神様、お願い

              お願い

 

 亜紀は、風来坊が完全に消え去るまでしばらくぼんやりと青空を眺めていた。うなだれてしまった亜紀は、重たい脚を引きずりながら自宅に帰った。キッチンでは、さやかとアンナが、スイカを食べながら笑っていた。「ママたち、楽しそうね。いいことでもあったの?」アンナが、返事した。「いやね、免疫力を高めるには、笑うことが一番、ってさやかが言うから、サンドウィッチマンの漫才を思い出して、バカ笑いしてたのよ」亜紀は、三峡ダムの決壊を考えるとバカ笑いする気になれなかった。「亜紀は、悲しくて、笑う気になんか、全く、ならない。ア~~ア、どうして、大人って、バカなんだろう。大人になんか、なりたくないな~~」さやかが、声をかけた。「そう、嘆かずに、お話でもしましょう。落ち込んでばかりいると、免疫力が低下するんだから」

 

 亜紀は、椅子に腰掛け、頬杖をついた。アンナは、思春期の悩みと思い、尋ねた。「何か、悩みでもあるの?失恋でもしたの?」亜紀は、恋をしたことがなかったから、失恋といわれても、ピンとこなかった。「そんなんじゃないよ。三峡ダムのことを考えてたの。もう、手遅れよ。このままじゃ、数億人が犠牲になる。人間って、どうして、こんなに、愚かなんだろう」アンナが、尋ねた。「三峡ダムって、何よ。ダムが、どうしたっていうのよ」さやかが、応答した。「中国の河北省にある世界一の発電を誇るダムよ。今、問題になってるのよ。もしかしたら、決壊するんじゃないかって」アンナは、中国のダムと聞いて、安心した。「中国のダムなの。だったら安心じゃない。だだっ広い中国だもの、ダムの一つや二つ、決壊しても、どおってことは、ないんじゃない」

 

 さやかが、顔を左右に振った。「確かに中国はだだっ広いわよ。このだだっ広い中国でさえ、甚大な被害が起きると予測されているのよ。なんと、ダム湖の広さは、琵琶湖の1.4倍もあるのよ。この巨大な貯水湖の水が、一気に下流に流れ出したら、長江沿いの武漢(ぶかん)、南京(なんきん)、上海(しゃんはい)、などは、洪水で全滅するのよ。被災者は、約4億人に及ぶと予測されているの。いったい、どうする気なのかしら」アンナが、あきれた顔で応答した。「そもそも、そんなバカでかいダムをつくらなければ、よかったんじゃない。中国人って、アホなんじゃない」さやかは、大きくうなずいた。「まったくその通り。当時の全国人民代表大会では、約3割の人が反対したみたいなんだけど、結局は、賛成多数で、建設されたのよ」

 

 アンナが、口をとがらかせて言い放った。「みんなで決めたんだったら、自業自得じゃない。こうなったら、川沿いの人たちみんな、引っ越したらいいんじゃない。死ぬよりは、いいでしょ」さやかは、うなずいた。「そうよね。逃げるが勝ち、っていうし。でも、長江沿いの武漢、南京、上海は、大都市で人口が多いだけでなく、諸外国の支店や、工場があるのよ。だから、三峡ダムの問題は、中国だけの問題じゃないのよ。日本の大企業の支店や工場もあるから、日本政府にもかかわってくるの。アメリカ、ヨーロッパ、等も巻き込んだ21世紀最大の一大事件ってわけ。各国もどうしたらいいか、わからないのよ。このままだと空前絶後の死者が出ると思う」

 

 アンナは、言い放った。「みんなで決めて、作ったんでしょ。だったら、文句、言えないんじゃない。決壊が時間の問題だったら、逃げる以外ないでしょ。ほかに、どんな方法があるというの?」亜紀が、応答した。「ママの言う通り。でも、もう、手遅れよ。そもそも、長江本流にバカでかいダムをつくるなんて、正気の沙汰じゃないのよ。いまさら、補強なんて、できないと思う。しかも、手抜き工事がなされているらしいの。現に、7月からの大雨で、長江沿いの都市で洪水が起きてるし。なんと、三峡ダムの上流にある重慶でも大洪水になってる。これ以上、大雨が続けば、きっと、ダムは決壊する。一刻も早く、避難すべきよ。神様でも、助けることはできないと思う」

 

 さやかが、応答した。「そうね。問題は、コンペーよ。国民を助ける気持ちがあるのか、どうか?私たちにできることは、神に祈ることぐらい。コンペーが、人並の心を持っていること期待する以外ないわね」亜紀が、応答した。「神頼みしかないけど、そう、おじいちゃんなら、なんとかできるかも?大統領にも顔が利くんでしょ。ママ、おじいちゃんに、暗殺をお願いしてみようか?」アンナは、腰を抜かした。「何言ってるの。暗殺なんて、とんでもない。会長が、こんなバカげたことに、かかわるはずがないじゃない。会長はね、武器商人なのよ。米中戦争をまだか、まだかって、待ってるのよ。武器を売って、ぼろもうけする気なんだから」さやかが、応答した。「会長は、戦争屋なのよ。人助けなんか、やるはずない。コンペー、バンザイなのよ」

 

 

 

 

 亜紀には、おじいちゃんが極悪人だとは、思えなかった。「そうかな~~。おじいちゃんって、そんなに極悪人なの?亜紀が、お願いすれば、きっとわかってくれると思うんだけど。おじいちゃん、まだ、入院してるの?」さやかが、応答した。「悪運が強いというか、運がいいというか、会長は、無事、健康を取り戻して、退院したわ。今は、魔界島で、美女に囲まれて、優雅な生活を送ってるんじゃない」亜紀は、かすかな望みを感じていたが、やはり、不安は増大するばかりだった。「中国は、食糧危機で戦争どころじゃない。三峡ダムが決壊すれば、多くの死者が出る。コンペーは、わかってるはず。でも、コンペーは、ゾンビみたいなものだし。ア~~、ママだって、コンペーを抹殺したいでしょ」

 

 アンナは、眉間にしわを寄せて、うなずいた。「確かに、ママも、コンペーは、憎いわよ。でも、コンペーちゃんは、国家主席だし、中共のメンツってものがあるじゃない。三峡ダムの建設は、中共の過ちだったとは、決して認めない。なるようにしか、ならいいわよ」亜紀は食い下がった。「でも、今のままでは、コンペーは、いつまでも国家主席を続けるんでしょ。コンペーは、中国のガンなのよ。いや、人類のガンよ。なんの罪もないチベット人やウイグル人を殺してるのよ。こんな鬼畜を野放しにしていいの?一刻も早く消さなけば、犠牲者が増えるばかりよ」アンナは、亜紀の気持ちは分かったが、気持ちを落ち着けるように諭した。「亜紀のいうことも、もっともだけど、国家というものは、こんなものなのよ。どんなに国家が悪だと思っても、国民は国家に従わなければならないの。亜紀も大人になれば、わかるわよ」

 

 さやかも亜紀をなだめた。「亜紀ちゃん、国民というのは、その国家の運命でしか、生きていけないのよ。第二次世界大戦で、多くの国民は戦死したでしょ。でも、これは、運命なのよ。当時は、子供も大人も、戦争バンザイと言って戦争したの。か弱い女性ができることは、ワラ人形を作って、鬼畜が一刻も早く天国に召されることを祈ること以外ないの。早速、ワラ人形を作りましょう」亜紀は、アンナとさやかの弱腰にあきれてしまった。「何が、ワラ人形よ。そんなことぐらいで、鬼畜が死ぬわけがない。とにかく、おじいちゃんにお願いしたい。ママ、おじいちゃんにお願いして。ママがお願いすれば、きっとうなずくはず。お願い、ママ」

 

 アンナは、亜紀がここまで頑固だとは思わなかった。「お願いといわれても、会長と連絡できないし。できることといえば、のんきな執事を呼び寄せるぐらいよ」亜紀が、立ち上がって返事した。「そいじゃ、執事を呼んで。執事から、おじいちゃんにお願いしてもらえばいい。早く、呼んで」アンナは、さやかに援護を求めた。「さやか、何とか言ってよ」さやかも亜紀の頑固さには、度肝を抜かれた。このままでは、真夜中までお願いが続くように思えた。「アンナ、今回だけ、亜紀の気持ちを汲むということで、執事を呼んであげたら。執事が何というか、わかんないけど」亜紀は、両手を合わせて、頭を下げた。「ママ、お願い、この通り」アンナは、自分の部屋に向かい、バックから緊急用の小さな通信機を持ってきた。「ア~、こんなことで、執事を呼んだら、怒鳴られるんじゃないかな~」アンナは、通信機の赤いボタンを押すのをためらった。

 

 亜紀が、叫んだ。「なによ、こんなことって。人類の一大事じゃない。早く、ボタン、押してよ」アンナは、しぶしぶボタンを押した。「押したわよ。明日には、飛んでやってくるんじゃない」亜紀が、明日と聞いて、エ~~と悲鳴を上げた。「明日なの。緊急なのよ。すぐに来てよ」さやかが、なだめた。「亜紀ちゃん、執事は、魔界島にいるのよ。魔界島って、屋久島より南にあるの。飛行機でやってきたとしても、明日が精いっぱいよ。すぐには、やってこれないわよ」亜紀は、がっかりしてしまった。「何が、緊急連絡よ。緊急なのよ、1時間以内に来るのが当然じゃない。ピザクックは、30分もあれば、配達してくれるんだから。全く、役立たず」アンナは、亜紀のせっかちには呆れた。「そう、焦らずに。待てば海路の日和あり、っていうじゃない。必ず、執事は来るから、今日は、ゆっくり寝て、明日、お願いすればいい。あ、もうこんな時間」

 

 三人は、昼食をとることにした。「亜紀、おなかすいたでしょ。そうだ、亜紀の大好きなピザにしよう。30分もすれば、配達してくれるし」アンナは、早速ピザクックに注文した。しばらく待っていると、インターホンが鳴った。アンナが、応答した。「エ、今日は、バカに早いわね」アンナが、玄関にかけていった。アンナは、ドアに向かって声をかけた。「どうぞ」ドアが開かれると上川のような中年のイケメンが入ってきた。アンナは、ピザの配達でないことに気づいた。「どなた?」イケメンは、即座に返事した。「緊急連絡を受けましたもので、お伺いいたしました。執事の西園と申します」アンナは、腰を抜かした。「エ~~、30分で、魔界島からやってきたの。スーパーマン。信じられな~い」イケメン執事は、笑顔で返事した。「まさか。わたくしは、人間です。そんなことはできません。天神事務所から、高速を使ってやってきました」

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
神様、お願い
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