AI依存症
誰しも、情報過多の時代において、自分の心をじっと見つめる時間を作り出せるのだろうか?
小説を読むことにおいても、書くことにおいても、小説は読者もしくは作者に漠然とした問題を投げかけてきます。問題を受け取った我々は、少なからず思考し、悩みます。その悩みが、大きく膨らむ人もいれば、即座に消え去っていく人もいるでしょう。
小説は娯楽ですから、読み終わって、書き終わって、自己満足すればそれでいいのですが、それでも、小説は、読者や作者の心の底に不可思議なわだかまりを残していきます。
読者は、架空の世界を体験し、一方、作者は架空の世界を創造します。架空の世界ですから、そこで悩んだとしても、別に、現実の世界で困るわけではありません。
でも、この架空の世界は、人間について悩むことを誘導します。言い換えれば、”自分について、もっと、もっと、悩みなさい”と訴えてくるのです。この点は、最も、小説の特徴的なことではないでしょうか?
人間については、医学、生物学、物理学、心理学、経済学、など自然科学、人文科学を通して考察されていますが、やはり、人の心については、科学と対峙する小説が、もっとも、突き詰めて考察しているのではないでしょうか?
今後、ますます科学が発展し、人間の知能を凌駕するAIが、社会を構築し、人間を操作するようになれば、人は、自分のことについて、悩まなくてもいいようになるのでしょうか?
近い将来、おそらく、AIは、いかなる問題にも回答を出せるようになるでしょう。かなり具体的で難解な心の問題についても、きっと、模範解答を出すことでしょう。
そうなれば、人は、自分の心について、悩まなくてもいいことになります。仮に、そうなってしまえば、心の問題をテーマとしてきた小説は、この世から自然消滅してしまうのでしょうか?