生き延びるためのメディアと信頼ネットワークの再構築

今、生き延びるためのメディアが必要とされている

世界的に著名なフランスの経済・政治学者ジャック・アタリは、ルールなき市場経済が無秩序と格差をもたらしている現状に対して、「国家なき市場経済」が「世界のソマリア化」となることを危惧している。私的解釈では、界は第3次世界大戦ならぬ「第1次世界内戦」へと突入しており、局所分散型のテロ活動に加え、政治的・経済的無秩序がもたらす不幸のグローバル化を、ソマリアに例えたのだと思う。

残念ながら、その危惧はどんどん現実化し始めた。チュニジアのジャスミン革命を発端とし、エジプトでクーデターが起き、リビアへの軍事介入へと続いた。そして、今、EUのギリシャの債務問題の悪化、米国債のデフォルト危機、また中国におけるバブル経済の破綻の恐れなど、経済の国境なきリスクの現実感が増している。そうした中、東日本大震災は起こり、現在も進行中である。日本は国家債務危機だけでなく、世界が生き延びるためにどうしたら良いかを考える象徴的な場所になったのだった。

東日本大震災は日本を窮地に追い込んだものの、顕在化した課題は決して想定外ではなかった。つまり、近い将来予期された不幸が凝縮した形で押し寄せたのであって、それも始まりに過ぎないというのが厳しい現実である。しかしながら、あえてこの見たくない現実と対峙するにあたって、決して絶望する必要はないというのが、今回の提言の趣旨であり、印刷業界やメディア業界の決断と強い意志によって革新が生まれるチャンスなのだと信じている。

まず、あらゆるメディアは日本の経済規模と比例して成長をし、それが下降すると同時に収縮し始める。内需もまた人口やその構成比率から縮小せざるを得ず、一次産業だけでなく二次産業、三次産業においてもグローバル化の中でどのように業態を維持するかは、簡単には解けない難問として顕在化していた。その上、デフレが続く中で高付加価値サービスを提供するイノベイティブな土壌が今の日本にあるかと言われると、本来的に日本人にその資質が備わっていても、その資質が発揮され、形にする支援を今の教育システムや社会的環境がしているかというとそうでないと言わざるを得ない。つまり震災は東日本だけでなく、日本全体の再構築を迫っているのである。

新聞は何を報じたか、何を報じるべきか

被災した新聞社がそれでも新聞発行を続けたことは、石巻日日新聞の手書きの壁新聞で世界的にも有名になった。大規模な停電の影響で312日付朝刊の発行に甚大な被害が出たが、被災した新聞社は災害援助協定を結んでいる近隣県などの新聞社に組み版や印刷を委託したり、予備電源を使ったり、ページ数を圧縮するなどの特別発行態勢で新聞発行を継続した。

ある知り合いが新聞に関する面白い所見を披露してくれたことがある。「多くの人が毎朝新聞を読むのは、どの事件も自分とは直接関係がなかったことを確認し、安心してその日を始めるための行為だ」と。確かにそう考えると、今読む新聞や雑誌は読むに耐えられない記事が多い。なぜなら自分や家族の死活問題に関わる政治的動向に対して怒りを感じざるを得ない内容が多い上、その記事を掲載しているメディアにさえ不信感を抱いており、読んだからと言って安心が得られるどころか不安が増すばかりだ。そうかと言って、無理に安全を強調したコンテンツを提供しようとしようものなら、読者との不信の連鎖に陥り、御用新聞やら御用記者呼ばわりされてしまう始末だ。

被災地の印刷会社や関係者を取材した中で、自らも被災した笹氣印刷出版の笹氣義幸取締役が「自分たちの仕事は『事実を正確に広く伝えること』が本質なので、そのための手段や媒体が変化することに疑問は持たない」と語っていたことに、ある種の安心と希望を感じた。この言葉にはもともと日本人が持つ公共性への前向きな姿勢が感じられる。特に被災地の当初の不安は、自らに関わる事実を正確に知ることができないことにあり、3.11から数カ月以上経った今、被災地の書店で一番で売れているものは、何と東日本大震災の特集雑誌なのである。つまり、ようやく自らの体験を冷静に認識し、俯瞰することができる状況になったということなのである。

安心と安全を安価に提供する方法(バイタルレコード管理)

では具体論に入ろう。我々はいまだ福島第一原発に関する情報を正確に得られていないと感じざるを得ない。また被災地の細かな復興状況の進捗やニーズについても同様に不明である。それは状況が複雑であると同時にそれらを俯瞰する術を得ていないからである。

公共交通機関やインフラの復旧状況はおおよそ見えてきたかもしれない。例えば、公共機関や大学の物理的損壊は数字で発表されている。それはパソコンやサーバー、高額な実験機器や建物が壊れた金額であって、例えば貴重な医療用のサンプルやハードディスクの中にあったデータの価値は含まれていないだろう。そもそも印刷会社には、大量のパソコンやサーバーがありながら、水没したハードディスクを救済する技術的方法があることを知っている人が何人いただろうか。ハードディスクも早期に適切な処置をすればデータの回復は可能なのである(図表1-1)。

全国ブランドのメーカーは、機を見て多重性の確保やクラウド化をこぞって提案しているが、そもそもこれまで売ったハードウェアの中に含まれるデータの喪失にメーカーが復旧支援をしている様子が見えない中、新しい方策を提案されても、どこまで何をすれば安全かを保証しないメーカーに信頼を寄せられるだろうか。それは原子力発電所の産業構造と同じである。ここで言いたいのは、売った機器の性能しか保証しないメーカーは、企業活動の生命線を維持するための信頼ネットワークの中にないということである。

これからのメーカーは、自分のブランドを冠したステークホルダーの信頼ネットワークに対する責任の範囲を、積極的に明言することで多大なブランディング効果が得られる。つまり、企業の生命線となるバイタル・レコード(組織の存続に必要不可欠な財務上、法律上、事業運営上の記録や文書)の復旧や、互換機を持つ別の印刷会社への仲介、中古機器の所在の把握などが、メンテナンスも含めて、メーカーの責任範囲となる。これらの社会的責任を無償で果たすのではなく、継続的ビジネスとして行えば良い。

例えば、これを既にあるビジネスに置き換えて説明してみよう。日本警備保障(現セコム)は1962年に、日本で初めての警備会社として誕生した。この時点では海外にあって、日本にはないサービスを導入しただけで何の独自性もなく、それどころか、安全にお金を払う習慣がなかった日本では非常に営業が難しかった。しかしながら、そのニーズは国際展示場や百貨店に始まり、東京オリンピックの警備を受注したことで躍進のきっかけを得る。高度成長により人件費が高騰し、警備サービスそのものが富裕層にしか享受できないサービスになってしまったことから、1964年に遠方通報監視装置の開発を開始した。このアイデアの本質は人間が24時間張り付いて警備するサービスの一部を機械式にすることで、「サービスの質を部分的に落として(機械によって代替させて)、多くの人が利用できる価格にすること」で、安全にお金を払う習慣を広めたことにある。

元々完全に保証することは不可能な安全や安心ではあるが、ビジネスや生活の緩やかな安全保障ネットワークに加入することで、不安の一部を和らげるというのは重要な効果でもある。そもそも世の中において、完全な安全とは保障し得ないことも前提として考えるべきである。

ジャパン・クォリティーの再考

また、今回の震災を通して感じたのは、日本のあらゆるサービスは品質が高過ぎると思われることが多々あることだ。例えば、計画停電は、東電が開発した世界最高の配電システムのおかげで実施できたのであり、欧米に比べ、極端に安定した電力の供給が可能なのは価格競争がないためだと知った。また最近輸出ビジネスの対象となっている上水道のシステムは、ワールドカップサッカーをテレビ放送している途中のCMの時間に合わせて(トイレの水量が少なくならないよう)水圧を上げているという。ある会社では、震災の影響から普段日本で印刷しているパンフレットを中国に依頼したところ、品質が大きく違うことに驚いたという。

しかしながら、これらの事実は品質が高いことを顧客に常に意識させているわけでもなく、ある意味オーバークォリティーかもしれないのだ。そこで、ライフラインを質素堅実なブランドとして再定義するというのはどうだろうか。

一例を挙げるならば、保存食なのにしっとりしているパンの缶詰を開発し、自らも被災しながら東日本大震災の被災地に10万缶の提供をしている「パン・アキモト」などが好例だろう。この会社が素晴らしいのは商品だけでなく、「備蓄食品のリユースシステム」だ(図表1-2)。まず、賞味期限3年のパンの缶詰を、企業や自治体、学校などに災害時用保存食として購入してもらい、地震や豪雨被害などの災厄に遭わなければ、2年後に新しい缶詰への入れ替えの案内をし、それに応じてくれた顧客に一定額のディスカウントを実施する。それまで備蓄されていた缶詰は回収し、海外の飢餓に苦しむ地域や、災害によって大きな被害が出ている被災地へと届けるシステムである。

さらに望むべくは、無印良品のような、ある種の慎ましやかさを持ったミニマルデザインとそのクォリティーを安価に提供するというのは、世界に受け入れられやすいのではないか。いっそ国際機関との共同事業にすれば良いかとも思う。さらに政府が言うエコシティは、ハイテクノロジーの集積のようなスマートシティが想起されるが、ブラジルの環境首都クリチバのように、単に技術ではなく、アイデアと情熱で実現する安価なエコシティ計画もぜひ参考にしてほしい。

さらに、付け加えたいのは、東日本大震災・復興構想会議にも参加している「東北学」を提唱した赤坂憲雄教授の「東北のアイデンティフィケーション」を、これを機に強く発信すべきである。都の雅びと対比的に、かつての蝦夷である東北の良さ、鄙(ひな)びを形にして、東北のグローバルブランドとして、東北が世界に復興支援を求めるどころか、日本的な質素堅実な価値観に基づいた新しい社会貢献をする(BOPビジネスや免災技術、緊急医療システム、都市機能復興ノウハウ、放射能除染技術等を輸出可能なパッケージにする)ことを復興の目標とすれば、心の支えやプライドを高く持てるのではないかと思われる。実際、韓国はIMF危機以降のノウハウを他国に供与するプログラム「経済発展経験共有事業」を実施している。

國廣
作家:國廣
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