「とにかく体を横にして」
言われるままに僕はベッドの上に横になった。しかし、それから苦しみが急激に増していく。どうも仰向けになるのが良くないのかもしれない。僕は息苦しさと死の恐怖と闘っていた。その様子を見た保健室の中年女性が慌ててしまったようで、その不安も僕に伝染し、さらに拡大していった。
結局、救急車を呼ぶことになった。救急車が到着し、僕は近くの病院へ運ばれた。学校関係者の中年男性が付き添っていた。
僕は病院のベッドの上で、試験を受け続けることになった。しゃっくりの様な間隔で襲ってくる発作に耐えながら、残りの英語と歴史の試験を終えた。学校関係者の男性は僕の様子に苛立っているようだった。連絡を受けた両親が病院へ駆けつけてきた。仕事中に呼び出された父親は「今度こういうことがあったら、もう来ないからな」と怒りを隠さなかった。
僕は両親とともに病院を出て、電車で向かった。しかし、その途中、また強烈な発作に襲われてしまう。駅員が読んでくれたのだろう。また救急車である。自分でもあきれる気持ちがあった。しかし、それよりも苦しみと恐怖感に固く支配されていた。
今度の病院では薬を飲んだ。いったん僕の意識はなくなった。つかの間の休息だったに違いない。少し落ち着いてから病院を出た。僕は犯罪者のような気持ちで自宅へ到着するのをじっと待った。
そこまでの思いをしながらも、僕は大学受験を続行した。特に勉強したわけではない。合格は出来ないだろう。しかし何故か、受験に参加する道を選んだのだ。義務感のようなものだろうか。道から外れるのが怖かったのか?
過呼吸症には紙袋を吸って吐くのがよいと言われていたので、受験の時には持参していたが、他人の目も気になり、使用することはなかった。満員電車をイメージすると、死ぬのではないかという恐怖感が沸き上がってきたが、何とか乗り越えた。