無人駅の駅長

無人駅の駅長( 13 / 43 )

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硝子のジェネレイション


 流行が素早く変化する現代。年齢が十才違うと話が通じにくい。十代のときの共通経験がずれるのだ。

 話自体は通じるけれど、肌があう感じがない。「周波数」がずれる。隔靴掻痒の感。

 たった十歳上の人と話しても、なにかがずれる。むこうもおなじもどかしさを感じているはず。

 たった十歳若い人と話しても、ときに話がわからない。表面上の意味はわかっても、彼が言おうとしているニュアンスがこちらに伝わらない。

 わたしより一世代若い人はポケベル世代。かれらが高校生の時ポケットベルが大流行して、それで連絡を取り合った。その次が携帯電話世代。ふたつ折りケータイが眩しく見えた世代。そそしてスマートフォン世代が続く。

 わたしが十代のとき、そのどれもなかった。電話は重厚なダイヤルを回すもの。持ち歩く電話なんか想像もしなかった。だからたった十歳若い人たちのポケベル懐旧談がわからない。かれらもケータイ世代がわからないそうだ。ましてやスマートフォン世代の人たちとは話ができないくらいわからない。彼らだけが共有している(らしい)その感覚がわからない。

 商業的流行だけではない。

 わたしが中学生の時、男子は家庭科を習わなかった。しかし十歳若い友人は習ったそうだ。コンピューター教育も受けたそうだ。わたしのときはそんなものはなかった。だいたい世の中にパソコンが普及していなかったのだ。パースナル・コンピューターという物体はあった。アップル・コンピューター発売はわたしの小学生時代だったから。だが値段が高すぎて、一般人はもとより企業だってパソコンなど導入していなかった。先端的企業がようやくワープロ専用機を使い始めた時代だ。学校で情報教育なんか教えるわけがなかった。だからわたしのパソコン技術はぜんぶ我流。当事の年上の人たちはワープロやパソコンを恐怖していたから、誰も教えてくれなかった。

 いまの若い人はタイピングの指の動きからして無駄なく、美しい。わたしのタイピングはまったくの我流で、ひどいものである。誤字脱字だらけに打っている。左利きなのに右利き用キーボードにむりやり合わせたからか、無駄だらけのひどいタイピングが身についてしまった。

 わたしは黒く大きなアナログレコード盤で音楽を聴いたもっとも若い世代だ。あの野暮ったらしい感じ。三〇センチの広さがあるから可能だった表紙ジャケット芸術。盤を取り出した時のわくわくする匂い。針を落としたスクラッチ音から始まる音楽。レコード盤の傷つきやすさと壊れやすさ。この懐かしい経験をたった一〇歳だけ若い友人に語れない。「レコードですか」「見たことはあります」「親が持ってました」なんて言われてしまう。

 世代は言葉だって違う。

 使う語彙が違う。抑揚が違う。アクセントの付け方が違う。イントネーションが違う。若い世代(と年上世代)と話をすると、これが実にストレスだ。いらいらする。ラジオを聞いていても何歳くらいの人かわかるものである。離れた世代の人の話はその内容以前に、言葉使いにいらだつ。同世代の人の声はすぐわかる。ラジオだから顔も名前もわからないのだが数分間聞いていれば同世代だとわかる。使う語彙と話し方でわかる。同世代の人の話はほっとする。聞いていてたのしい。それは海の波の音に身を浸すような安心感だ。

 八〇年代にラジオから流れていたヒット曲の半数くらいが松本隆作詞だった。かっこいいと思っていた。その詞の世界は時代の尖端、二十一世紀の未来世界みたいに眩しかった。けれどもいま聴いてみると、古めかしい言葉や言い回しの多さに気づく。二世代上の人のこ言葉だ。やや違和感がある。ましてや今の一〇代の子たちが聞けば化石時代の音楽なの?と思うかもしれない。ちょうど幼かったわたしたちが昭和二〇年代の流行歌を感覚的に受けつけられなかったように。

 同世代の人とは、自分を中心に上下三歳くらいまでだろうか。

 ずっと昔、九〇年代に同棲したひとはわたしより二歳若かった。学んでいた通信制学校の同級生だった。彼女とは違和感を感じなかった。三歳以上離れると、若いときの共有経験がずれてしまって、なんとなく波長があいにくいのかもしれない。

 こまった時代に生まれたものだ。

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流れる


 私は故郷を複数もっている。千葉県をのぞく関東のすべての都県と静岡県伊豆で育ったからだ。

 小学校低学年の夏休み、東京下町の誰だかわからぬ人の家に預けられた。小さかったから正確な地名を記憶していない。ただ、大人に連れられて乗った地下鉄の電車が地上を走りおおきな河を渡ったところの駅で降りた。地下鉄なのに外を走ってる、と不審に思ったことを記憶している。おそらくその大きな河は荒川放水路で、私は江戸川区葛西あたりに預けられたのだろう。

狭い家だった。水道の水が薬品臭かった。七〇年代の下町の水は汚くて浄化するため大量の薬品を使っていたからだろう。江戸川も隅田川も現在よりよほど汚かった。

 子供だけで河へ行ってはいけないと言い聞かされたが、他に行くところがなかった私は河の高い擁壁のところへ行った。

 それから月日が流れ八〇年代になり一七歳の私は大川べりの墨田区本所でアパート暮らしをした。両国国技館の裏のほうだった。部屋の窓の前は首都高速六号線でその向こうの向こう側が蔵前と柳橋だ。都心ではなく郊外でもない中途半端な立地で、日常品を商うお店が少なかった。

 景気が良い時代だったから仕事はいくらでもあった。ただし中学校卒業で一八歳未満の私を面接してくれる会社は少なくて転職が困難だった。そこで高卒資格をとるために通信制高校へいこうかと考えた。現在の事情は知らないが、三〇年前の当時、台東区の上野高校と新宿区山吹の二つの都立高校が通信制を開設していた。両方を見学してみた。場所は上野が便利だった。本所から歩いても通える近さだ。でもなんとなく山吹のほうがハイカラな感じがしてそちらにしようかと漠然と思った。けれども仕事が忙しく、朝九時から夜九時まで働く状況で、疲れてしまって通信制高校のことをいつのまにか忘れてしまった。

 その後世田谷区へ越した。ハイセンスな山の手に住んでみたかったから。

下北沢のちょいと先の小田急沿線だった。

 住んでみて生活に便利な町ではあった。活気があり、店がたくさんあり、不便だった本所とは大違い。でもなんとなく違和感を覚えた。なんかちがうと感じた。住みやすいのに住んでいておもしろくなかった。この違和感は何なんだろうと我ながら不審だった。

今はその理由がわかる。河がなかったからだ。東京の西部近郊には江戸川や隅田川に相当する河がない。ぜんたいに乾いていて砂っぽい。潤いに欠ける。渋谷新宿池袋より西方の住宅地はどこもそうだ。冬は砂埃を上げる乾燥した季節風ばかりが強く吹く。一言で表現すると田舎っぽいのだ。

 私は水が好きだ。住むならば河がある街がいい。

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誘惑


 飛行機からたった一人で見知らぬ国に降ろされてしまった、としよう。そこは日本人が一人もいない国だ。言葉と習俗習慣がわからない国でその人が生き抜くためにはまずは周囲の人々の様子を懸命に観察し見様見真似に真似するしかないだろう。

 機能不全家族で育った子供はこれと似ている。

 親がアルコール依存だったり、極度の貧困だったり、機能不全家族にはいくつかのバリエーションがある。しかしそういう環境で育つしかない子供は子供なりに周囲の大人たちを観察し真似して育つ。やがて若者になったとき、かれらは滅茶苦茶な性格破綻者(ジェームズ・ディーン、マリリン・モンロー、尾崎豊のような)になるか、過度にしっかりし過ぎている青年(小さな大人として親のケアをせざるをえなかった子)になる。どちらかの両極端になる。非常にしっかりしているように見えてもその内面は脆い。

 そのどちらのタイプも心の奥に深い傷と激しい怒りを抱いてアウトローとして生涯をいきてゆく。

 かれらは結婚したがらない。こどもを欲しがらない。結果的に妊娠してしまうことは非常に多いけれど、それを「おめでた」ととらえることはない。明るいこと楽しいことがなにもなかった子供時代を経験してしまったからだ。家庭は嫌悪すべきところでしかないからだ。

 かなしみをひとひら

 噛じるごとに子供は

 かなしいと言えない

 大人に育つ

  「誘惑」(中島みゆき)より

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鰯雲


チャップリンの小説「フットライト」を読んだ。あの多芸なチャップリンが小説まで書いていたのかと驚いたが、実のところは映画「ライムライト」の台本の下書きのような作品で、本人は廃棄した原稿のようだ。しかしながら周囲の人が廃棄されたノート等をゴミ箱から収集し保管していたらしい。そのうちの一つが今回読んだもの。本人はおそらく世に出す意図がなかった原稿がこうして読まれているわけで、遺体を「誘拐」されたことといい、人気者は死んでも忙しいようだ。

 才能豊かな人だけにさすがによくかけている。でも小説とよぶほどでもない。一読後の印象は「素晴らしい下書き」であった。

 小説「フットライト」により、「ライムライト」を見ただけでは不可解であった描き方が三つほど理解できた。一つは主人公カルヴェロの年齢設定が五十歳過ぎであるということ。これは驚いた。そんなに若い設定であったとは。六五歳前後かと思っていた。

 次にライムライト劇中歌「イワシの歌」。ぴりりと苦味が効いたコミカルな歌をカルヴェロが歌う場面。映画版でかなり短縮されている歌詞が「フットライト」では長々と解説されている。おかげで歌の内容が今回はじめて全体的にわかった。そうして「ライムライト」では歌われない前半部分の歌詞が金子みすゞの詩「大漁」と似ていることを見つけた。偶然の一致だろう。面白いことだ。金子の詩のほうが時代的に先だが、完全に無名であった日本の詩人の作品を、日本語を理解できないチャップリンが知っていたとは思えない。

 三つめ。「ライムライト」終盤のバスター・キートンとチャップリンによる劇中喜劇。あのシーンは「フットライト」に存在しない。撮影に入り、キートン出演が決まってから、二人がほとんど即興芝居で撮ったシーンのようである。

 有名な場面だが以前から私はあそこが不可解だった。二人のコントはどう見ても可笑しくない。しかるに観客達は涙を流し身をよじるほど笑っている。もしかしたら観客全員、テリーが依頼したサクラなのかと勘ぐったりしていた。しかし「フットライト」を読んで、嘘笑いでなく、二人の芸がほんとうに観客に受けているシーンであることがわかった。少数のサクラを雇い観客席に紛れ込ませたことは「フットライト」にも書かれている。だが観客はサクラたちの行動を乗り越え本当に笑っていたのだ。落ちぶれ喜劇役者カルヴェロは憐れんでもらったことを知らずに死んだのではなく、生涯最後に大成功を収め、その中で死んだのだった。

 カルヴェロのモデルはチャップリン本人と彼の若くして死んだ父親だろう。カルヴェロもチャップリン・シニアも舞台に上がる前に強い酒を煽る。素面で観客の前に出られない。受けないことが怖くて。チャップリン本人だって映画であれほど人気者になってからは舞台に立たなかった。カメラを間に挟む間接芝居で観客に接した。おそらく舞台恐怖があったのだ。

 カルヴェロはブランデーをあおって舞台に立てば霊感が湧き、「面白い人」に変身できると言う。

 ところで私は酒が飲めない。下戸にとって酒は単なる毒入り水である。だからカルヴェロの述懐が理解しにくいのだが、創作が湧く湧かないの問題に取り替えれば非常によくわかる。

 私は十冊ほど本を上梓させていただいた。しかしその中に私の作文は一行もない。子供時分から作文が苦手で文章を書けないのだ。世の中には読書が趣味で、読むのも書くのも好きという方がいる。私も読書好きだ。この頃は視力が衰えてペースが落ちたが一年に百冊は読む。けれど読むのが好きだが書くのは嫌いだ。趣味を仕事にしてしまうとつまらなくなる。趣味が趣味でなくなり義務に変化する。私は読むことは好きでも書くことが嫌いなので、ある意味で助かっている。

 ではどうやって本を書くのか。

 文章が湧いたら書き写すのだ。私が作文するのではない。自分の中で文章が湧き出したらそれを書き留めるだけなのだ。書き留めたものの集積が本となる。湧いた時はいくらでも書ける。湧かない時は一行も書けない。これが私の本の書き方だ。

 物書きの中には文章が天から降ってくると表現される方もいる。私の場合は上からではなく、自分の下腹のあたりから文が湧く。いつ湧くか当人にもぜんぜんわからない。本を読んでいる時、ラジオを聞いている時、掃除している最中などいつでも湧くときは湧く。傾向としては、歩いているときと、寝ているときに湧くことが多い。歩行のリズミカルな運動が良いのだろうか、歩いている時ふと湧き出す。すると私は歩きながら、頭の中で、湧き出した断片的な言葉たちを論理的につなげて形ある文章に組み上げる。そのままでは確実に忘れるので、その場でメモをする。そのために私は常にペンと紙を持ち歩くことにしている。もしその場の近くに喫茶店でもあれば飛び込んで、頭の中で完成させた文章を紙に書き写す。

 睡眠中に湧くこともよくある。睡眠といっても明け方起きる直前に文が湧くのだ。夢でない半覚醒状態であることは自分で意識している。眠ったまま湧く。湧くままに文やアイディアに身を委ねる。そうしてすっかり覚醒したら真っ先にそれをノートに書き留める。奔流のごとく文章が湧き上がるため手の動きが追いつかない。殴り書き状態になって数ヶ月もすると私自身解読に苦しむひどい字で書き留め、判読できるうちにノートを見ながらタイプする。

 つぎにその文章を何日か「寝かせる」。翌朝目覚める前にほぼ確実に新しい文章が湧くからだ。湧いた文章を足したり不要と判断した文章を消す。これを数日続ける。この作業を私は「発酵」と呼んでいる。食べ物が微生物の作用によりより良いものに変化するように、湧いた文章を寝かせると洗練されたものに「発酵」する。これが私の創作方法である。

 ついでながらこの文章もまた昨日街を歩いているとき湧き出たものをメモ用紙に書き写し、帰宅後にタイプし一週間ほど発酵させたものである。

金井隆久
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