生き延びるためのメディアと信頼ネットワークの再構築

避難所となる大学やメディアそのものも被災した

震災後、初めて被災地を訪れたのは、5月に東北大学医学部で行われた科学技術コミュニケーションの研究会に参加するためで、それは10年前に開館した日本で最も先進的な図書館・メディアセンターとして名高い「せんだいメディアテーク」での講演以来のことであった。同大学の被災状況は、本江正茂准教授たちから説明を受けても、現場を見ずに理解するには困難なほど深刻であった。数字だけ言えば、まず建て替えが必要になった28棟と実験機器約7000台の損壊の被害総額だけで770億円。特に高台である青葉山にあった工学部や建築学部の高層校舎の揺れは凄まじく、コンクリートに打ちつけた本棚のワイヤーは1G近い横揺れのためちぎれ、スチール製の机もひしゃげ、研究室内には、左右に揺さぶられた鉄筋コンクリートの内部が吹き出すように散乱した。当然ながら、それらの校舎は立ち入り禁止となり、資料の持ち出しもできず、新入生を受け入れるどころか、学部生も他大学で授業を受けさせ、追って単位を与えるという非常措置を取らざるを得なくなった。何とか地震を耐えた新築の講堂やカフェテリアは、当面青葉山キャンパスの教師や学生1000名の居住空間となったのであった。

その後、長神風二准教授の先導で、津波に襲われた地域に車で近づくにつれ、テレビを通じて伝わっていた倒壊した工場やひしゃげた車、がれきの山が面前に広がり始めた。そして、運命の分かれ目であり、津波の防波堤の役割を果たした高速道路の土手を越えると、一般人立ち入り禁止区域に入った。かつての農地や住宅地が砂漠のような砂地となり、強い潮風によって黄色の砂塵が舞う荒涼とした風景が遠くに見える松林がある海岸線まで続いていた。そして、ところどころで作業をしている消防団員や警察らしき集団は遺体の捜索を続けているのであった。

医学部は市街地なので倒壊を免れたものの、長時間の電源喪失により非常用バッテリーも使えなくなり、ALS筋萎縮性側索硬化症)の患者の人工心肺を家族が手で24時間ポンプを押し続けたという。冷蔵管理が必須であった貴重なサンプルなども、もう少し非常用電源に近い場所にあればと悔やまれたことが多々あったという。また、自衛隊や緊急用のヘリコプターが到着してから、機種によっては医療機器のために必要な長時間の電源を備えていないことが分かるなど、想定外の電源喪失に脆弱な現代の医療現場の課題も垣間見られた。

今、生き延びるためのメディアが必要とされている

世界的に著名なフランスの経済・政治学者ジャック・アタリは、ルールなき市場経済が無秩序と格差をもたらしている現状に対して、「国家なき市場経済」が「世界のソマリア化」となることを危惧している。私的解釈では、界は第3次世界大戦ならぬ「第1次世界内戦」へと突入しており、局所分散型のテロ活動に加え、政治的・経済的無秩序がもたらす不幸のグローバル化を、ソマリアに例えたのだと思う。

残念ながら、その危惧はどんどん現実化し始めた。チュニジアのジャスミン革命を発端とし、エジプトでクーデターが起き、リビアへの軍事介入へと続いた。そして、今、EUのギリシャの債務問題の悪化、米国債のデフォルト危機、また中国におけるバブル経済の破綻の恐れなど、経済の国境なきリスクの現実感が増している。そうした中、東日本大震災は起こり、現在も進行中である。日本は国家債務危機だけでなく、世界が生き延びるためにどうしたら良いかを考える象徴的な場所になったのだった。

東日本大震災は日本を窮地に追い込んだものの、顕在化した課題は決して想定外ではなかった。つまり、近い将来予期された不幸が凝縮した形で押し寄せたのであって、それも始まりに過ぎないというのが厳しい現実である。しかしながら、あえてこの見たくない現実と対峙するにあたって、決して絶望する必要はないというのが、今回の提言の趣旨であり、印刷業界やメディア業界の決断と強い意志によって革新が生まれるチャンスなのだと信じている。

まず、あらゆるメディアは日本の経済規模と比例して成長をし、それが下降すると同時に収縮し始める。内需もまた人口やその構成比率から縮小せざるを得ず、一次産業だけでなく二次産業、三次産業においてもグローバル化の中でどのように業態を維持するかは、簡単には解けない難問として顕在化していた。その上、デフレが続く中で高付加価値サービスを提供するイノベイティブな土壌が今の日本にあるかと言われると、本来的に日本人にその資質が備わっていても、その資質が発揮され、形にする支援を今の教育システムや社会的環境がしているかというとそうでないと言わざるを得ない。つまり震災は東日本だけでなく、日本全体の再構築を迫っているのである。

新聞は何を報じたか、何を報じるべきか

被災した新聞社がそれでも新聞発行を続けたことは、石巻日日新聞の手書きの壁新聞で世界的にも有名になった。大規模な停電の影響で312日付朝刊の発行に甚大な被害が出たが、被災した新聞社は災害援助協定を結んでいる近隣県などの新聞社に組み版や印刷を委託したり、予備電源を使ったり、ページ数を圧縮するなどの特別発行態勢で新聞発行を継続した。

ある知り合いが新聞に関する面白い所見を披露してくれたことがある。「多くの人が毎朝新聞を読むのは、どの事件も自分とは直接関係がなかったことを確認し、安心してその日を始めるための行為だ」と。確かにそう考えると、今読む新聞や雑誌は読むに耐えられない記事が多い。なぜなら自分や家族の死活問題に関わる政治的動向に対して怒りを感じざるを得ない内容が多い上、その記事を掲載しているメディアにさえ不信感を抱いており、読んだからと言って安心が得られるどころか不安が増すばかりだ。そうかと言って、無理に安全を強調したコンテンツを提供しようとしようものなら、読者との不信の連鎖に陥り、御用新聞やら御用記者呼ばわりされてしまう始末だ。

被災地の印刷会社や関係者を取材した中で、自らも被災した笹氣印刷出版の笹氣義幸取締役が「自分たちの仕事は『事実を正確に広く伝えること』が本質なので、そのための手段や媒体が変化することに疑問は持たない」と語っていたことに、ある種の安心と希望を感じた。この言葉にはもともと日本人が持つ公共性への前向きな姿勢が感じられる。特に被災地の当初の不安は、自らに関わる事実を正確に知ることができないことにあり、3.11から数カ月以上経った今、被災地の書店で一番で売れているものは、何と東日本大震災の特集雑誌なのである。つまり、ようやく自らの体験を冷静に認識し、俯瞰することができる状況になったということなのである。

安心と安全を安価に提供する方法(バイタルレコード管理)

では具体論に入ろう。我々はいまだ福島第一原発に関する情報を正確に得られていないと感じざるを得ない。また被災地の細かな復興状況の進捗やニーズについても同様に不明である。それは状況が複雑であると同時にそれらを俯瞰する術を得ていないからである。

公共交通機関やインフラの復旧状況はおおよそ見えてきたかもしれない。例えば、公共機関や大学の物理的損壊は数字で発表されている。それはパソコンやサーバー、高額な実験機器や建物が壊れた金額であって、例えば貴重な医療用のサンプルやハードディスクの中にあったデータの価値は含まれていないだろう。そもそも印刷会社には、大量のパソコンやサーバーがありながら、水没したハードディスクを救済する技術的方法があることを知っている人が何人いただろうか。ハードディスクも早期に適切な処置をすればデータの回復は可能なのである(図表1-1)。

全国ブランドのメーカーは、機を見て多重性の確保やクラウド化をこぞって提案しているが、そもそもこれまで売ったハードウェアの中に含まれるデータの喪失にメーカーが復旧支援をしている様子が見えない中、新しい方策を提案されても、どこまで何をすれば安全かを保証しないメーカーに信頼を寄せられるだろうか。それは原子力発電所の産業構造と同じである。ここで言いたいのは、売った機器の性能しか保証しないメーカーは、企業活動の生命線を維持するための信頼ネットワークの中にないということである。

これからのメーカーは、自分のブランドを冠したステークホルダーの信頼ネットワークに対する責任の範囲を、積極的に明言することで多大なブランディング効果が得られる。つまり、企業の生命線となるバイタル・レコード(組織の存続に必要不可欠な財務上、法律上、事業運営上の記録や文書)の復旧や、互換機を持つ別の印刷会社への仲介、中古機器の所在の把握などが、メンテナンスも含めて、メーカーの責任範囲となる。これらの社会的責任を無償で果たすのではなく、継続的ビジネスとして行えば良い。

例えば、これを既にあるビジネスに置き換えて説明してみよう。日本警備保障(現セコム)は1962年に、日本で初めての警備会社として誕生した。この時点では海外にあって、日本にはないサービスを導入しただけで何の独自性もなく、それどころか、安全にお金を払う習慣がなかった日本では非常に営業が難しかった。しかしながら、そのニーズは国際展示場や百貨店に始まり、東京オリンピックの警備を受注したことで躍進のきっかけを得る。高度成長により人件費が高騰し、警備サービスそのものが富裕層にしか享受できないサービスになってしまったことから、1964年に遠方通報監視装置の開発を開始した。このアイデアの本質は人間が24時間張り付いて警備するサービスの一部を機械式にすることで、「サービスの質を部分的に落として(機械によって代替させて)、多くの人が利用できる価格にすること」で、安全にお金を払う習慣を広めたことにある。

元々完全に保証することは不可能な安全や安心ではあるが、ビジネスや生活の緩やかな安全保障ネットワークに加入することで、不安の一部を和らげるというのは重要な効果でもある。そもそも世の中において、完全な安全とは保障し得ないことも前提として考えるべきである。
國廣
作家:國廣
生き延びるためのメディアと信頼ネットワークの再構築
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