対馬の闇Ⅴ

 

 大野巡査は、警察を疑いたくはなかったが、アルファードで神戸まで行くことに、疑問を持っていた。署長の指示ならば、署長のレクサスで行けばいい。あえて、アルファードで行かせるということは、ミニバンでないと運べない何か大きなものを運ぶということか。警察が運ばなければならない大きなものとは、いったい、どんなものか?大野巡査には、全く、見当がつかなかった。大野巡査の頭は、混乱していたが、それ以上に、コロナ感染のほうが不安だった。大阪での感染者を考えると関西方面にはいきたくなかった。よりによって、こんな時に神戸に行かなければならない自分がみじめに思えた。

 

 大野巡査は、コロナの不安を口にした。「話は、変わりますが、今、コロナ感染で大騒ぎじゃないですか?対馬に感染者が出なければいいんですが、心配ですよね」ひろ子もコロナ感染を心配していた。というのは、対馬には、多くの韓国観光客がやってきていたからだ。韓国の宗教団体の信者に多くの感染者いることが、ニュースで取り上げられていた。「そうよね。50キロ程離れた韓国では、感染者が急増してるというし。ほら、対馬には、多くの韓国人観光客がやってきてるじゃない。対馬から感染者が出るのは、時間の問題かも。早く、対馬から、逃げ出さなくっちゃ」

 

 逃げ出すと聞いた大野巡査は、その意味を尋ねた。「逃げ出すって、どこにですか?」ひろ子は、来月、福岡に帰ることを話すことにした。「いや、逃げ出すってわけじゃないけど、福岡に帰るのよ。結婚の準備とかで、いろいろとやることがあってね」大野巡査は、うなずき返事した。「そうでしたか。それじゃ、結婚式は、福岡で?」ひろ子は、笑顔でうなずき返事した。「そうね。今のところ、福岡でやる予定。でも、今年の結婚は、無理ね。式は、来年になると思うわ。コロナで騒いでる時に、披露宴は、できないでしょ。来年、コロナが終息することを祈っているけど」大野巡査は、納得した顔で返事した。「それじゃ、披露宴に呼んでください。ひろ子さんのウエディング姿、美しいだろうな~~」

 

 

 

 ひろ子が、返事しよとした時、ノックの音がした。「ちょっといい。差し入れ」ひろ子が、どうぞ、と返事するとさゆりがドアから顔を出した。トレイの上には、イチゴが入った器があった。「イチゴ、食べない」さゆりは、ひろ子の右横に腰掛け、イチゴの器をテーブルに置いた。イチゴを小皿に取り分けると二人の前に差し出した。大野巡査は、大きな歓声を上げた。「めっちゃ、うまそう。イチゴ、大好きなんです。いただきま~~す」大野巡査は、子供のようにパクついた。さゆりが、コロナの騒ぎを口にした。「コロナって、怖い。感染したら、肺炎になるのよね」ひろ子がマジな顔つきになり、返事した。「確かに、感染すると入院しなくちゃならないけど、重症になるとは限らないのよ。高齢者とか、基礎疾患がある人は、危険だけど」

 

 さゆりが、悲壮な顔で話し始めた。「万が一、対馬で、感染が拡大したら、どうしよう。主人、糖尿病だし。母は、高血圧だし。どうか、対馬にコロナがやってきませんように。神様、お願いします」さゆりは、手を組んで、神に祈りを捧げた。大野巡査が、おびえるさゆりにひろ子の帰福の話をした。「ひろ子さんは、早速、対馬から逃亡されるそうなんです。いいよな~~、逃げるところがある人は」さゆりは、目を丸くして尋ねた。「え、どういうこと。福岡に帰るってこと。そうか、もう一年が過ぎたのか。あっという間の一年だった。ひろ子がいなくなると、さみしくなるな~~。たまには、対馬に遊びに来てよ。いつでも、歓迎だから」

 

 ちょっと気まずそうな顔でひろ子が返事した。「確かに、一年がすぎたんだけど、サワちゃんと伊達さんは、もう一年、ここで仕事なの。でも、ナオ子さんのことを考えて、帰福することにしたのよ。それに、いろいろと結婚式の準備もあるし。でも、まだ、やり残してることもあるから、時々、対馬には来るわ」さゆりは、コロナ感染のことを心配して、挙式のことを尋ねた。「挙式は、いつするの?今年は、ヤバいんじゃない」ひろ子は、うなずき返事した。「そうなの。だから、おそらく、来年になると思う」さゆりは、大きくうなずき返事した。「それがいい。今年は、ダメ。全国的に、ますます、感染拡大してるし。そう、うちも、キャンセルが続いてるのよ。韓国人観光客が、来なくなったでしょ、ホテルも、民宿も、飲み屋も、商売は、上がったりよ」

 

 

 

 コロナ感染による経済的被害は、対馬でも起きている。おそらく、今年一年で、観光、レジャー、外食関連の多くの中小企業が倒産し、失業者が増大するように思えた。この経済的被害は、世界中で起きている。特に、中国、韓国、イタリア、スペイン、アメリカでは、甚大な被害が出ている。万が一、コロナ感染が、一年で収束しなければ、世界大恐慌になってしまう。経済混乱が続けば、結婚披露宴どころでは、なくなってしまう。ひろ子は、来年の挙式が不安になってきた。大野巡査が、顔面蒼白になっているひろ子に声をかけた。「話は変わりますが、出口巡査長は、自殺だと思います。ひろ子さんは、帰福されることだし、捜査は、もう、打ち切ってもいいんじゃないですか?やるだけのことは、やったし」

 

 さゆりも同意して、うなずいた。「そうね。これだけ、聞き込みをして、手掛かりがないということは、やっぱ、自殺ね。ほら、悩みがあったって、瑞恵さんが言ってたじゃない。悩んだ挙句、自殺したのよ」ひろ子も、最近では、自殺に思えてきた。ヤクザに口封じされたと思っていたが、何の手掛かりもなければ、単なる妄想でしかなくなる。麻薬の運び屋をやったことで、自責の念に駆られて、自殺したのか?ひろ子は、納得がいかなかったが、もはや、事件の解決は、無理なように思えた。ひろ子は、大野巡査に尋ねるようにつぶやいた。「自殺ね~~。どんな、悩みがあったのかな~~。自殺するほどの悩みって、考えつかないんだけど」

 

 大野巡査が、即座に返事した。「自殺するほどの悩みといえば、一つじゃないですか」ひろ子は、全く思いつかなかった。「え、男子には、自殺するほどの悩みがあるの?まったく、見当がつかないんだけど。さゆり、わかる?」さゆりも全く見当がつかなかった。「大野君、自殺するほどの悩みって、何よ。言いなさいよ」大野巡査は、大きくうなずき返事した。「それはですね~~。失恋です。それ以外、考えられません」さゆりは、眉間にしわを寄せて返事した。「え~~、失恋。出口君が、失恋で、自殺。それはないわよ。野球小僧が、失恋で自殺。それは、ない、ない」ひろ子も、大きくうなずいた。「出口君が、失恋で自殺。それは、ない。そんな、やわじゃないわよ。警察官に、命を懸けるって、言ってたほどなんだから。それはないわよ」

 

 

 

 失恋自殺説を否定された大野巡査は、マジになって話し始めた。「女性には、男性の繊細な心がわからないんです。出口先輩は、クリスチャンで、人一倍、傷つきやすいタイプだったんです。同じ、男性として、僕には、わかるんです」バカにされたと思ったさゆりが、即座に、問い詰めた。「それじゃ、失恋の相手は、だれよ。言いなさいよ。手掛かりがつかめなかったから、失恋自殺に持って行ってるんでしょ」ひろ子もうなずいた。「失恋相手を知ってるなら、言いなさいよ。いえないでしょ」大野巡査は、一瞬ためらったが、根も葉もない話といわれては、後には引けなかった。ひろ子の顔を見つめて、話し始めた。「本当に、相手を言っていいんですね。言わなくても、わかると思うんだけど」

 

 さゆりは、首をかしげた。「え、私たちが知ってる人。高校の時、出口は、女子には興味ないって言ってたのよ。不愛想だし、女子に声もかけなかったし。あいつ、野球バカなのよ。いったい誰よ」さゆりは、ひろ子ではないかと思ったが、結婚を控えているひろ子の前で、相手はひろ子、とは言えなかった。大野巡査は、ひろ子をじっと見つめた。そのまなざしにさゆりは、ハッとした。その瞬間、大野巡査が言葉を発した。「その相手というのは、ひろ子さんです」目が点になったひろ子は、完全に固まってしまった。さゆりも唖然としてしまった。確かに、出口はひろ子とは幼馴染だったが、片想いの相手ではないと思っていた。

 

 気絶しそうなひろ子に代わってさゆりが、話し始めた。「それは、思い過ごしじゃない。確かに、幼馴染で、仲は良かったけど、恋愛対象じゃないと思うんだけど。ね~~、ひろ子」ひろ子は、意識を取り戻した時のような表情で返事した。「そうよ。出口は、単なるダチよ。恋愛感情は、ないわよ。大野君は、勘違いしてる。いやになっちゃう」大野巡査は、自分の直感に間違いないと確信していた。「そうでしょうか?僕は、きっと、ひろ子さんを好きだったと思う。男子って、好きな相手を口にしません。でも、僕には、わかったんです。間違いありません」ひろ子は、断定されて、むきになった。「要は、私が、悪いって言いたいの。いい、私は、出口を避けたこともないし、嫌い、ってことも言ったこともない。ブサイクとは言ったことはあったけど、それは、冗談じゃない。そもそも、恋愛感情なんて、二人には、なかったんだから」

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
対馬の闇Ⅴ
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