対馬の闇Ⅴ

 ひろ子は、うなずき話し始めた。「署長が用意した車で行くということは、今回の出張は、署長の指示ということね。署長は、アルファードで何を運ばせようとしているのか?そこよね」大野巡査は、首をかしげ尋ねた。「ひろ子さん、何を根拠に、何かを運ぶといえるんですか?」ひろ子は、あきれた顔で返事した。「それじゃ、二人の警官が、バカでかいアルファードに乗って、神戸まで何しに行くというの?誰かに、何かを、届けるために、神戸に行くと考えたほうが、自然じゃない」大野巡査は、改めて、神戸に行く目的を考えてみた。警部補が、誰かに会うことは確か。その目的は何か?兵庫県警の誰かに会うとして、直接会って、話さなければならないほど重要な要件とは何か?それとも、ひろ子さんが言うように、何かを届けるのか?何かを届けると考えた場合、いったい、何を届けるのか?

 

 ひろ子は、考え込んでしまった大野巡査に声をかけた。「なに、深刻な顔で考え込んでるのよ。とにかく、アルファードで行くんだから、何かを運ぶことは確かよ。いったい、何を、誰に、届けようとしているのか?そこを探るのが、大野君の役目。頼むわよ」大野巡査は、重責を負わされ、困り果てた顔つきになった。「そう、言われても、僕は、単なる運転手ですから。警部補が、何を運ぶかを話すでしょうか?困ったな~」ひろ子は、これでも警察官だろうかと嫌味を言った。「もしもよ、極秘のものを運ぶのであれば、だれにも話すはずがないじゃない。だから、大野君が、コナンになって、探るんじゃない。しっかりしてちょうだい。大野君が、頼りなんだから」

 

 大野巡査は、ひろ子が疫病神に思えてきた。確かに、出口巡査長の事故死の捜査を続けたかったが、署長、警部補たちを疑いたくはなかった。これだけ聞き込みをしても、何一つ手掛かりがない。やはり、何かに悩んだ末、出口巡査長は自殺したのではないかという思いが強くなっていた。ひろ子は、自分たち、警察官を疑っている。この点は、どうも、納得がいかなかった。「頼まれれば、やりますが、ひろ子さんは、警察を疑っているんですか?僕も警察官の端くれです。心外だな~~」ひろ子は、ちょっと気まずくなった。警察を疑うということは、大野巡査も疑うことになる。弁解するように返事した。「疑っているというんじゃなくて、興味があるのよ。大野巡査だって、興味あるでしょ。アルファードで行くのよ」

 

 

 大野巡査は、警察を疑いたくはなかったが、アルファードで神戸まで行くことに、疑問を持っていた。署長の指示ならば、署長のレクサスで行けばいい。あえて、アルファードで行かせるということは、ミニバンでないと運べない何か大きなものを運ぶということか。警察が運ばなければならない大きなものとは、いったい、どんなものか?大野巡査には、全く、見当がつかなかった。大野巡査の頭は、混乱していたが、それ以上に、コロナ感染のほうが不安だった。大阪での感染者を考えると関西方面にはいきたくなかった。よりによって、こんな時に神戸に行かなければならない自分がみじめに思えた。

 

 大野巡査は、コロナの不安を口にした。「話は、変わりますが、今、コロナ感染で大騒ぎじゃないですか?対馬に感染者が出なければいいんですが、心配ですよね」ひろ子もコロナ感染を心配していた。というのは、対馬には、多くの韓国観光客がやってきていたからだ。韓国の宗教団体の信者に多くの感染者いることが、ニュースで取り上げられていた。「そうよね。50キロ程離れた韓国では、感染者が急増してるというし。ほら、対馬には、多くの韓国人観光客がやってきてるじゃない。対馬から感染者が出るのは、時間の問題かも。早く、対馬から、逃げ出さなくっちゃ」

 

 逃げ出すと聞いた大野巡査は、その意味を尋ねた。「逃げ出すって、どこにですか?」ひろ子は、来月、福岡に帰ることを話すことにした。「いや、逃げ出すってわけじゃないけど、福岡に帰るのよ。結婚の準備とかで、いろいろとやることがあってね」大野巡査は、うなずき返事した。「そうでしたか。それじゃ、結婚式は、福岡で?」ひろ子は、笑顔でうなずき返事した。「そうね。今のところ、福岡でやる予定。でも、今年の結婚は、無理ね。式は、来年になると思うわ。コロナで騒いでる時に、披露宴は、できないでしょ。来年、コロナが終息することを祈っているけど」大野巡査は、納得した顔で返事した。「それじゃ、披露宴に呼んでください。ひろ子さんのウエディング姿、美しいだろうな~~」

 

 

 

 ひろ子が、返事しよとした時、ノックの音がした。「ちょっといい。差し入れ」ひろ子が、どうぞ、と返事するとさゆりがドアから顔を出した。トレイの上には、イチゴが入った器があった。「イチゴ、食べない」さゆりは、ひろ子の右横に腰掛け、イチゴの器をテーブルに置いた。イチゴを小皿に取り分けると二人の前に差し出した。大野巡査は、大きな歓声を上げた。「めっちゃ、うまそう。イチゴ、大好きなんです。いただきま~~す」大野巡査は、子供のようにパクついた。さゆりが、コロナの騒ぎを口にした。「コロナって、怖い。感染したら、肺炎になるのよね」ひろ子がマジな顔つきになり、返事した。「確かに、感染すると入院しなくちゃならないけど、重症になるとは限らないのよ。高齢者とか、基礎疾患がある人は、危険だけど」

 

 さゆりが、悲壮な顔で話し始めた。「万が一、対馬で、感染が拡大したら、どうしよう。主人、糖尿病だし。母は、高血圧だし。どうか、対馬にコロナがやってきませんように。神様、お願いします」さゆりは、手を組んで、神に祈りを捧げた。大野巡査が、おびえるさゆりにひろ子の帰福の話をした。「ひろ子さんは、早速、対馬から逃亡されるそうなんです。いいよな~~、逃げるところがある人は」さゆりは、目を丸くして尋ねた。「え、どういうこと。福岡に帰るってこと。そうか、もう一年が過ぎたのか。あっという間の一年だった。ひろ子がいなくなると、さみしくなるな~~。たまには、対馬に遊びに来てよ。いつでも、歓迎だから」

 

 ちょっと気まずそうな顔でひろ子が返事した。「確かに、一年がすぎたんだけど、サワちゃんと伊達さんは、もう一年、ここで仕事なの。でも、ナオ子さんのことを考えて、帰福することにしたのよ。それに、いろいろと結婚式の準備もあるし。でも、まだ、やり残してることもあるから、時々、対馬には来るわ」さゆりは、コロナ感染のことを心配して、挙式のことを尋ねた。「挙式は、いつするの?今年は、ヤバいんじゃない」ひろ子は、うなずき返事した。「そうなの。だから、おそらく、来年になると思う」さゆりは、大きくうなずき返事した。「それがいい。今年は、ダメ。全国的に、ますます、感染拡大してるし。そう、うちも、キャンセルが続いてるのよ。韓国人観光客が、来なくなったでしょ、ホテルも、民宿も、飲み屋も、商売は、上がったりよ」

 

 

 

 コロナ感染による経済的被害は、対馬でも起きている。おそらく、今年一年で、観光、レジャー、外食関連の多くの中小企業が倒産し、失業者が増大するように思えた。この経済的被害は、世界中で起きている。特に、中国、韓国、イタリア、スペイン、アメリカでは、甚大な被害が出ている。万が一、コロナ感染が、一年で収束しなければ、世界大恐慌になってしまう。経済混乱が続けば、結婚披露宴どころでは、なくなってしまう。ひろ子は、来年の挙式が不安になってきた。大野巡査が、顔面蒼白になっているひろ子に声をかけた。「話は変わりますが、出口巡査長は、自殺だと思います。ひろ子さんは、帰福されることだし、捜査は、もう、打ち切ってもいいんじゃないですか?やるだけのことは、やったし」

 

 さゆりも同意して、うなずいた。「そうね。これだけ、聞き込みをして、手掛かりがないということは、やっぱ、自殺ね。ほら、悩みがあったって、瑞恵さんが言ってたじゃない。悩んだ挙句、自殺したのよ」ひろ子も、最近では、自殺に思えてきた。ヤクザに口封じされたと思っていたが、何の手掛かりもなければ、単なる妄想でしかなくなる。麻薬の運び屋をやったことで、自責の念に駆られて、自殺したのか?ひろ子は、納得がいかなかったが、もはや、事件の解決は、無理なように思えた。ひろ子は、大野巡査に尋ねるようにつぶやいた。「自殺ね~~。どんな、悩みがあったのかな~~。自殺するほどの悩みって、考えつかないんだけど」

 

 大野巡査が、即座に返事した。「自殺するほどの悩みといえば、一つじゃないですか」ひろ子は、全く思いつかなかった。「え、男子には、自殺するほどの悩みがあるの?まったく、見当がつかないんだけど。さゆり、わかる?」さゆりも全く見当がつかなかった。「大野君、自殺するほどの悩みって、何よ。言いなさいよ」大野巡査は、大きくうなずき返事した。「それはですね~~。失恋です。それ以外、考えられません」さゆりは、眉間にしわを寄せて返事した。「え~~、失恋。出口君が、失恋で、自殺。それはないわよ。野球小僧が、失恋で自殺。それは、ない、ない」ひろ子も、大きくうなずいた。「出口君が、失恋で自殺。それは、ない。そんな、やわじゃないわよ。警察官に、命を懸けるって、言ってたほどなんだから。それはないわよ」

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
対馬の闇Ⅴ
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