生きる意味は有るのか? 3

生きる意味は有るのか? 3( 2 / 6 )

 

                                                                  今般のコロナ危機にもよって、

改めても暴かれた、旧来の伝統宗教の、

不甲斐ないばかりの無力さなどの、

まさにその最たるもので、

かつての 14 世紀半ばにヨーロッパを襲った、ペスト禍や、

1918~1920 年に亘(わた)り全世界をも襲った、

いわゆるスペイン風邪などの、

まさしく二の舞、三の舞い宜(よろ)しく、

弥(いや)が上にも自ずからに、宗教の威信を失墜させ、

篤信者すらの愛想尽かせては、絶縁をも思い切らせ、

金輪際とばかりに信仰を絶つ者の、

それこそ数知れないほどですらあったのですから。

 

それが、今般またしても、

コロナ危機で繰り返されているというわけなのです!

『 神にも縋(すが)る一心 』 で、

あつまり集(つど)う祈りの場で、

事もあろうに集団感染した挙句、

教会・神社・仏閣での、集会さえが、

已(や)む無く禁じられずにも、

措(お)かれなかったほどなのですから・・・

 

 

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              伝統宗教の功罪

                                                                   いわゆる理非曲直の儘(まま)ならない古来の、

特にも実証科学の黎明(れいめい)以前には、

曲がりなりにも宗教の果たした役割こその、

それこそ唯一無二とばかりにも、

大いに高くも評価されて然(しか)るべきでありましょう。

 

しかし、16 世紀に始まる、

実証科学の黎明以降は、

むしろそれまでの功績こそが仇(あだ)ともなり、

科学の進歩発展を妨(さまた)げるばかりか、

時代の流れの要請にもより、

本来あるべく現わされて然るべき、

事実・真実・真理すらをも覆い隠し続け、

旧来の無知蒙昧の所産にもすぎない、

誤った教えこそに固執しては、

明智への人類的覚醒を、今なお相も変わらず、

阻(はば)み続けてさえいる、

そんな断じても有ってはならない、

実に由々しいばかりの有様なのです!

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                時代の選別

                                                                  科学の黎明以前には、

いわゆる 『 預言者 』 こそが、

文字通りにも、『 神よりの御言葉を預かる者 』 として、

時代の要請に適(かな)うべく、

その役割を担っていました。

 

しかし、その実態たるや、

『 預言 』 の当たるも外れるも、

要は、偏(ひとえ)にその時々任せで

見事正しくも当たれば、真の預言者と見做(みな)され、

その名を久しくも歴史に留められ、

逆に、生憎(あいにく)外れもすれば、

立ち所に偽(にせ)の預言者とばかりに、

歴史からその名を消し去られた、

所詮は一事が万事、結果次第の後付けによる、

成否・真偽の選別でしかない、

そんな 『 予言 』 などとは似ても似つかぬ、

況(ま)してや、神直々(じきじき)などでは、

断じてもけっして有り得ない、

唯そればかりのものにも過ぎなかったのです。

 

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               時代の明証

                                                                  それが何よりの証拠には、

『 神よりの教え 』 ともされた、その教義が、

あろう事か、過(あやま)ちや誤りばかりにも、

満ち溢(あふ)れてさえいるではありませんか!?

 

そんな紛れもない事実からも顕(あきら)かなように、

『 預言者 』 としての務めにして役割りこそは、

『 実証科学の黎明 』 を俟(ま)って、

その歴史的な任務・使命を、自ずからにも、

終えるべくして終えることともなったのです。

 

それこそは、自ずからに時代が招いた、

人類における進化の一端であり、

『 文化・文明 』 にしての、

いわば 『 認識の革命 』 ともされようものなのです。

 

自ずからなる、いわゆる 『 時代の彫琢(ちょうたく)』 は、

それこそ神意に基づく図らいの如く、

『 要不要 』 を糺(ただ)し、『 真偽 』 を裁き、

『 優劣 』 を明かし、『 過誤 』 を改め、

本来以ってあるべく、『 真実・真理 』 を、

それらのあるがままにも、刻々と弛(たゆ)むことなく、

いずれは究極のその全(まった)き果てまで、

極め仕上げられるが如くにも、

顕(あら)わし続けられずにも措かれないのですから!

shinrikyusai
作家:主代 宗元
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