっと説明しにくいんだけど。情報屋、ってことかな。セールスに行くじゃない。奥様と親しくなると悩み相談を受けることがあるでしょ。特に、ご亭主の。羽多は、まだ、未婚だから、夫婦のことはわかんないと思うけど、酒乱で奥さんに暴力をふるったり、バクチで借金作って、借金返済のために奥さんを風俗で働かせたり、そんな、どうしようもない鬼畜亭主、っているのよ。奥さんは、別れたいけれど、別れようとしないご亭主もいるのね。つまり、このような夫婦がいたら、私に教えてほしいってこと。当然、報酬は、支払うわ」羽多は、今一つピンとこなかったが、簡単な仕事のように思えた。「要は、セールスに行って、夫婦仲が極悪の奥さんに出くわしたとき、その情報を樋口さんに教えればいいということですか?

 

 樋口は、ニコッとうなずいた。「そういうこと。簡単でしょ」羽多は、首をかしげて尋ねた。「先ほど仲間って言われましたけど、ほかにも、このような情報屋をやってる生保レディがいるってことですか?」樋口は、即座に返事した。「さすが、頭の回転が速いわね。察しの通り、赤羽支社、浦和支社、船橋支社、大坂支社、京都支社にも仲間がいるの。何も心配はしなくていいのよ。情報だけでいいのよ。あとは、私が、人助けするから」人助け、ということは、身の上相談に乗ってあげて、夫婦円満になるアドバイスでもするのだろうか?「樋口さんが、身の上相談に乗ってあげるということですよね。これって、素晴らしい人助けです。わかりました。でも、福岡支社に行くってことは、福岡のお客さんの情報ということになります。それでも、いいのですか?福岡までやってきて、身の上相談をなされるのですか?

 

 

 

 樋口は、大きくうなずいた。「もちろんよ。人助けなんだから、全国どこにでも、飛んでいくわ。やってくれる?」羽多は、ちょっと首をかしげたが、引き受けることにした。「は~~、そんなことぐらいだったら、できると思います。あくまでも、どうしようもない鬼畜のようなご亭主がいる夫婦の情報ですよね。そんな夫婦って、あまりいないと思いますけど。もしも、いたらでいいんですよね」樋口は、笑顔で返事した。「もちろんよ。この世から消えてほしいような鬼畜亭主がいたらでいいのよ。意外と、いるのよね。東京には、腐るほどいるわよ。きっと、福岡にもいるから、情報お願いね」

 

 羽多は、軽く引き受けてみたものの、今一つ納得できなかった。確かに、相談に乗ってあげることは、精神的な救いになるような気がしたが、話を聞いてあげて、アドバイスしたぐらいで、ご主人の生活態度や、暴力をふるう性格は治らないように思えた。実際に、本当に困り果てた奥さんの手助けになった実績はあるのだろうか?「人助けは、いいことだと思います。でも、奥さんでも、どうにもならない鬼畜のようなご主人なんでしょ。そんな家庭問題を、樋口さんのアドバイスで解決できるものでしょうか?ちょっと、信じがたいんですけど」樋口は、ニコッと笑顔を作り、返事した。「そうよね。奥さんの説得でも、弁護士のアドバイスでも、解決できない家庭問題を、私が解決できるのか、って言いたいのね。誰しも、そう思うわよね。でも、私は、何人もの奥さんたちから、感謝されてるの」

 

 羽多は、具体的には理解できなかったが、深く詮索する気になれなかった。情報提供をすることが、人助けになり、しかも、先輩のためになれば、御世話になった恩返しができる。「先輩の恩返しになるんだったら、やれるだけのことはやります。先輩って、人格者なんですね。恐れ入りました。私なんか、まだまだ、子供ですね」樋口は、ハハハ、と笑い声をあげた。「人格者じゃないわよ。この世から消えてほしい鬼畜を地獄に案内する偽善者なんだから。男にとっては、死神ね」地獄に案内する偽善者?要は、何らかのヤバイ方法で、離婚させるということか?弁護士でも離婚させることができない夫婦を離婚させることが、本当に、できるのか?「あの手、この手、を使って、離婚させるってことですね」

 

 

 樋口は、大きくうなずいた。「その通り。必殺技で、離婚させるの。弁護士や、裁判では、らちがあかないんだから。そこで、私の出番、っていうわけ」必殺技とは、いったい、どんな方法なのか?羽多には、全く見当がつかなかった。「私のような凡人には、よくわかりません。でも、先輩の器量だったら、できるんですね。ますます、先輩が、女神様のように見えてきました」女神といわれ、樋口は、噴き出してしまった。「女神じゃないわよ、死神よ。私は、鬼畜の藁人形を作って、その藁人形に5寸くぎを打ち込むの。そうすると、なぜか、突然、ガンになって、抗がん剤の効もなく頓死してくれるの。早い話、離婚させるというより、死別させる、ってわけ。今年に入って、3人の鬼畜が、ガンで地獄に行ったのよ。奥さんたちに、涙を流して、感謝されたわ」

 

 冗談と思った羽多は、笑顔でうなずいた。「藁人形ですか。呪術で鬼畜を地獄へ道案内。鬼畜がこの世から消えて、奥さんは、涙を流して、大喜び。さらに、多額の保険金が入るというわけですか。全く、これって、ブラックユーモアですね。こんな話を聞いていると結婚が怖くなりました。万が一、鬼畜と結婚したなら、先輩の呪術で地獄に案内してください。その時は、よろしく」樋口は、おなかを抱えて笑い出した。「羽多こそ、ブラックじゃない。羽多は、大丈夫よ。きっと、素敵な紳士と結婚できるわよ。結婚式には、招待してね」羽多も冗談が過ぎたと思い、苦笑いした。「もちろんです。ぜひ、結婚式にはいらしてください。2年以内には、福岡で、いい人見つけますから。待っていてください」樋口は、笑顔で返事した。「それじゃ、死神サークルの仲間入りを祝って、改めて乾杯しましょう」

 

 樋口は、ワイングラスと赤ワインを運んできた。「鬼畜がこの世から一匹でもいなくなりますように、それと、羽多に素敵な彼氏ができますように。ア~~メン。カンパ~~イ!」二人は、グラスを響かせるとグイッと喉を鳴らした。樋口は、グラスをテーブルにそっと置くとスッと席を立ち、奥の寝室に向かった。そして、ピンクのポーチを右手に取って戻ってきた。笑顔で席につくとポーチのファスナーを開いき、右手を差し込んだ。羽多は、引き出された右手を見て目を丸くした。右手には、札束が握られていた。「はい。私からのお餞別。活動費の足しにしてちょうだい。足りないときは、いつでも言って。でも、情報提供の約束は、忘れないでね」100万円の札束が、羽多の目の前に差し出された。羽多は、固まってしまった。「こんな大金、受け取れません。お金のことは、心配なさらないでください。活動費には、困っていませんから」

 

春日信彦
作家:春日信彦
死神サークルⅠ
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