生きる意味は有るのか? 3

生きる意味は有るのか? 3( 4 / 6 )

 

                時代の選別

                                                                  科学の黎明以前には、

いわゆる 『 預言者 』 こそが、

文字通りにも、『 神よりの御言葉を預かる者 』 として、

時代の要請に適(かな)うべく、

その役割を担っていました。

 

しかし、その実態たるや、

『 預言 』 の当たるも外れるも、

要は、偏(ひとえ)にその時々任せで

見事正しくも当たれば、真の預言者と見做(みな)され、

その名を久しくも歴史に留められ、

逆に、生憎(あいにく)外れもすれば、

立ち所に偽(にせ)の預言者とばかりに、

歴史からその名を消し去られた、

所詮は一事が万事、結果次第の後付けによる、

成否・真偽の選別でしかない、

そんな 『 予言 』 などとは似ても似つかぬ、

況(ま)してや、神直々(じきじき)などでは、

断じてもけっして有り得ない、

唯そればかりのものにも過ぎなかったのです。

 

生きる意味は有るのか? 3( 5 / 6 )

 

               時代の明証

                                                                  それが何よりの証拠には、

『 神よりの教え 』 ともされた、その教義が、

あろう事か、過(あやま)ちや誤りばかりにも、

満ち溢(あふ)れてさえいるではありませんか!?

 

そんな紛れもない事実からも顕(あきら)かなように、

『 預言者 』 としての務めにして役割りこそは、

『 実証科学の黎明 』 を俟(ま)って、

その歴史的な任務・使命を、自ずからにも、

終えるべくして終えることともなったのです。

 

それこそは、自ずからに時代が招いた、

人類における進化の一端であり、

『 文化・文明 』 にしての、

いわば 『 認識の革命 』 ともされようものなのです。

 

自ずからなる、いわゆる 『 時代の彫琢(ちょうたく)』 は、

それこそ神意に基づく図らいの如く、

『 要不要 』 を糺(ただ)し、『 真偽 』 を裁き、

『 優劣 』 を明かし、『 過誤 』 を改め、

本来以ってあるべく、『 真実・真理 』 を、

それらのあるがままにも、刻々と弛(たゆ)むことなく、

いずれは究極のその全(まった)き果てまで、

極め仕上げられるが如くにも、

顕(あら)わし続けられずにも措かれないのですから!

生きる意味は有るのか? 3( 6 / 6 )

 

               自業自得の報い

                                                                   果たして、それにもかかわらず、

そうした 『 時代の顕現 』 にさえ気付かされず、

『 心地好い夢 』 さながらの、『 惰眠(だみん)』 などに、

長々と微睡(まどろ)み耽(ふけ)るばかりでは、

文字通りにも 『 現(うつつ)を抜かす 』 その罪の、

積もりに積もった報いこそに、いずれ不意にも必ずや、

それこそ手酷(てひど)く見舞われる、

そんなこんなの悪しくも由々しき前例こその、

一度(ひとたび)歴史を顧(かえり)みれば、

消しも消されぬ数多(あまた)の史実に、

何より顕(あきら)かではありませんか!?

 

さても、今般のコロナ危機の、

はたして、一体何がゆえの、

『 自業自得の報い 』 でもありましょうか・・・

 

たとえこのまま終息しようと、

努々(ゆめゆめ)唯の一顧だに、

漸(ようよ)う片付け済まされようことなどでは、

断じてもけっしてないのですから!

shinrikyusai
作家:主代 宗元
生きる意味は有るのか? 3
0
  • 0円
  • ダウンロード

4 / 6