僕とパニック障害の20年戦争プラス

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なぜ自分が( 1 / 3 )

なぜ自分が①

僕の記憶が正しければ、過呼吸発作を起こしてから2日後の2月4日だったと思う。その日は初めての大学受験が控えていた。心に迷いはなかった。「とりあえず受験しよう。行けるところまで行こう」

僕の自宅は埼玉県の東部。その大学は千葉にあり、片道2時間半はかかる。実は3日前の2月1日にこの大学を下見している。とにかく遠い印象と坂道がきつかったことを覚えている。最近は体育の授業などもなく、思った以上に疲れを感じた。この夜に発作が起きているのだから、もしかしたら、往復5時間をかけた下見が、発作と何らかの関わりを持っていたのかもしれない。僕にとっては因縁の場所だった。
大きな不安を持ちながら電車に乗った。勿論、今まで電車では感じたことのない苦しみがあった。それでも何とか大学へたどり着くことは出来た。

1科目目は国語。思った以上に平常心で問題に取り組めていた。しかし、突如、過呼吸発作が襲ってきた。僕は苦しみと恐怖に耐えきれなくなり、体調不良を訴え、医務室に付き添われながら向かった。
医務室までは自力で歩いていった。看護師かどうかわからないが、保健室には中年女性が待機していた。

なぜ自分が( 2 / 3 )

なぜ自分が②

「とにかく体を横にして」
言われるままに僕はベッドの上に横になった。しかし、それから苦しみが急激に増していく。どうも仰向けになるのが良くないのかもしれない。僕は息苦しさと死の恐怖と闘っていた。その様子を見た保健室の中年女性が慌ててしまったようで、その不安も僕に伝染し、さらに拡大していった。

結局、救急車を呼ぶことになった。救急車が到着し、僕は近くの病院へ運ばれた。学校関係者の中年男性が付き添っていた。
僕は病院のベッドの上で、試験を受け続けることになった。しゃっくりの様な間隔で襲ってくる発作に耐えながら、残りの英語と歴史の試験を終えた。学校関係者の男性は僕の様子に苛立っているようだった。連絡を受けた両親が病院へ駆けつけてきた。仕事中に呼び出された父親は「今度こういうことがあったら、もう来ないからな」と怒りを隠さなかった。

僕は両親とともに病院を出て、電車で向かった。しかし、その途中、また強烈な発作に襲われてしまう。駅員が読んでくれたのだろう。また救急車である。自分でもあきれる気持ちがあった。しかし、それよりも苦しみと恐怖感に固く支配されていた。
今度の病院では薬を飲んだ。いったん僕の意識はなくなった。つかの間の休息だったに違いない。少し落ち着いてから病院を出た。僕は犯罪者のような気持ちで自宅へ到着するのをじっと待った。

そこまでの思いをしながらも、僕は大学受験を続行した。特に勉強したわけではない。合格は出来ないだろう。しかし何故か、受験に参加する道を選んだのだ。義務感のようなものだろうか。道から外れるのが怖かったのか?
過呼吸症には紙袋を吸って吐くのがよいと言われていたので、受験の時には持参していたが、他人の目も気になり、使用することはなかった。満員電車をイメージすると、死ぬのではないかという恐怖感が沸き上がってきたが、何とか乗り越えた。

なぜ自分が( 3 / 3 )

なぜ自分が③

何校受けたかは覚えていないが、予想通り、受験は全敗。浪人となることが決まった。
それにしても、そもそも何故、発作は僕を襲ったのだろう。まず思い当たるのが受験である。ところが僕は六に受験勉強をしていなかった。少しかじったのは最後の2か月ほど。実はそれ以前に酷似した症状が1度だけ出たことがある。ということは、原因が受験である可能性は極めて少ない。あるとしても、いくつかの原因のうちのほんの一つに過ぎないだろう。

その頃の僕を悩ませていたのが、当時、つまり高校3年の時の担任教師だ。今では考えられないかもしれないが、黒板に生徒を押し付け殴る、蹴る。僕は直接、殴られたことはないが、そういった光景を毎日のように見せられるのは本当に不愉快だった。また、高校は自転車で通っていたのだが、遅刻に異常なまでに厳しい教師だったため、自転車が故障した日、家族の自転車を借りて通学した。しかし、この担任教師がそのことを見逃すはずはなく、ステッカーがついていないという理由で、自転車は何日も鎖でつながれる羽目となった。
早くこの教師から解放されたい。3年生は学校に登校するのは1月いっぱいで、2月以降はたまに顔を見せに行く程度である。過呼吸発作を起こしたのが2月1日の夜だったことを思えば、肩の荷が下りたところに疲れがどっと出た可能性もある。
この教師は当時30歳ぐらいだったので、まだ当然、現役のはずである。体罰にうるさくなった今、どのようにして教師生活を送っているのだろう。変わったのか。変わらないのか。全く想像がつかない。
そのほかにも考える理由はあるだろうが、確信はない。卒業式で倒れかけながらも、僕はどうにか高校を卒業することができた。
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kumabe
作家:空乃彼方
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