いずれ、人がAIに依存し、生きていく時代はやってくるでしょう。でも、人がAIになるということはありません。つまり、人間の脳細胞は、永遠に悩みを作り出すのです。
悩みが永遠に存在するならば、人は、悩み、苦しみ、自分について考察し続けるでしょう。また、小説も存在する可能性があります。
人は、悩むことを喜びません。むしろ、この世からすべての悩みが、消え去ることを望みます。でも、悩まなくなるということは、もはや、人間ではなくなるということなのです。
人は、悩みに耐えかねると自殺する場合があります。でも、悩みは、科学を生み出し、創造の原動力になってきたのです。また、悩みがあるからこそ、小説は人間に必要とされ続けてきたのです。
今、私は、小説を書き続けています。それはなぜか?読者のために娯楽を提供しようと思う気持ちがあるからでしょうか?確かに、それもあるでしょう。それ以上にあるのは、心の底からこんこんと湧き出す悩みがあるからだと思います。
小説を書けば書くほど、悩みは、さらに湧き出てきます。悩みがあるということは、生きている証であるということであり、自分を考察し続けているという証でもあるのです。
地獄の時間
誰しも知っていることですが、人は必ず死にます。つまり、いかなる細胞も、時間的制約を受けています。だから、人は、与えられた時間はわからぬとも、時間的制約を受けているがゆえに、その時間内に必死に何らかの活動をやって生きていきます。
小説を書くということも、小説を読むということも、与えられた時間内の各自の自由行為です。自分の行為を中心に考えれば、ある行為をやることによって、時間を消費しているように感じますが、時間を中心に考えれば、与えられた時間があるから、何らかの行為ができることになります。
細胞は、時間に制約されていると言いましたが、時間は人間が作り出した記号でしかありません。その時間という記号は、過去と未来を表すことができます。もし、時間という記号がなければ、人は、今という現在にしか生きることができず、死というものも考えることができなくなります。